見出し画像

授業がイヤだという娘への信頼が増した。学校は生きる力を育むツールの一つ。

冬休みに入ってしまいました。
が、前回の続きを書かなくてはと、重い腰を上げて、執筆しています。
(ちゃんとしたい人)


一つ前の記事で、
小2娘の授業参観に行き、授業がイヤだという娘の気持ちの理解が深まった、
ということを書きました。


娘と共により良い未来をつくっていくためにも、
なんとなくの理解ではなく、ちゃんと理解できて、一歩前進した感覚があります。

これってすごく大事なこと。


でも、肝心の授業の内容まで触れられなかったので、今日はそれを。

学校や先生を否定するつもりはなく、でも多少そう見えてしまうことを懸念し書こうか迷ったけれど、書いてみます。


娘の授業参観を見て、

「そうかそうか、だから授業がイヤなのね、よーくわかった」

の中身を。


国語の授業でした。

最初は、習った漢字を覚えているか、
黒板に書かれたひらがなを漢字にしていく時間。

私、真横にいました。

もうすでに、つまらなそうな様子…
スラスラではないけど、とりあえず書いた。
でも、やる気は感じられない…

丸つけをして、教科書に入っていく。


ちなみに、この日、
国語の教科書も筆箱も忘れていた娘。汗

毎回、学校に行く準備をしなさーい!と呼びかけるけど、中身までチェックはしない。
本人が困ればいいというのが我が家の方針。

赤鉛筆を貸してくれて、教科書を見せてくれる隣の席の子を見ると、申し訳ないなぁと思うし、
ちょうど隣にいたお母さんに、「いつも借りてるんだと思います。ありがとうございます。」と頭下げたけど、
当人同士はいたって普通、いつも通りという感じがおかしかった。


教科書のお話に入り、最初の問いかけが、
主人公の名前、その妹の名前、
やはり、興味はないらしい。

周りの子は手を挙げるけど、娘はぼんやり前を見ていた。

そして、今日のめあてをノートに写す時間。
娘も一応写してる。
「一応」が似合う感じで。

次に、写し終わった子から手を挙げて、先生が指名すると、めあてを読み上げる、という時間に入った。

「主人公に自分を重ねて考えよう」

これを15回くらい聞いたかな。
そして、最後に全員で読み上げた。


うーん、これが今の学校の授業か…

私も教員していたとき、同じようなことをしていた。
終わりに差があるから、いかに飽きさせないようにするかというのもあるし、
1時間の中でできるだけ全員参加させたいし、
発言できたということで自信を持たせたいから。

「これは子どもたちへの想い」 そう理由をつけていたのかもしれないな。

けど、今、「本当に」子どもたちの力になるために、と考えると、ズレを感じる。


その後、30分経過してやっと娘が手を挙げた。

  先生「下の兄弟姉妹にされて嫌だなと思った経験はありますか?」

   娘「一緒に遊びたくないのに、遊ぼうってしつこく言われる」

娘の答え。
みんなにとっての正解ではなく、娘の正解。


その後も、「何ページですか?」「何と言っていましたか?」にはそっぽを向いてたけど、


もう一つ手を挙げたのが、

  先生「1年生よりも上手になったことは何ですか?」

   娘「文字を書くこと」

これも娘の中から導き出した正解。

なるほど。
みんなにとっての正解には興味がないけれど、

「自分から湧き上がるもの」に関しては積極的に参加する。

そんな娘の姿を目の当たりにした。


誤解を恐れずに言えば、

娘にとって、先生や学校が投げかけてくれるものは、あまり魅力的でない。

それが体感としてわかった授業参観だった。

私が教師としてそれを言われたら、ショックだけれど、
この娘を持ち、この人生を歩んだ私にとってはそう感じたのだ。

娘が知りたいことや表現したいことは、別のところにある。

であるならば、無理に意欲の湧かない場所にいる必要はない。
娘が本当にやりたいこと、表現したいことを生き生きやってくれてる方がいい。


なんて、直接伝えるのには時間が必要。
(私がそれをフラットに伝えられる人になるには)
(たぶん私が動揺して泣く)

でも、ありがたいことに、月に一度スクールカウンセラーさんと話せる機会があり、そこで信頼関係をつくってきたので比較的何でも話せる。

こちらの想いを肯定的に受け取ってくれてるのも感じるし、大事な部分は学校側に伝えてくれてるのも知っている。

なので、先生にどう伝わるかはわからないけど、信頼してこの話をして、
通い方としては、学校にできるだけ行くようにみたいなことは今後もせず、娘が伸ばしたい力を伸ばせるように考えていきたいと話した。

4月からは3年生、下に弟も入ってくるからこのタイミングで朝から来るのはどうか、みたいな話をされていたのもあったんです。

姉がこのような通い方で、弟がどうなるか心配もあるけど、行きたいなら行くだろうし、行きたくないならまたその時考えるしかないわけで。

この想い、しっかり受け取ってもらえました。
(受け取ってもらえた感があった)

娘のことも理解できたし、こちら側の気持ち・方針もクリアになって、それを伝えることもできてだいぶスッキリした2学期末となりました。


書いてみて気付いたけど、この授業参観を通して、二つのことが私の中で強まっていた。

それは、

◉娘への信頼度
◉学校も生きる力を得るための一つのツールにすぎないということ


今日は行きたくない…って言われると、怠けてるんじゃないのか?って疑いたくなってしまうし、
そんな状態にしてる学校を責めるような気持ちが湧いてくるのも否めない。


でも、『合わない』ってだけなんだな。


それを周りにいる大人や常識というものがこねくり回して、事態を悪化させてしまってるような。

子どもが学校に行かない選択をする家庭は多くなってきたけど、公立の学校も、民間のスクールも、ホームスクールも、なんでも、
子どもが未来を生きていく力をつけるための場=ツールであるだけで、それに本気で向き合えるチャンスを与えられてるわけで、
だからこそめちゃくちゃ大変ではあるけど、
ここを踏ん張れば、将来眩しいくらいに輝くたのもしい我が子を見られるはず!

そんな希望と可能性があるから、やっていけてる。
そんな希望と可能性を見せてくれるたくさんの学校に行かないちゃんたちやその家族、仲間(といったら失礼かもしれないけど)に恵まれたことに感謝!


でも、そう考えると、家庭教育も大事。
ってか、それこそ大事!

私たちがどう生きてるか、どんな言葉使ってるか、どんな人とどんなふうに関わってるか、どんな親やってるか、からも子どもたちは学んでる

はぁ、そう考えると、全然なっとらん親です。
まだまだ精進。

でもこの未熟さを受け止めて努力する姿も見せたいから、
ほんと、ありのままでいいんですよね。

子どもたちは純粋に、素敵な大人の姿を見て学んでいるわけで、
そういう意味でも、子どものことをもっと信頼して、大人もがむしゃらに生きていればいいんだと思う。
綺麗になんて生きなくていい。


学校も先生も、分かりはじめてるのも感じる。
このままではいかん、と。

常識や守りや周りとのなんやかんやを抜きにして、まっさらになって考えたらどうなるんだろう。
綺麗でなくていいんだから。
それを求めてない。
一回ぶっ壊そう。
…はできなくても、そのくらいの気持ちで、
現状維持ではままならなくなった今を、
冷静に見て考えて動いていける大人が増えたら。


来年はまた教育関係の活動も増やしていけたらなと思っています。
オンラインでのお話会などもやっていきたいので、興味ありましたら、公式LINEやメルマガ登録してお待ちいただければと思います!
↓↓

https://linktr.ee/kazuki_miyao

とりあえず、お正月は休みましょう!
冬休み万歳!!
自分を大事に、本当に生きたいように。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?