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これからの時代の生き方・働き方

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教員を退職して、地方移住して、我が子の不登校に向き合って、起業して、教育の活動をして、実際にこれまでの生き方・働き方をアップデートする行動をしながら見えてきたものを書いています。
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#自分軸

もやもやするなら、前に進まないなら「言葉にする」しかない

ちょっと前のこと ある人の言葉にイラ、もやっとしたことがありました。 そういう反応をしてしまう自分の側に 何かがあると知っているけれど どうしても相手を責めたくなる気持ちも 湧いてくる。 あの人はわかってない あの人は間違ってる 私は悪くない 私は間違ってない 私自身の心も思考も狭くなってる。 こりゃいかんと思って 違うことに集中しました。 30分後くらいかな。 完全に忘れてたけど ふと思い出して そして、ふと だれも悪くないし だれも間違ってない 私にも

「教育を変える」をやめる

教育に疑問を持って 教育について語る会を始めて いろんな人の話を聞いて やっぱり今の教育は 変えていかなきゃいけないって思い 活動を続けてきた。 「教育を変える」ことが目標でありゴールだった。 でも度々言われてきた。 教育を変える って言うけど 相手を変えることはできないよね? それはそうなんだけど それはそうなんだけど でも現状をみると困ってる人は多くて 何も変わらないなんて そこにアクションしないなんてできない。 言葉はやんわり使うようになったけど やっぱり

「好き」と「得意」を仕事にするとは

最近、娘とよく話します。 学校のことを聞きたいのもあるし 言語化が上手になってきたから私も楽しいし 娘も楽しんでいるのが伝わってくるから。 昨日もお風呂で娘とお喋りしました。 「おかあちゃんと話すの楽しくて  熱いけど出たくないよー」 って言ってくれました。 そして 「だって、おかあちゃん  想定外のこと聞いてくれるから  おもしろいし  喋りながら自分でも自分のことが  よくわかるようになるんだよね」 お〜〜!! それを感じて言語化できる 9歳すごっ!と思っ

忙しいときこそ、「時間整理」してみよう

「教員 新年度」と検索すると 「新年度の準備は大丈夫?」 「準備すべきこと」 とたくさんの情報が出てきます。 先生の新年度はほんと大変。 クライアントさんの中に、小学校の先生がいらっしゃいます。 勤務先の学校が変わって やはり4月当初はすごく疲れた様子でした。 そんな中、セッションをして ご自身の軸や進むべきルートを再確認して 「やる気が出てきました!」と言ってくれたことは 以前にも投稿しました。 仕事も子育ても自分一人のことじゃないから なかなか思ったようには

仕事に子育てに縛られず、自分を発揮するために

週末は、群馬から東京に出向き 教育の対話会に参加してきました! 知り合いがいるわけでもないし 土日はゆっくりのんびりしたい 超出不精な私ですが 行ってきましたよー! 社会全体の幸せのために 特に教育の分野で力を尽くす という自分の使命感があるから。 「使命感」は「原動力」です。 私のこの重〜い腰を上げてくれます。 イベント開催するのもそうです。 使命感が助けてくれます。 人前に出る、責任をとる、決断する、とか 私にとってけっこう負荷がかかるもので 実はやりたくな

「すごい」「素敵」と言われる人になりたかった。

私は元教員です。 かつては「教員」というスーツを装っていました。 教員というだけで、世間の目は違います。 「先生やってるなんて、すごいねー」 そして、出産して母親になると、 「ママやりながらフルで働いてて、大変だよね、すごいねー」 「教員」というスーツ 「ワーママ」というスーツ それらをまとっているだけで、「すごい」って言われちゃうんだけど、 私自身、自分を「すごい」なんて思えてなくて むしろ、できていない自分を日々みているのは自分。 教員としては、復帰してす

「普通」の道から外れて生きるって、大変よ

みなさんは 「普通」 ってどう思いますか? 以前こんな記事も書いていましたが、 「普通」なんてクソくらえ! 「普通」でない方を選んだ方がいいにきまってる! なんて思っていたこともあるくらい、 私はかつて   「普通」アレルギー だったかもしれません。 それは、 普通だった自分、それしか知らなかった自分を 受け入れたくなかったというのもあるでしょう。 けど、 今となっては、 普通か、普通じゃないか、はあまり関係がなくて、 私らしいか。 本当に私のまっすぐな

仕事も家庭も人生も「自分」を中心に置いて

私は 子どもたちが日々学ぶ教育の場をよくしていきたいという活動と 私たち一人一人がどう生きるかと伝える活動と 主に二つの軸でやっています。 教育も、一人一人の生き方も、 目指すところは繋がっています。 できないことがあっても、凸凹でも、未熟でも そのままの自分に誇りを持っていてほしいし その自分がもっている素晴らしいものを 唯一無二の自分だからこそのものを 社会の中で発揮していってほしい そして、 自分らしい自分に合う人生を形づくり 幸せに生きていってほしい

見た目じゃわからない。自分の心の中心にあるもの。

先日は、時間に追われ、やることに追われ、 ついに息子に言いたくないことを言ってしまった・・・ という記事を書きました。 仕事も精一杯やれることはやりたい。 自分の役割を果たして 社会に貢献する自分でありたい。 けど、我が子を大切にしたい。 その本当に大事にしたいことを大事にできる自分でもありたい。 その狭間で揺れ動くのって 自分らしさも、その子らしさも、みんならしさも大切にしたいからなんですよね。 こう書くと、我ながら、「なんて尊いんだ」なんて思ってしまった。笑 イラ

唯一無二って面倒だ。

自分らしさ  自分の心地よさ を大事にしていこうって風潮?ありますよね。 ありますよね、って私はそれを言ってる側の人間でもあります。 しかも、発信して、講座とかして、声を大にして伝えてます。 そんな私は、 自分の「自分らしさ」「心地よさ」がよくわからない それを掴むのがとっても苦手でした。 だからこそ、伝えてる、大事なんだと訴えてる。 だいぶ解像度は上がってきたけど いまだに、あれ?ってなる。 それを当たり前にできる人だったら そんなの息を吸うようにできるよねって

どうやったら軽やかにいけるのかな。

以前書いたこの記事へのアクセスやスキが最近多いみたいです。 ありがとうございます^^ ということは、人生ハードモードな人って結構多いのかしら? たぶん私は、人より、 思い込みや他人の価値観で動いてしまう人間だと思います。 もしくは、 そういうことがイチイチ気になって、 「自分で決めたい!」「自分を大事にしたい!」って 躍起になりやすい人間、とも言えるかもしれない。 自分を中心においてない人生を長いこと生きてきたから、 その反動なんでしょうか・・・ 本当の自分はこう

40の私が振り返る、35歳からのライフシフト。

移住とか退職とか起業とか育児ノイローゼとか 自分の身に起きたことで語ることが多かったのですが、 ライフステージごとに年齢で区切って振り返ってみたら 35歳でガラッと変わったことがわかりました。 これを眺めて、なんと言うか、 35歳を境に 「普通」でいようとすることを諦め 「自分らしく」生きること、 「自分の幸せ」を追求することを決めたんだ それをハッキリ認識しました。 だけど、 「自分らしさがわからない」「取り繕ってしまう」って 39歳で心の講座を受けたりし

人生は選択の連続。

体調を崩している人が多いみたいですね。 我が家も、先週は子どもたち、 今週は私が具合悪くて、 やっと通常運転に戻りつつある今日この頃。 特に子どもたちは長引きました。 熱と鼻と咳と。 昼間も夜中も咳き込んで吐いたり 苦しくて叫んだり 看病と睡眠不足でヘトヘトでした。 フリーランスのため 仕事は自分の裁量でいいのですが 予定はかなり狂いました。 でも、これまでだったら、 焦りとイライラでどうしようもない状況だったんじゃないかと思うんですが、 今回はそこまでではな

人生に名前をつけていますか?

突然ですが、 みなさんはご自身の「コンセプト」をもっていますか? それをちゃんと握って生きていますか? 私が人生を変えることになったのが、教員の退職。 その時に出会った考え方が 人生のコンセプトをもつ ということでした。 いわば、人生の目的であり、 人生にビジョンをもって生きるということでもあります。 そんなこと、考えたこともなかった。 今目の前にあることしか見えてなかった。 でも、この考え方に出会ったおかげで、 ずーっと薄っぺらいと思っていた 私の人生や私自