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百貨店ラブストーリー Another

 漬田まやは、東京のとある百貨店の漬け物売り場で働いている。

「今夜も一人酒か」

 つぶやいたのは、今夜会う約束をしていた恋人からの電話を切った直後だった。仕事が忙しくて会えない。これで何度目だろうか……

 酒に酔ったくらいでは、寂しさをやり過ごせないことは知っている。だけど、せめて大好きな日本酒を飲んでいるときは、ひとときの幸福を生きられる。

「今夜は、どんな日本酒を飲もう?」

 以前、といっても、もう3年以上前のこと。まやは同じ百貨店内の酒売り場へ行ったことがある。そのときは、お気に召した日本酒が取り揃えておらず、それからはずっと、近所のスーパーで日本酒を購入していた。

 休憩時間。近くのカフェで一人パスタを食べたあと、百貨店内の酒売り場へ立ち寄った。早いうちに、今夜のお伴と出合いたかったのだ。

 年配の女性店員が試飲を勧めてくる。デザート代わりに飲みたかったけれど、さすがに休憩中だったので断った。地域別の地酒コーナーで、地元奈良県の地酒を1つ選んだ。

 まやは満足気に売り場へ戻ると、レジ付近に、黒色の定期入れが置いてあることを認めた。忘れ物だ。

 忘れ物を百貨店の総合案内という部署に持って行くことにした。

 定期入れといっても、貴重品なわけで、別段見るつもりはなかったのだが、どこから来ている人なのだろうという、くだらない好奇心で、ふと定期券の表面を見てしまった。

 駅名の下に刻まれた持ち主の名前が目に飛び込んでくる。その無機質なカタカナの連続に見覚えがあった。

 同姓同名の人もいるものだな。地元から遠く離れたこの場所で、初恋の少年のことを思い出し微笑む。一度も素直な気持ちを伝えられなかった淡い恋。歩きながら少しだけ思い出に浸った。

 曲がり角。彼女の肩は、だれかの腕とぶつかった。

「すみません!」

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