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僕らは評価される事・する事に慣れてしまっている

これは常々考えていることですが、僕たちは評価される事・する事にとても慣れ過ぎていると思います。

学校のテスト、受験などで先生や大学に評価され、就活生になってからは、面接官や企業に評価される。
学生同士の会話では「誰誰がかっこいい、可愛い」など、社会人になってからは「〇〇の年収〇〇らしい」とか「パートナーにするなら、最低年収これくらいはほしい」など、どこに行っても評価、評価、評価…
そして、この影響は自分の思考にまで及んできます。「あの人は同い年なのに、こんなに年収もらってる…」「自分とあの人は違いすぎる…」など自己と他者を比べて評価をしてしまう始末。

僕はずっっっっっっっっっと思ってます….
「なんて、生きづらい世の中なんだと。」
これは、社会構造的にどうしようもないことだと思います。評価をつけなければ、競争は生まれず、人はどんどん退化していくものだと思います。(当然、毎日ぬくぬくした布団で寝てたい)
これから先も、人間社会に属してる限り、永遠と評価されることは自明です。

評価社会に生きているせいで、自分達の意識には常に「この行動は、評価されるものなのか?」「今の発言は、相手にマイナスな印象を与えたかもしれない」など、他者を意識する事が増えていると思います。そして、SNSの登場により、その意識は更に強まるものとなりました。もはや、他者からの見られ方を意識しない日はないと言っても過言ではない。それくらい、当たり前に評価すること・される事が身についてしまっています。
いいねがいつもより多い、少ないで一喜一憂してる若者を100年前の人たちが見たら、びっくりするでしょう。

でも、この評価によって自己承認欲求が高まる事も知っています。人から自分の努力を認められたら、誰だって嬉しいもので、自分が頑張ったことを投稿して、それがプチバズりしたら、セブンのロールケーキを買うこと間違いなしです。
評価される事が、今後も後をついて回るなら、もはやそれを利用するのも手でしょう。
自分の頑張りを一人で楽しむより、成長過程を評価してくれる応援者がいた方が楽しいと思います。

僕は、高校生くらいから、ずっとこの違和感と向き合っています。「評価される事が、楽しい世の中、楽しい人生なのか?」と。
そして、その疑問と向き合い、「先生からの評価なんていいや」と決断した結果、授業中に寝る子が誕生。大学生になってから、勉強の楽しさに気づき、もっと勉強をしておけばよかったと後悔。
こんな感じで、評価される事自体が今後ついて回るなら、せめて自分の人生くらい好き勝手に生きようと思うようになりました。(人様に迷惑をかけていいということではない)

このマインドで生きてるおかげで、他人からの評価が自分のマインドに入り込んでくる事はまずありません。無論、意識をしないわけでもありません。程よい距離感で、評価と向き合い、自分のうちなる部分に侵入させないようにしているだけです。結局、評価って、その人が今まで出会ってきた人の相対評価でしかなく、それって全人口の何%って話しなので、そんな小さい値から評価されても、どうって事はないのです。

大事なことは、評価との向き合い方です。世の中から評価がなくならないのであれば、せめて自分と評価の向き合い方を変えればいいのです。そうすると、生きづらい世の中が少しだけ生きやすくなります。そして、評価と向き合うということは、他者との向き合い方にも繋がってくるので、結果として人生がいい方向に向くようになるはずです。少なくとも、僕はこのマインドのおかげで自由に生きている気がします。

結局、 何が伝えたいのかというと、人生一度きりなのでどうせなら、人からの評価なんて気にしないで、やりたい事を思いっきりやっちゃいましょ〜ということをお伝えしたかった…

いや、ただただ言いたかっただけです。
世の中にある当たり前は、当たり前ではないという視点をこれからも持ち続けたいなと思います。 読んでいただきありがとうございました。

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