見出し画像

【建築ブックレビュー】隈研吾『点・線・面』岩波書店,2020.を読んで

はじめに

 本書¹⁾は、21世紀において日本を代表する建築家 隈研吾による理論書である。最近では東京2020オリンピックに際する、新国立競技場の設計者²⁾として記憶に新しい。本書のタイトルにある通り、「点・線・面」というキーワードを切り口にこれまでの西洋および日本の建築史を紐解いていく。なかでも近代建築史(モダニズム)はボリュームの時代であると指摘し、隈研吾がこれまで設計してきた建築物と理論を引き合いにして、新しい視点から建築をつくっていこうと唱える宣言書でもある。著者の言葉を借りると、20世紀の建築はボリュームの時代の産物であり、コンクリートの重厚な建築物が世界を席巻した。大地に抗い、ボリュームとして地面の上に立つことで建築物は建てられてきた。いわば20世紀の建築は「勝つ建築」であった。それを批評した形で書いたのが前作における『負ける建築』³⁾であり、本書はその続編として位置付けることができる。

著者プロフィール
隈研吾
1954(昭和29),神奈川県生まれ.東京大学大学院工学系研究科建築学専攻.
コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員をつとめた後,90年,隈研吾建築都市設計事務所を設立する.慶應義塾大学大学院,イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校にて教鞭をとった後,09年より東京大学大学院教授.
初期の主な作品に,亀老山展望台(1994年),水/ガラス(1995年,全米建築家協会ベネディクタス賞受賞),那珂川町馬頭広重美術館(2000年,村野藤吾賞受賞)などがあるほか,近年注目を集める作品として,中国美術学院民芸博物館(2015年),V&A・ダンディ(2018年),国立競技場(2019年)などがある。
著書に,『負ける建築』(2004年,岩波書店),『対談集  つなぐ建築』(2012年,岩波書店)のほか,『場所原論』(2012年,18年,市ヶ谷出版社,全2冊),『建築家,走る』(2015年,新潮文庫),『隈研吾  オノマトペ  建築』(2015年,エクスナレッジ),『隈研吾作品集  2006-2012』(2012年,A. D. AEDITA Tokyo)など多数.海外での翻訳出版も続いている.

『点・線・面』隈研吾,岩波書店,2020.巻末より

本の構成について

 本書は、「方法序説」「点」「線」「面」と4部構成になっている。「方法序説」では、近代物理学的視点と金融資本主義的観点から20世紀建築を読み解き、それに代わる量子力学的視点により、建築界における自身の立ち位置を定義しようと試みる。ニュートン力学やアインシュタインの相対性理論、コルビュジエにおけるサヴォア邸の吹抜け空間を引用し、近代がいかに時間という概念と運動を結びつけてきたかを指摘する。一方、著者は近代におけるカンディンスキーの業績を再解釈し、カンディンスキーによる理論書『点・線・面』⁴⁾を手掛かりに、物質の中に時間を見い出しそれらを繋ぎ合わせた建築のあり方を探る。本書のタイトルからも分かるようにカンディンスキーへのリスペクトが感じられる。

 「点」では、隈研吾の作品のなかでも点の集積として石でつくられた建築物を取り上げ、20世紀のコンクリート建築のボリュームにより、人間の身体から引き剥がされたスケール感覚を取り戻そうと試みた例をいくつか挙げている。著者いわく、20世紀のコンクリート建築は怠惰と魔術の結合であり、それらに人々は熱狂し、あるいは麻薬のように依存し、コンクリートの魔術的側面におぼれた結果であると指摘する。
 一読者としての私は、著者が指摘する理論の大筋としては納得する一方で、多少の疑問が残る。人間は、自らを超越した存在に身を寄せ祈ることがあるように、建築物の造形が壮麗である種の超越性を内包した空間に身を任せるとき、自然と心が静まる体験を誰しもが経験したことがあるのではないだろうか。これは、大地の雄大さ―言い換えれば圧倒的なボリュームをじかに受けたときの感覚に似ている。コンクリートは著者が指摘する魔術的な側面をもつ一方で、自由な造形力を獲得することも事実である。これは建築物を構成する他の材料にはない、コンクリートの特質的側面であると言える。人々に与える影響が多様で、世界をより豊かにすることができる選択肢のひとつにコンクリートの造形力が含まれるとすれば、ボリュームに対し否定的な立場をとって選択肢を無くすことは避けたいと思われた。

 「線」では、20世紀初期において建築界に革命をもたらした巨匠、ミース・ファン・デル・ローエとル・コルビジェの作品群を挙げる。著者が指摘するところによれば、20世紀の建築は、線とボリュームとの闘いの歴史であったという。線を代表する建築家がミース、ボリュームを代表する建築家がコルビュジェであり、それぞれ20世紀の建築界に革命をもたらした。この章では、隈研吾の代名詞ともいえる木造建築が線の建築として言い換えることが可能なこともあり、自身の作品を引き合いにしながら論が展開されていくので、より著者の理論に入り込むことができる。また、西洋思想と東洋・日本の思想を比較しながら、これまでの日本の建築がいかに線による建築の歴史であったかを述べる。
 ここで面白いと感じたのは、これまでの日本の建築物はグラデーションを纏った建築であったと著者が指摘するところである。日本建築は線で構成された一連の透明な建具(ガラス戸、簾、障子)がレイヤーを構成し、自然と身体との間を緩やかに調停していくと建築であったと述べている。さらに、日本人は自身の体の周りにも衣服というレイヤーの集合体が介在し、やわな身体を守れる十二単(平安時代後期に成立した公家 女子の正装)はレイヤーの究極な姿であったと著者は続ける。

 本書の最終章をかざる「面」では、オランダの建築家集団 デ・ステイルのリートフェルト及び家具職人 クルルクからヒントを得て、自身の建築理論を通じて現代社会への応答とも取れる立ち位置を示している。なかでも著者の印象的だった言葉を引用する。

 しなやかな面を作り出すには、単に面を薄くするだけでは不十分である。何らかの力、作用を受けて、踊りだす様なしなやかさを持った面を建築に導入することが出来れば、面を道具に用いて、重いボリュームを解体できるかもしれない。

『点・線・面』隈研吾,岩波出版,2020. p.168

 ここに建築家の頭の中にある思考の過程と飛躍が見受けられる。そのような建築―言い換えれば「しなやかな面」を作り出すため、バックミンスター・フラーのテンセグリティなる理論や、ライトのタリアセン・ウエストで用いたテントを手掛かりにこれまでの経験を並べながら建築理論を展開していく。重厚で固く、重力に従わざるを得ない建築の命題に対し、創意工夫の連続、試行錯誤の過程は読みごたえがあった。

最後に

 久しぶりに隈研吾の書籍を読むが、やはり著者の理論書は理解しやすく読みやすい。現代社会に対して批評を投げかける立ち位置に身を置くことを徹底しているので、読む側がリアリティをもって理論に没入できる、というのはあるかもしれない。なによりも隈研吾自身が文才であることは言うまでもない。負ける建築と宣言したが、昨今における数多のメディアでの活躍、大衆の支持を得るなど、様々な意味で勝ってきた建築家でもある。
 また、本書に書かれた著者の理論および作品はどれも頷ける根拠と構成を成しており、それに対して僕自身が持つ建築に対する考えとの対比を明確にしやすかった。将来に向けた建築家象としてのイメージを膨らませる一方で、今後の立ち位置や作家性はまだまだ余白を残しつつ、幅広い可能性をもつ建築理論の参照本の一つとして本書を位置づけたい。ひとつのキーとなる理論書として、今後の道しるべになると思わせる本であった。


出典(参考文献)
1)『点・線・面』隈研吾,岩波書店,2020.
2)『新建築 2019年9月号』第95巻第7号,新建築社,2019-8-30,50 - 57,p.196.
3)『負ける建築』隈研吾,岩波書店,2004.
4)『カンディンスキー著作集2ー点・線・面 抽象芸術の基礎 』カンディンスキー著,西田秀穂訳,美術出版社 全 4 巻,2000.


P.S.
卒業設計ではカンディンスキー作品を題材に取り組んだので、ゆくゆくは僕もカンディンスキー論を執筆してみたい。けど、先は長そう(笑)

2023年度卒業設計
「響きのアンソロジー カンディンスキー作品におけるSymphonicな絵画構成を通して」断面模型

はじめてのブックレビュー緊張しました。暴論を書くこともあると思いますがどうか暖かく見守ってください(笑)

ではまた!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?