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あなたとわたしの間のルール(間主観)

モナリザはみんな知っている、レオナルドダヴィンチが描いた名画で、絶世の美女と言われている。

でも、正直なところ、そこまで美女だろうか?と初めてこの絵を見る小学生男子は結構みんな思っている。

それで、少し前にモナリザの髪形を今風にすると、めっちゃかわいくなるという画像がバズったことがあった。たしかに。(これ、よおく見ると、そもそも元の絵が違うじゃんという話もあるけど。)

図2

それはさておき、この記事のテーマは、「間主観」なのだけど、これはつまり、真善美と言われるような、何が真実で、正義で、美しいかというようなことは、いつの時代も通用する普遍的な基準というのは無いのだよということ。

昔の美人が、今でも美人かどうかはわからないし、今正しいとされていることが、未来永劫正しいのかはわからない。

だけれど、あなたとわたしの間でよくよく話し合いをして、その話し合いの中ではお互いに自分が一番大切にしていることも揺らぐ覚悟で前提を取り払った上で話をして、それで出た結論は、あなたとわたしの間では今の時点においては真実だよねと言える。

例えば今、オンライン会議とかで世界中の人が参加して美人の定義を議論するとしよう。モナリザは美人だとみんなが納得をすれば、モナリザは今の時代の人の中では美人だと言える。ただ、その会議に参加できない、未来の人がモナリザは美人だと思えるかどうかは別だということ。

真実や正義、美の普遍的な基準は無くて、その社会や時代によって変わるということ。それを意識して、自分の当たり前は他の人の当たり前ではないし、自分がどういう前提の上で思考をしているのかをよく考えてみることかが、他者を理解して、対話をしていくための第一歩なのだと思う。

もし未来で、地球人以外の例えば火星人とかも含めて、美人の定義を決める会議に参加して結論を出そうとしたら、こんな顔が美人だと定義されるかもしれないね。

図3

自分があの人かわいいとか、美人だとか思っているその感覚も、本当に自分の中に基準があって思っているのではなくて、ある意味社会や時代に思わされているんだということを知っておこう。



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