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【10分要約】Amazonで第1位獲得!稲垣栄洋先生の『植物に死はあるのか』の水曜日と木曜日を要約【生命の不思議 PART2】

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◆生命の不思議 PART2


◇紹介書籍

こんばんは、Kazukiです。
それでは本日もさっそく投稿の内容に入っていきましょう。
今週紹介していく書籍はコチラになります。

2023年7月15日にSBクリエイティブさんから発行されました、
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)先生の『植物に死はあるのか』になります。
今回の問いもだいぶ藪から棒ですよ。

◇紹介書籍概要

またこちら、本書の概要につきましては、
いつもと同じように下記に詳細を載せておきますので、
もし本書について気になった方がいましたら、
ぜひ下記の方をご覧いただければと思います。

【SB新書 623】
タイトル 『植物に死はあるのか 生命の不思議をめぐる一週間』
著者 稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)
価格 990円税込
発行日 2023年7月15日 初版第1刷発行
発行者 小川淳
発行所 SBクリエイティブ株式会社
装丁 杉山健太郎
本文デザイン 株式会社ローヤル企画
DTP 株式会社ローヤル企画
イラスト こんどうしず
校正 有限会社あかえんぴつ
編集 北堅太(SBクリエイティブ)
印刷・製本 大日本印刷株式会社

『植物に死はあるのか』奥付および裏表紙から引用

◇本書を選んだ理由

そして、今週の投稿に本書を選んだ理由になるんですが、
そちらにつきましては、パート1の投稿で紹介しておりますので、
もし、今週の投稿に本書を選んだ理由が気になった方がいましたら、
ぜひそちらの投稿をご覧いただければと思います。

◇この投稿の内容

そして、
今回のこのパート2の投稿で紹介していく内容といいますのが、
本書『植物に死はあるのか』における、


水曜日の「草って何?」の要約と、
木曜日の「木は何本あるのか?」の要約になります。


今回取り上げる水曜日の疑問も木曜日の疑問もパート1と同様に、
とっても素朴な植物に対する疑問を扱っていますが、

コチラもそこから派生してくる哲学的な問いは、
非常に頭を悩ませてきます。

また個人的なことにはなるんですが、
水曜日の「草って何?」という章は、
本書『植物に死はあるのか』の全章の中でも特に面白いと感じている章なので、
ぜひ皆さんにもその面白さは体感してほしいと思っています。

それでは前置きはこのぐらいに致しまして、

今回も植物の生態から読み解く生命の神秘、
その折り返し地点のサイエンスミステリーを解き明かしにいきましょう!

◇水曜日「草って何?」

それではさっそく本書の内容に入っていこうと思いますが、
本書『植物に死はあるのか』は、

楠木さんという人物から筆者の稲垣先生が植物にまつわる質問を受ける、

というような構成になっておりまして、
また本書のテーマというのが「生命の不思議を巡る一週間」というものなので、

その章立てというのは一週間の曜日によって章立てされています。

なんともユニークな書籍ですよね。

そして、前回のパート1の投稿では、
月曜日と火曜日の章を扱いましたので、
今回のパート2で最初に紹介していくのは水曜日の章。

その水曜日の章の冒頭、
稲垣先生はやはり楠木さんからメールで質問を受けているのですが、
その内容が次のとおり。

「草って何ですか?」

『植物に死はあるのか』P.74から引用

いや、ググれ。

小学生か!と、
一般人の私ならそう思ってしまいそうになる変な質問ですが、
さすがは植物学者の稲垣先生です。

なんと先生はこの質問の中にある「草」という文字から、

昨今の笑いの表現である「草」について言及していきます。
さすが大学教授。なんにでも知的好奇心が擽られています。

というのも、この「草が生えた」というのは、
もとの笑いの表現である「W」を繋げたら「WWW」と、
草が生えているように見えることから笑いの表現になったようなのですが、
簡単にその言葉が使われるようになった機序を解説しますと次のとおりです。

  1. 笑いを表現する方法には「(笑)」という方法が以前からあった

  2. しかし、パソコンで打つのには面倒なため、「笑い(WARAI)」の頭文字である「W」を重ねて打つことで、次第に笑いを表現するようになった(ちなみに「W」を繋げて打つことで、その笑いの度合いに幅を持たせることができる)

  3. けれど、スマホが普及してきたことで、日本語から英文字入力に切り替えて「W」と打つよりも「草」と入力した方が早いため、「草」という表現が使われるようになった

こうやって言葉に起こすと、なんだかめっちゃ草ですが、
実は稲垣先生がこの「草」という笑いの表現について言及したのには、
キチンと理由があったんですね。それが次の理由です。

 というのも、植物の「草」もまた、スピード感を求めてたどりついた形だからである。

『植物に死はあるのか』P.76から引用

どういうこと?みたいなね。
これだけでは珍紛漢紛なのでキチンと解説していきます。

まずそもそも論として稲垣先生は、

植物には「草」に対して「木」という植物があると本書の中で述べられています。

これを専門的にいうと、
草は「草本(そうほん)植物」といい、
木は「木本(もくほん)植物」といいまして、

皆さんもご存知のとおり、
草というのはタンポポやクローバーなどの地面に生い茂っている植物で、
一年や数年で枯れてしまうような単純な形の植物です。

一方の木というのは、桜の木や銀杏の木などからわかるように、
複雑に枝を張り巡らせながら幹を太くして大きく成長する植物のことを指します。

「いや、そんなことはわかってるわ」と、
皆さんこの説明を聞きながら感じているかと思いますが、
ではお聞きしましょう。

Q.草と木って、どちらの植物の方が進化した植物なのでしょう?

さぁこれどうでしょう。答えられる方、いらっしゃいますかね。

先ほどの当たり障りのない草と木の説明とは打って変わって、
いきなりの難問が登場して、皆さん困惑されているかと思いますので、
さっそく回答に参ります。

これ実は、草の方が進化した形なんですね。

なんか意外ですよね。
一見、木のように幹があって枝があってと複雑な形をしている方が、
進化した後のように思えますが、じつはそうではないんです。

草が進化後なんです。ナッシーの進化がナゾノクサみたいなね。クソゲーです。

これどういうことかというと、
一から解説しようとすると結構長くなってしまうので、
端的に要点だけを絞って解説していきます。

まず植物の起源というのは、前回のパート1の投稿で紹介したように、
全生物の祖先である「LUCA」から単純な単細胞生物へと進化し、
そして、単細胞生物の中で葉緑体をその身に取り込むものが現れまして、

これが植物の起源です。

また、そこから複雑な多細胞生物へと次第に進化していき、
次に藻類、その次はシダ植物へと進化を重ねていき、

その次の進化が「裸子植物」という植物への進化になります。
現在のイチョウとかマツとかがこの裸子植物ですね。

そして、そこまで進化を重ねると植物の背丈というのは、
日光をよく浴びるために高さが数十メートルの巨木となり、

要するに私たちがイメージする「木」という形になっていきます。

そうして、数十メートルもある巨木な裸子植物たちは、
絶滅の脅威に脅かされることもなく、生い茂っていたのですが、

白亜紀の末期、言い方を変えると恐竜時代の終わり頃に、
一続きだった地球の大陸が、

マントルの対流によって分裂するという時代を迎えます。

そして、その分裂した大陸同士は、また違うところでぶつかり、
ぶつかった大陸は盛り上がり、山脈を作ります。
山脈が作られると、空気中に対流が生まれるので、
その結果、気候も変わり、

地球はとてつもない変化の時代を迎えていくことになります。

すると、数十メートルある巨木な裸子植物も、
相手が地球となるとさすがに太刀打ちができず、

その環境の変化に対応できずに、
絶滅してしまう裸子植物が次第に増えていきます。

というのも、この裸子植物、
子孫を残すための「受精」に数ヶ月から一年以上かかるため、
そのような環境の変化の激しい時代には、
次の世代に種を残す前に対応できずに絶滅してしまうんですね。

けれども、そのような変化の時代にこそ進化というのは促されるようでして、

裸子植物の中から受精のスピードがものすごく速くなった、

被子植物という植物が誕生します。
現在だと、ヒマワリとかイネとかトウモロコシとかがこの被子植物です。

で、この被子植物、
裸子植物が数ヶ月から一年以上受精に時間がかかるのに対して、
彼らはなんと遅くとも数日で受精が可能で、

早い種類では数時間で受精を完了させてしまいます。

また、被子植物は更なる受精の確実性を求めて、
裸子植物にはなかった「花」というものを咲かせて昆虫を呼び、
その昆虫の体に自分たちの花粉を付けて、他の花へ花粉を届けてくれれば、

より確実に受精させることができるようになった、というわけなんです。

けれど、被子植物の中には、
花を咲かせてより受精の確実性を高めても、

「木だと成長するのに何年もかかって、種の存続的にコスパが悪い」

と考える植物たちもおりまして、
より短い期間で子孫を残せる形が何かないかと進化を繰り返した結果、

最終的に辿り着いた形が「草」なんですね。いや、めっちゃ草ですわ。

つまり、草というのは、
変化の激しい時代の中で種を存続させるという観点では、
これ以上ない適応した形であるということなんです。
最初にも言っていた通りスピード重視なんですよ。ようやく伏線回収ね。

しかし、その反面、
草というのはとても寿命が短く、
春に芽を出して、秋には枯れてしまうように、
一年以内でその生涯を終えてしまうものもかなり多いかと思います。

けれど、私たち人間もそうですが、
生きとし生ける生物はいつか必ず死にます。

それが遅いか早いかの違いであって、
幾星霜の歳月を経て、
種の存続の確実性のもとに進化していった「草」というのは、

戦略的に寿命を短くしたということなんですね。
生物って不思議ですよね。

そうして、作っておいたコーヒーを飲み、一息ついた稲垣先生は、
楠木さんの「草って何ですか?」という質問に対して、こう返信をします。

「草って不思議です。命のバトンを限りなくつないでいくために、草は短い命を選んだ植物なのです。植物も私たちのことを見て、こう思うことでしょう。『必ず死ぬのに、寿命を伸ばそうと懸命になっている人間って、不思議な生き物だな』」

『植物に死はあるのか』P.93から引用

◇木曜日「木は何本あるのか?」

そうして明くる木曜日、
やはり楠木さんからの質問は届いておりまして、
稲垣先生は積もり積もる仕事のメールを捌く勢いで、
そのメールも開封していきます。

そして、その質問の内容がこちら。

「桜並木にサクラは何本あるのでしょうか?」

『植物に死はあるのか』P.97から引用

いや、知らんがな。
まずどこの桜並木のことを言ってるのかもわからないし、
なんでそれを教授である私が数えなければいけないのか、
と稲垣先生はその質問を一蹴しようとするんですが、

ふと稲垣先生は考えます。

「こんな適当な質問をしてくるのは、何か私を試してるのか?」

完全に稲垣先生の考えすぎだと個人的には思うんですが、
そう感じてしまった稲垣先生の思考はもう止まりません。

再び自身の思考の渦へと飲み込まれていきます。

そうしてまず最初に稲垣先生の思考がたどり着いたのが、

日本の桜の代名詞である「ソメイヨシノ」の特殊性です。

日本ではそれはもう毎年のように春になると、
このソメイヨシノの開花情報がテレビやネットニュースで流れてきて、
日本の四季を感じさせてくれる植物のひとつかと思いますが、

このソメイヨシノの、
「春になったら一斉に花が咲く」という性質と、
「花が咲いた後に葉が出る」という性質は、
じつは桜という植物の中では結構特殊な性質なんですね。

というのも、
日本の山々で多く見られる「ヤマザクラ」という種類の桜は、
ソメイヨシノと違い、咲く時期というのは木々で異なり全く同じではありません。
また、花びらとともに葉も姿を見せるので、
ソメイヨシノほど薄ピンク一色ということにもなりません。

もちろん、このソメイヨシノの特殊性というのは、
人工的な交配によって作り出されたものですが、
そのソメイヨシノの美しさに魅了された人々は、
各地にお花見用の桜として、このソメイヨシノを植えていきました。

ちなみにこれは余談になりますが、
ソメイヨシノの名前の由来って皆さんご存知ですか?

このソメイヨシノの「ソメイ」というのは、
江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込のあたり)を指していまして、
また「ヨシノ」というのは、
現在も桜の名所として有名な奈良県の吉野桜のことを指しています。

そして、その吉野桜のブランドにあやかって、
「染井村の吉野桜」ということで当時売り出していたのが、

この「ソメイヨシノ」なんですね。なんとも商魂丸出しな誕生秘話です。

そして、話は戻りますが、
そうして全国に広がっていったソメイヨシノですが、

このソメイヨシノ、実は全部クローンだって皆さん知っていましたか?

というのも、植物の木というのは種から育ている方法以外にも、
「挿し木」と「接ぎ木」という方法でも育てることができまして、

このソメイヨシノは後者の「接ぎ木」という方法で、
日本全国にその生息域を広げていった植物なんですね。

そもそもこの「挿し木」と「接ぎ木」ってどういうものなのか、
知らない方もいらっしゃると思いますので、簡単に解説をします。

まず「挿し木」というのは、すでに成長した木の枝を切り取り、
その枝を地面に植えることによって、その枝が地面に根を張り、
一本の木として成長させる方法で、文字通り地面に挿しているので「挿し木」。

また「接ぎ木」というのは、すでに植っている木の枝を切り取り、
その枝を切り取った木に、別の種類の木の枝をくっつけ、
そうして一本の木として成長させる方法で、文字通り接着するので「接ぎ木」。

そして、そのようにして成長した木というのは、
その「挿し木」や「接ぎ木」で切ってきた木と同じ遺伝情報を持っているので、

要するに「クローン」なんです。

そうして、楠木さんの質問である桜の本数を考えてみると、
確かに生えてる本数としては一本二本と数えることができますが、
遺伝情報という観点から数えてみると、
ソメイヨシノは何本あってもクローンなので、
遺伝情報は「一つだけ」ということができそうです。

そして、この白黒ハッキリしない考え方に、
稲垣先生は「うむむむ…」と頭を悩ませる、というね。

また他には「挿し木」の代表例として、
本書では「竹」が紹介されておりまして、
竹は切って地面に挿しておくと、
地面の下に「地下茎」というものを伸ばします。

そして、その地下茎からタケノコが芽吹いて、
そのタケノコは次第に竹へと成長していきますので、

つまり、竹というのは見た目は二本生えているが、
実際には地面の中で一本につながっているのが普通なんですね。

なので、竹林に生えている竹というのは、基本全部繋がっているんですよ。
これ正直、初耳でした。


そうすると、見た目が分かれているから彼らを別々に一本ずつと数えるのか、
はたまた、根っこでは全部繋がっているから全部まとめて一本として数えるのか、
先ほどのソメイヨシノのクローンの数え方より頭を悩ませそうですよね。

またこの竹、なにより凄いのが、
そのつながっている竹の中に、日に当たらず栄養不足の竹があると、
日に当たっていてキチンと光合成により栄養を得ている竹が、

その栄養不足の竹に栄養を供給するんですね。なんとも優しい世界です。

その事実を再確認した稲垣先生はふと思います。

 もしかすると、私たち人間も、見えないところでつながっているのかも知れない。しかし、人間は見えるところで競い合ったり、奪い合ったりしている。
 タケたちは、そんな人間をどんな風に見ているのだろう。

『植物に死はあるのか』P.132から引用

そうして、稲垣先生は楠木さんの、
「桜並木にサクラは何本あるのか?」という質問に対して、
次のような返信メールを送ります。

「植物はつながっています。たくさんあるとも言えますし、一つだとも言えます。植物から見た人間はどうでしょうか。たくさんいるように見えるかもしれませんし、『あいつら根っこではつながっているのに』と思われているかも知れません。」

『植物に死はあるのか』P.133から引用

◆おわりに


いかがでしたでしょうか。

今回のこのパート2の投稿では、
2023年7月15日にSBクリエイティブさんから発行されました、
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)先生の『植物に死はあるのか』を参照しまして、

水曜日の「草って何?」の要約と、
木曜日の「木は何本あるのか?」の要約を紹介してきました。

どちらもパート1に勝るとも劣らない、
とても哲学性の濃い面白い内容でしたね。

最初にも述べたように、
本書『植物に死はあるのか』の中で個人的に特に好きな章は、
水曜日の「草って何?」になるんですけれども、

木曜日のソメイヨシノの誕生秘話の話も個人的には結構好きですね。

染井村の人々の奈良県の有名な吉野桜にあやかって、
ヨシノって名前つけて売っちゃおう!っていう商魂丸出しの考え方が、
なんとも人間臭くていいですよね。

そして、後の世でまさかの全国にその名前が知れ渡る名木になるとはね。
染井村の人もビックリです。

そして、この投稿をご覧いただいた方の中で、
もっとこの本書について深く知りたい!という方がいましたら、
下記にAmazonのリンクを貼っておきますので、
もしよろしければそちらからのご購入もご検討ください。

ぜひ、普段は絶対に考えないであろう、
「命とは何か?」「数とは何か?」という哲学的な思考の旅へ、
想いを馳せてみるのはいかがでしょうか?

では、この投稿が面白いと感じた方は「スキ」。
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どちらもお忘れなきようこれからも応援してくれるととても嬉しいです。

それでは、また次回の投稿でお会いしましょう。またね👋

◇紹介書籍リンク

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