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平均たるもの存在しないのかもしれない。
すごく面白いニュース記事を見た。
https://gigazine.net/news/20220705-average-not-trust/
アメリカのパイロット4000人全員の身長・体重を計測し、平均のサイズに合う椅子を作った。
でも、実際にその身長・体重の人は誰一人いなかったのである。
私たちは学生時代から常に平均を基準にしてきて行動してきただろう。
一番わかりやすい例は、定期テスト。
自分の点数にドキドキワクワクしながら待つ。
その点数が良い結果だったのか、悪い結果だったのかは「平均点」から計算していた。
平均よりも高ければ、まぁいいか。
平均よりも低ければ、やっちまったなぁ。と。
平均よりどれだけ高いか/低いかで自分の位置を把握していた。
大人になってからもそうだ。
出る杭打たれるという言葉があるように、周りと比べて何か突出しているものがあれば、周りはそれを抑えようとする。
これもみんなの思っている(これも勘違いなのだが)平均に押し下げようとしている行為に他ならない。
そもそも平均って何だろうか。
とーーーーーーっても当たり前のことをいう。総計÷個数で算出される。
70点の人が3人いれば、平均点は70点。
100点の人と0点の人がいたとすると平均点は50点。でも50点は誰一人いない。
平均なのに、誰一人としていないのはいったいどういうことなんだろうか。
もしかしたら、平均というものは存在しないのかもしれない。
もしかしたら社会なのか、環境なのか、お偉いさんなのか、、、誰かが勝手に決めたものなのかもしれない。
「平均」という概念で考えることは時に便利でたいせつなことなのかもしれないが、
もし平均の気軽さを利用して思考をやめているのであれば、物事を簡略化し均一化している愚行に他ならない。
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ときに(じぶんも)誰かが決めた「ふつう」に従っているだけかもしれないと考える時がある。
例えば、結婚した方がいい、家は持ち家がいい、みんなのおすすめは間違いない、とか。
問題なのは自分の頭で考えずに、自然と周りの決めた「ふつう」の上を走っており、そこから逸れた人を尖った言葉で貶すこと。
もっと自分の頭で考え、
自分の意思によって物事を選択すること。
思考せず、流される者をわたしたちは平均と呼ぶのではないだろうか。
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