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【隙あらば自分語り②】どうして、縁もゆかりもない京都市役所へ入庁したのか?

どうも!NPO法人FREEBOXで代表理事をしていますはまむーこと濵村和生です。隙あらば自分語りシリーズの第二弾です。今回のトピックはよく質問される内容なので、僕のことに少しは興味のある人とっては有意義な内容かなと思ってます。

ただ、当時大学生で情弱な濵村が考えたものなので、生暖かい目に見てもらえると幸いです。

結論から言えば、将来性のある自治体である京都市で、伝統工芸品の支援によって日本の国際競争力の向上に寄与したいと考えたからです。

そもそも、僕は大学時代に入っていたNPO法人ドットジェイピーでの活動の影響もあって、「公務員よりベンチャー企業に入ってバリバリ仕事したい!」と思っているタイプの人間でした。

しかし、親からなんとなく「地元で公務員になってほしい」という気持ちを感じとっていました。明言されたことはないですが、少なくとも当時大学3年生だった濵村はそう感じとっていました。一方で、地元で公務員になろうとはこれっぽちも思えませんでした。

そこで、自分の中で出た折衷的な答えが「公務員になるけど、自分の入りたい自治体で公務員になる。」でした。一般的に市役所や県庁に入庁する志望動機として、「地元だから〜」であったり「大学時代にその地域に住んでいたから〜」といった理由が多いのかなと思いますが、僕はちょっと違ったのです。

僕が自治体を選びの時に基準にしたのは、
①どのくらい将来の日本社会に寄与することができるか?
②組織として将来性があるのか?
この2点でした。

①の基準については、中国のような大量生産能力がない日本はコンテンツの質で国際社会で勝負するしかないと考えていました。ここでの質というのが
フランスのルイビトンのようなブランド力です。日本の伝統工芸品にルイビトンのような付加価値をつけて国内外に売ることができれば、日本経済、引いて言えば国際協力の向上に寄与できると考えたからです。

ただ今思えば、この動機はデータやエビデンスがないですし、そもそも市役所のやる仕事なのか?という疑問が出てきます。

②の基準については、当時日本ではコロナ禍前で観光収入の重要性が叫ばれていたので、京都市はそんな日本でリーダーシップを取ることができる
モデル都市なれると思っていました。

ただ、蓋を開けてみれば京都市の財政は大赤字で、税構造の問題で観光収入が京都市のダイレクトな収入にならないといった現実がありました。悲しいかな、濵村は京都市のパンフレットの美辞麗句にまんまと踊らされた、ド阿呆だったのです。

以上のように京都市に入った当初の理由は、将来性のある自治体で伝統工芸品の支援をしたかったらです。

ただ、入庁後も生活保護やマイナンバー制度担当といった伝統工芸品の支援とはほど遠い部署で仕事をして、その中で僕の関心自体が伝統工芸品から離れていきました。本職では満たされない知的好奇心を外部のNPO法人の活動で補っていった結果、まちづくりやキャリア教育へ関心がシフトしていきました。

一方で、小さな関心ごとは複数あるけれど、「これに人生を賭けたい!」と思えるような、大きな関心ごとには未だ出会えていないのが現実です。いろいろなことにチャレンジはしているけど、決定打に欠けるのです。

NPO法人運営の本格化や京町家での元大学教授とのシェアハウス、イベントルームのデザインなど、やることはそこそこあります。ただ、このまま公務員を続けるのかは悩んでいます。当初あった願いは叶わず、今は生活のためだけに市役所員であり続けている。とはいえ、他にやりたいことが明確にあるのか?と聞かれても答えられない。実にもどかしいです。

自分にとって「善い生き方」とは何なのか?そんな大きすぎるテーマの問いを最近は考えています。


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