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優しい情報の弊害

最近は耳に優しい情報が多く世の中に溢れています。


「ありのままで良いんだよ」

「頑張らなくていいんだよ」

「あるがままでいいんだよ」

「変わらなくていいんだよ」


それらを100%否定はもちろんしませんし、伝えたいことも解るのですがこれだけだとフワフワし過ぎて掴み所がない。この情報を真に受けるとある意味危険です。


必要なことをやらなくなるからです。


安心感さえあればいい、と錯覚してしまうと必要な行動を取りません。


整体、セラピストの世界でも「技術より大事なことがある!心、在り方が全て!」と発信する方も昨今多いです。真に受けないで下さい。技術も大事です。


技術に関して鍛練も探求もしたことの無い、したつもりの経験の浅い輩が発信しているのを最近は本当に良く見かけます。みる人が観れば偽物か本物かはすぐにわかります。本当に薄っぺらいので。


技術がどれだけ大切なのかを軽視し過ぎている事に腹立たしさを感じます。在り方や技術、どちらが大切じゃなく「どちらも大切」


鍛練や探求はハッキリ言って楽ではないです。頭をかきむしりながら物によっては練習を始めてから出来るまで何年もかかるものもあったります。僕も練習を始めてから出来るまで15年程かかった技術があります。諦めませんでした。出来るようになると自分で決めたからです。


技術は磨かなければただの石ころと同じ。光るまで磨き続けるしかありません。あるがままをそのまま信じるとただの石ころのままです。



「誰にでも再現性のある」「主婦にもできる」「習って直ぐできる」などという謳い文句がありますが、深い意味ではそのレベルです。


技術は様々な問題に対してそれを乗り越えようと、先人たちが真剣に創り、磨き、高め、芸術にまで昇華させてきました。その想いや歴史をなめるなよと思います。その経験、歴史を感じて鍛練、探求してきた人はそんな甘い言葉は口が裂けても言いません。間違いなく。


鍛練、探求して自分にとって価値のあるものを手に入れたときにそれを扱うだけの「自分の在り方」が必要になってくる。料理人の包丁の様なものです。一流の包丁は一流の料理人だから使いこなせる。その域に達した人だからこそ「技術の先の在り方」を語る資格がある。


最後に自分を、大切な人を守りたいときに必要なのは鍛練、探求してきた己の経験のみです。それが力です。


今回は私たちの世界の事を引き合いに出した内容でしたが、全てに通ずる内容だと思います。


フワフワした情報で安心するのもいいですが、自分が夢中になり、鍛練することや追及する事が楽しいことは無いですか?それを何年も何年も何年も続けて下さい。積み上げまくって下さい。きっと人生が拓けてきます。







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