空想短編小説:真夜中の温泉2
「へぇ、1人旅ですか、私と同じですね」
男は、温泉に入ってからもひっきりなしにしゃべり続けた。まるで100円ドロボウと疑われないための予防線を張るかのように。
「いや〜田舎の温泉宿っていいなぁ〜! あっはっは!」
向かいの流し台で頭を洗いながら、1人でしゃべり続ける男に、ぼくはさすがに同情してきた。
「あの……」
「えっ? なんだい? 100円かい? 分かってる! あとでアイス買ったときに、一万円札崩すから! はっはっは!」
「いや、そうじゃなくて……」
「あーっはっはっは! うははははは!」
「ここは私語厳禁ですよ」
ぼくの一言に、それまで狂ったように笑い続けていた男の動きがぴたっと止まった。
そして、頭をシャンプーまみれにした状態で、こういった。
「そうか……」
ふたりとも身体を洗い終え、ほぼ同時に湯舟に浸かる。
ここには、熱い湯とぬるま湯、水風呂とサウナ、外には露天風呂のコーナーがある。
男もぼくも、40度くらいのほどよい湯に浸かりながら、しばし温泉の時間に集中していた。
他にお客さんはいない。いるのはぼくたちだけだ。
なぜかふたりとも、隣り合うほどの距離で横に並んで座っている。
「あの……ちょっと差し入った話を聞いてもいいですか?」
タオルを頭にのせたまま、男がうつろな目をしていった。
私語厳禁という言葉がこの男には通用しないことをぼくは薄々感じていた。
何かは分からないが、この男はぼくと会話をしたがっている。
「はい、なんでしょう」
ぼくが、ある程度覚悟を決めて返事をすると、男の答えは自分の予想をはるかに上回るものだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?