空想短編小説:真夜中の温泉3

「想像してみてほしい。ここが大草原だと」
ぼくは、男がいっていることの意味が分からなかった。
男は構わず、右手にあるカラン置き場を指差す。
「あっちの小高い丘のほうから、たくさんのアルマジロが何匹も何匹も転がってくるんだ。そのとき君ならどうする?」
かりに例え話だとしても。大草原に小犬とかならまだ分かるけど、なぜアルマジロなのか。

ぼくは、黙って湯舟から立ち上がった。
そして、男を見ないように細心の注意を払いながら、少しだけふらつく足どりで露天風呂のほうに向かった。
「す、すまん! 待ってくれ!」
男は慌てたように後ろからついてくる。
「よしてください。何の勧誘だか知りませんが、ぼくは大草原にたむろするアルマジロなんかに用はないんです」
「俺が悪かった」
なおも露天風呂にまでついてくる男に、さすがにぼくはうんざりしながら、顔を向けた。

「すまない……実は、俺は作家なんだ」
男は、手品のタネを明かすようにそういうと、両手をひらひらと振ってみせた。
「ここのところ、全くいいアイディアが浮かばなくてね。君との会話からヒントを得ようとして、ついあんなことを口走ったのだ」
「それにしたって、なぜ、よりによってアルマジロなんですか。それも大草原に」
「面白いからだ。月とスッポンということわざを、知っているだろう。ギャップのあるもの同士の組み合わせで、化学反応を狙っているのさ」
ぼくは男の真剣なまなざしにあっけに取られたが、すぐにこう反論した。
「ぼくにはちっとも面白いとは思えません。飛躍のしすぎです。アルマジロがいるのは、熱帯雨林かどこかでしょう? それに……」
「それに?」
「差し入った話というから、ひょっとしたら自分に関係がある話かと思ったのに、まさか大草原に、アルマジロの話とは……」
ぼくが苦笑すると、男は顔をほころばせた。
「おっ、やっと笑ったね。俺はさっきから君のそんな笑顔を見てみたかったんだよ」
そして、なおもぼくに迫りよってきた。
「さあ、ひとまず想像してみてくれ。大草原にたくさんのアルマジロが転がる光景を」
露天風呂の左奥にある、ジェットバスに黙ってぼくが入ると、男も隣に来て、低い声で静かに歌いはじめた。
「イマジン・フォー・ザ・ピーポー……」
これが夢なら、早く覚めてほしい。目をつむりながら、ぼくはそう思った。

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