生を実感する、コーラ

車で神奈川から宮崎を目指して、下道で旅をしていた時の話だ。

下道を走るという事は、必然的に峠を越える時間があった。それは避けられない。

濃厚な黒に包まれた峠を登る。
この時間が私は嫌だったし、恐怖だった。

夜に目覚めた動物たちが道路に顔を覗かせてきた。自分たちのテリトリーに侵入してきたよそ者に対して警告するような顔つきだ。

人間は傲慢にも、この地球を所有物として勝手に切り拓いていてはふんぞり返っている。

そんな目線を向けられているようだった。

僕は申し訳ない気持ちと先の見えない闇に対する不安で頭がいっぱいだった。
はやくこの峠を越えたい。それまでに襲っていた眠気はどこかに消え、恐怖による覚醒をしていた。

普段は片手を添えるだけのハンドルは、両手でしっかりと握り、前傾の姿勢をとる。何度もバックミラーで後方を確認をする。得体の知れない何かに追われている感覚だった。

じんわりと汗が出てきた、首が湿っているのが分かる。
やっと登りの道が終わり、下りの道へと差し掛かる。
少し安心したのも束の間、真夜中の下りの道は登りよりも最新の注意を払わなければならない。

一寸先の闇と下り道による、車の加速化に僕は戸惑った。アクセルの感覚が分からなくて、怖かった。

僕はエンジンブレーキを使い、この闇夜を下るスピードを一定化した。
それは身の安全性を保つと共に、不安と恐怖の時間の終わりが、遠ざかった事を意味する。

森から鹿たちが顔を出している。
ヘッドライトが反射した白く光る瞳が不気味だ。
額から汗が落ち、まつ毛に真珠のようにぶら下がった。

するとガードレール越しに、街の明かりが見えてきた。私は大きく息を吐いた。

これほど文明の光に安堵をした事は初めてだった

無事に峠を越えて、田舎町にぽつんと一軒あるコンビニに入った。

店員の無機質な「いっしゃいませ」の声が暖かい。

僕は一目散にコーラをレジに持って行き、外で一気に飲み干した。ほんとうに美味しかった。

心、体の底から生きている実感が湧いた。

生と死は表裏一体。

身の危険を感じる事で、生に対する執着を改めて実感する。

死の危険に晒される事ない社会に僕たちは生きている。

狩猟時代の人間はこんな感じだったのかなあと思い、僕は生が集まる光の集合体を目指し車を走らせた。




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