チョ・マテヨ(笑)、ChatGPT!

CharGPTは興味深いAIだ。注目されるのも分かる。
しかし、“intelligence”を獲得したか、と訊かれれば、「まだかな」という感想を持つ。
このAIを使うには、前提として
「質問者がその訊ねる問題をよく理解していることが必要だ」
ということだ。
「えっ、それじゃ訊く意味ないじゃん」という声が聞こえそうだが、そう答えざるを得ない。
データベースはかなりの量を蓄えてはいるのだろうが、質問に対して、その取捨選択が常に正しいとは言えないからだ。
これは重大な事で、これが改善されない限り危なくて使えない。つまり、先の命題は外せないということになる。
この事実を常に頭の隅に置いておかないととんでもない混乱が起きる。
少し話しが逸れるが、昔、新聞やテレビ報道には、大きな過ちはないと、多くの国民は信じていた。しかし、驚愕すべきは、それらのメディアは端から真実を伝える気などなかったという事実だ(或いは、事実の中に虚偽、或いは事実の断片(これは受け取る側にバイアスを掛けてしまう))。現在ではこの事実は、かなり人々の間でも知られてきたが、まだまだ足りない。実際これらのメディアの報道が今でも「事実」だけを伝えていると信じている人は多い。ちょっと前まで「何でそう思うのか」と尋ねれば「新聞が、テレビが報道していたからだ」と真顔で答える人は多かった。いや「ちょっと前」どころか現時点でもそう思っている人はかなりいるだろう。

これは、弱点の様に思われるが、実は「人類が発展してきたひとつの大きな要素」ではある。つまり、実際に体験したことでないことでも信じることが出来るというのは、人類発展のために大きな能力でもあったからだ。ネアンデルタール人は現人類より大きな脳容積とそれに伴う知力も現代人より高かった、というのが研究で分かってきた。では、なぜ現人類、サピエンス・サピエンスは、ネアンデルタール人を駆逐してしまったのだろうか。それは、噂でも信じる能力があったからである。噂でも集団でそれを信じれば大きな力となる。ネアンデルタール人は、実際に見たもの、聞いたものしか信用しなかった。つまり大きな集団を作ることは出来なかったのだ。結局数の力で負けた。
この現人類の特異な能力は、長所ともなれば、自らを滅ぼす短所ともなる。実際、この現人類の性質を知り尽くした一部の者達によって、多くの者は翻弄されてしまった、いや、されている。その者達の利益のために多くの者達は滅びに直面している。最終的にはこの文明は「また」滅びる運命なのかも知れないが…。
閑話休題。
残念ながら、ChatGPT型のAIは、少なくとも現時点では危険である。分かって使っていれば良いが、無批判で全面的に受け入れれば、それは非常にマズい。AI自体が悪いというのではない。あくまでも人間が主体になって利用しないと、道を誤るということなのだ。
大勢の人の中から特定の人物を見つけ出す、或いは、頭の中にある映像、音などを具現化する、などの使い方であれば、AIはその能力を十分に発揮し、しかも人類にとっても有益だろう。しかし、無批判にChatGPT型のAIを信頼することは、今のところあり得ないし、一部の者達によってそのAIにバイアスを与え、それを鵜呑みにしてしまう者達が大勢いれば、それは危険を通り過ぎて壊滅的結果を齎すと思って良い。
 残念ながら、人類は善悪綯い交ぜの存在である。良い事もすれば、悪に手を染める者も多い。得てして、大財を築くものは、その傾向が高いようだ(そうでなければ財は築けない程、経済的環境は偏向してしまっている)。利のためならなんでもする、またそうでなければ、なかなか巨万の富など得られないご時世なのだ。
人類出現時代の頃、脅威は自然そのものであった。苛酷な気候環境、獰猛な生物からの回避、生存することすらままならない環境であっただろう。その問題をひとつづつ大きな団結と共に解決しながら、人類に有利な環境を築いてきた。しかし、今度は、膨大に膨れ上がった欲望によって、新たな問題を抱え込んでしまった。優勝劣敗なのだそうだ。劣るものは滅びれば良い、そう考える者も増えてきた。弱小企業は解体して大企業と合併させるか、そのまま潰してしまえば良いという考え方も生まれている。この度の感染禍でその傾向は目に余るようになった。しかし、弱小であろうがなかろうが、きちんと生活できる場があることが重要な事ではないのか。小さな店でも、それで生活が出来るのであれば、苦しいときに支援してもいいじゃないか。というより、その店が存在することで、生活できる者がいるのであれば、潰してしまい路頭に彷徨わせ、公的支援を与えなければならない状況に追い込むより、余程社会は安定する。
大自然の弱肉強食の世界から何とか脱出することができた人類を、また再びその世界に戻そうというのか。それも今度は、人工的な一部の人間の欲望のために?
 
AIの話しから随分外れてしまったが、本質は実はそう変わらない。肥大した欲望は、人類を破滅に追い込む一番の悪癖なのだ。これは宿痾なのか?
自然に生きる生物は、自らの生命を維持するための欲望しか持っていない。腹が減れば、他者の命も奪うだろう。しかし虐殺はしない(ライオンなど競合する他の動物は襲うこともあるが、それも大規模で行うことはない。追っ払ったり、時には殺傷もするが、それだけである)。しかし、人はのべつ幕なしに獲物を捕らえ、剰え絶滅に追い込んだ生物は数知れない。昨今「自然を守れ」と喧しい。ならば言ってやろう「人類が滅べば自然は最も歓喜に満たされるであろう」とな。
さらに、人類が考えついた「金に対する欲望」には上限がない。抑制する要素がないのだ。いくらでも肥大する。そして、その欲求を満たすためにあらゆる事をする者達が出現した。金は権力となり、権力は金を欲す、際限がない。その為には他者の命など省みない。一体どんな「生物」なのだ、人類とは…。
 
AIについて語ろうとおもったら、まさかこんなところまで来てしまうとは、思わなかった…。Good grief!

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