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都市計画家の「銀言」①〜「プランナーの仕事は第一次近似解を出すことなんだよ」(伊藤滋)


ふと気づいたら都市計画なんて世界に足を踏み入れたのがもう30年前。民間の都市計画事務所に勤め、大学の産学官・地域連携に係り、今は都市・環境をテーマとした拠点の運営。もはや都市計画家(以下「プランナー」)とは言いづらい立場だが、都市・地域に係り続けていることは間違いないし、大御所と呼ばれる都市計画家の「登壇」や「著書」ではない言葉を聞くこともそれなりにあった訳で…。「記録」には残らないが「記憶」に残った、そのような言葉を残しておこうと思う次第。公的な「金言」ではない、「いぶし銀」なつぶやきという感じ。
なお、この文章は個人の言葉を対象にしているが、決してその人を無条件に礼賛するものではない。その言葉をきっかけに様々な「プランナー(プランナーと言えない人も)」を見て、考えた内容を言語化することが目的。その言葉をくれたことには大きく感謝しつつ。

ひとまず第一弾を書き出してみる。社会人になってまだ日も浅い2000年頃。たぶん同窓会で聞いた話、もしくは事務所の会議室から漏れ聞こえた話かもしれない(大学の恩師でもあるし、入社した事務所とも懇意な関係なので、逆に記憶が曖昧)。

「第一次近似解」って?

都市という多変数なシステムを計画する際にいきなり完璧なものはできない。だが、大づかみでも根本は外さない基本骨格がなければ計画がスタートできない。そんなスタート地点を「第一次近似解」と解釈している。

導き出すためには何が必要?

口で言うほど簡単なことでもない。多様な人が暮らす場所が都市であるから、その多様な価値観をカバーしつつ、個別に惑わされて全体を見失わない総合的な知見やセンスが求められる。「雑な計画」ではなく「大きなストーリー」なのだ。

では、そんな大きなストーリーを描くためにどんな技術や手法が必要なのか。都市の計画なので、図面やスケッチは当たり前なのだが、伊藤滋事務所で見た一枚の紙片が忘れられない。そこには全都道府県の人口の変遷と予測が鉛筆で手書きされていた(「人間エクセル」)。この時代、あまりに単純な計算で非効率的にも思えるのだが、その様に覚え、弾いた数字は強いリアリティを持つ「体感知」となるように思える。

その「体感知」があるので、数々の批判に耐えながらも、第一次近似解を提示することができるのではないか。あまりに不確定要素が多すぎる都市の計画、しかも前提条件や微細な齟齬をつけばいくらでも批判はできる。そんな矢面に立つ意思・覚悟、それがなければ第一次近似解を「考えること」はできても「提示すること」はできない。プランナーが「世に問う」のが第一次近似解だ。決して、役所や企業の担当者が部分しか見ない、また個人の責任を回避するために「上司に説明する」ものではない。

とはいえ、単なる意固地な主張は、そもそも都市の計画ですらない。土地の自然や経済と言った前提条件、もしくは共有すべき将来像を多様なステークホルダーとすり合わせていくこともプランナーの役割だ。実際に事業を推進する行政や企業、各々の専門分野のコンサルタントやエンジニア、そして何よりも本体のクライアントである市民。ある伊藤門下生は「創造的な調整」という言葉を使っていた。

最後に、都市は生き物であるから第一次近似解そのままでは、プロセスの中では役に立たなくなる。第二次、第三次の近似解を出しながらチューニングしていくことが必要で、「しなやかさや余白」を持つということも第一次近似解の重要な条件(実は計画屋がつい忘れがちなこと)。もっと言えば、その様な更新を育てることも重要な役割だろう(その点、僕は「ごめんなさい」としか言いようがない)。


「第一次近似解」を取り巻く構造スケッチ

都市計画家に限った話ではない

なんとなく頭に残っていて、でも解釈ができなくて、仕事もいわゆる「(都市)プランナー」ではなくなって、でも自分が都市に関わる視点はむしろ多様になっている感触もあって…、やっと言語化した次第。

そして、この「仕事」は、都市計画家だけではない。未来を創っていく、創っていこうと思う全ての仕事に通じるマインドセットなのだと、10年くらい、悶々とダラダラと、自分に染み込ませてきた言葉。

(追伸)伊藤滋さん92歳と10日の同窓生の集い。ちょっと端折ってではあったが、やっとこのようなことを直接にぶつけてみたところ、「うんまぁそうだ」とのことであったので、かなりホッとした。

2022.08.31渋谷にて。お元気です。

さて、②以降はいつになるやら。残しておきたい言葉はまた2~3あるのだが…。

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