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コミュニティのかたちと都市デザイン

このイベントは、『コミュニティのかたちと復興区画整理』刊行イベントという位置づけ。「土地区画整理事業」という都市計画事業の手法で、更に言うならば東日本大震災という未曾有の都市破壊の復興において、「地域らしさ」を継承できるか、がテーマとなっている(2023年12月1日開催)。配信支援を行いながらだったので途中で聞きそびれた箇所もあることを予め言い訳しておくが…、微力とは言え復興まちづくりに携わった者として、ポイントと感じたことはメモしておきたい。

多くの地域で用いられる手法でありながら、画一的で無個性な空間を生んでしまうといったイメージが強い「土地区画整理事業」。その「土地区画整理事業」を通して、「地域らしさを継承するまちづくりは可能か」を東日本大震災の復興事業、とくに岩手県大槌町町方・吉里吉里地区での実践・研究をもとに論じるという内容。

※本論に向かう前にまず…、『復興区画整理」という言葉も「関東大震災」(1923年)ではなく「東日本大震災」(2011年)にかかる言葉になったかと思うと、時の流れをしみじみ感じる。もちろん関東大震災の時に生きていた訳ではないが…

トークセッションでは、岡村健太郎氏の司会のもと、大槌町の復興まちづくりを中心に下記3つのプレゼンテーションを行うと共に、『都市の問診』著者で大船渡市綾里地区の復興まちづくりに携わった饗庭伸氏とのディスカッションが行われた。

「東日本大震災の復興プロセスに見る計画変更と地域性」(五三裕太氏)

約10年に及ぶ復興事業の中では、計画内容が変更されたものとそうでないものがあり、防潮堤のように震災直後の復興計画で策定され、その後の計画・事業のベースとなるものは変更が難しい傾向がある(気仙沼市内湾地区の防潮堤は例外だが)。

変更の理由は住民の意見であり、そこには「地域らしさ」への議論があったはずだが、そのような変更が復興時ではない平時の都市計画でどう考えられるか、また、「住民の意見」を実際の計画変更に結びつける際の判断基準をどう考えるか。

「ボトムアップ型の計画策定とコミュニティのかたち 」(福島秀哉氏)

大槌町の復興まちづくりでは、各地区で徹底して住民の意見を吸い上げるボトムアップ型のアプローチをとった。ただし、歴史的な経緯もあり、コミュニティのあり方や文化が異なる。町方地区では小字を基礎とする「近隣コミュニティ独立型」、吉里吉里地区では昭和三陸津波で一度集落構造がリセットされた経緯もあり地区の一体感が強い「地区・近隣コミュニティ階層型」とのことであった。

地区によって「地域らしさ」も異なる中、大槌町では「デザインノート」というツールを使い、俯瞰性と具体の空間イメージを両立させながら、ボトムアップ型の復興まちづくりを支えてきた。具体的には、区画整理の前段階で公的空間のイメージを共有しておくことで、区画整理(換地)でそれを実現するなど。

町方地区、小字が基礎となって復興にも反映されている様子が伺える(2021年10月撮影)

「大槌町における復興の拠点づくりとコミュニティのかたち」(二井明佳氏)

大槌町の復興まちづくりでは、人々の暮らしや仕事を支える「小さなインフラ」を地域に埋め込んできた。そこには、拠点という空間と同時に、それをうまく使っていける市民を育てていくことも同時に求められた。

少なくとも都市計画のプロ仕事としては、夢を語るだけではなく、それをどう実現していくかが求められる。それは、単に「できることしかやらない」と矮小化することではなく、ビジョンと方策、それを支えるプロセスと体制を丁寧にデザインすることだ。

とはいえ、まちに暮らす人は「まちをつくる」ために暮らすわけでもないので…、プライベートとパブリックのモチベーションを調整しながら、両者が溶け合った空間をつくっていくプロセスは大変だけど、とても創造的な仕事だと感じる。


大槌町文化交流センターおしゃっち・御社地公園(2021年10月撮影)

▼ディスカッション、Q&A

ディスカッションは二部に分かれて行われ、根源的な問い(変化球?)と大槌での具体的な取り組みのキャッチボールがなされた。

都市デザインの手法としては、「デザインノート」というツールが各々の地区のコミュニティ特性を引き出しつつ、地区住民はもとより復興区画整理を初めとした行政都市計画との橋渡しとなってきた様子が伺えた。復興ではないが、僕の初プロジェクト(もちろんペーペーの立場で参加)も官民連携の協議会により「ガイドプラン」をつくりながら、区画整理や公園デザイン、民間建物との調整を行う協議型デザインの先駆けだったため、なんとなくイメージできる。

大槌の場合は法人ではなく、かなりディープなコミュニティに根ざした個人が対象であったということで、そのコミュニケーションも相当なものであったとは思うが、そのプロセスが復興区画整理に「地域性」を埋め込むことにつながったのだろう。セッションでは景観学の大家、中村良夫氏の言葉「私的な感覚を持てないと、場所への愛着も湧いてこない」も紹介されたが、地域性とは(自然・文化などもさることながら)地域の人の想いが活動や空間として滲み出してくること、と改めて思う。他にも「死者の民主主義(畑中章宏)」といった概念なども新鮮だったが、僕の頭が追いついておらず言葉のメモまで(配信もやっていたということで…)。

また、会場からは「なぜ復興区画整理では、このように丁寧ではあるが非効率に思えるボトムアップな合意形成プロセスを踏むのか」という率直な質問もなされた。質問者は実は韓国の青年で、お国柄もあるのだろうが、韓国では自然災害も少ないという背景もあったみたい。登壇者からは、日本では関東大震災以来、震災復興の常套手段として区画整理が使われているが、これは、居住者が居る地域では「住民≒権利者(事業者)」となり、合意が形成されないと事業も進まない。従って、事業実施までの期間を考えるとボトムアップ的な手法が結局は早くなるという回答があった。ただし、そのような事業特性をふまえながら、丁寧に協議を行っていくことで「地域性」が埋め込まれていく。「復興」と「地域性」と「事業」の関係を考えさせられるセッションだった。

最後に、忘れてはいけない登壇者からの言葉。
「震災復興を思い出話、武勇伝にしない」

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