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蒟蒻問答

最近は繋がる力やコミュニケーションが大事にされ、皆さんはいろんな形で取り組みされていますよね。

逆に、繋がったりしない…
コミュニケーションしないってのも、同じくらい大事なんじゃないかと思っていて…

そういう時に、笑点でお馴染みだった桂歌丸さんの蒟蒻問答の古典落語を思い出します。

内容は、寺にきた問答僧を追い返す為に、蒟蒻屋の主人が寺の和尚になりすまします。
蒟蒻屋の主人は、問答も知らなければ…
お経も唱えれない…

普通に問答しては負けるので、目が見えない耳が聞こえないふりをし、地位の高そうな袈裟を纏います。

問答僧は、初めに2問ほど質問をしますが…和尚になりすました蒟蒻屋の主人は、無言です。

問答僧は、返答がないので…
無言の問答を挑まれたと、勝手に思い込み無言でジェスチャーを交え問答を続ける。

その動きに蒟蒻屋の主人も、よくわからず応戦。
周りから見たら、よくわからない奇妙なコミュニケーションを取ります。

問答僧は、蒟蒻屋の主人の適当な動きを見て、自分の中で勝手にすごく深いメッセージだと解釈して、勝手に一人で次々と論破されていく。

そして最後に負けましたと大満足して、寺を去っていくという話です。

常にコミュニケーションっていうのは、一方的な勘違いが多いので、子供の気持ちも正直あまりわからないわけで…。

子供がいない場所で、みんなで子供の話を語り合いわかった気で、大満足して帰っていく。

こういうコミュニケーションは、間違えているんじゃないかと思ったりします。

何を言いたいかというと…

子供は、周りの空気を感じ気を遣いますから、優しい嘘もつくし…
本音を聞き出すのは難しいですよね。
注意深く行動を観察して、適切な言葉をかけていきたいですよね。

すみません。
この文章は、自分に言い聞かすように書いてますwww.

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