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「幸せでいなければならない」という圧力に押し潰されそうになる。キラキラ女子とか干物女とか、構わないでよと思いながら今日も剥げかけたネイルで電車のつり革を握っている。

名前をつけることで、構造を理解し、救われることもある。

共感したり、仲間を見つけたり、もやもやした思いを言語化してくれたり、見ないふりをしていたものを見せつけられたり、自分を見つけてもらえたようでぼろっと涙がこぼれたり。

電車の中吊り広告や、インターネットの広告、テレビや雑誌や、生活していれば嫌でも目にはいるそれらのなかで、時々ものすごく息苦しくなることがある。

「幸せでいなければいけない」

そんな圧力に押し潰されそうになる。

モテるための洋服、モテるためのメイク、モテるための言動や、習い事、ボディメイク、脱毛、恋人にねだるプレゼントはこれ、理不尽なことも子どもの可愛さで吹っ飛ぶ、婚活をして、旅行に行って…

あれを買って、これを買って。笑って。もっと。
「幸せになるために」

そんな極彩色の広告に取り囲まれて、目眩がする

電車の窓にうつる私はとれかけたパーマがぼさぼさで、いつも眉間に軽くしわが寄っていて、剥げかけたネイルでつり革をつかんでいる。朝描いた眉は半分くらいないし、何時間もとれないと謳う口紅がよれたまま張り付いている。

何で広告の中の女たちはいつでも笑っているんだろうか。

でも、私っていま、不幸なの?

あれを買わなきゃ、笑っていなきゃ、不幸なの?

欲しいものを自分で稼いで買っても、友だちと写真を撮って笑ってるだけでキラキラとか○○女子とか揶揄されて。身なりに構わなかったり、興味がなければ干物。

女だから何が好き、ってそんなことあるわけないじゃん。

この社会のなかで、女はいつまで、イレギュラーなもの扱いされるんだろう。いなかったことなんて一度もないのに。

平日の昼間に時間があって、旦那の稼ぎで少し高いものを食べる。

いまよりもっと女性が働きにくかった時代に、地域で快適に過ごすためのコストは見ないまま、子育てや家事に疲れはてて月に一度友だちと集まるとか、近所付き合いや子どもの親同士の付き合いとか、現実を無視して「女」にそんな浅ましいキャラクター付けをしたのは誰?

性被害に合っても責め立てられて、セカンドレイプなんてお構い無し、加害をなくそうとする努力よりも被害を無かったことにする方が簡単で。

誰でも良かったって言いながら、自分より弱そうな女や子どもをターゲットに選んでる。

扱いやすい女でいることも
恋人や結婚のことしか考えない女でいることも
流行りものを可愛いとしか言わない女でいることも

その逆張りをすることも

私には面倒で仕方ない。

男のために存在する女、男のために存在しない女。従うか、抗うか、二択しかない?

本当に?

その社会で生きている限り、ある程度は社会規範に縛られた思考や選択肢しか見えないんだけど。

そもそも「幸せでなければいけない」なんてことないし、ボロボロで働いてる自分格好いいみたいな話でもない。

経済も幸せも安心も、際限がないものだから
ちょっと疲れるだけ。

幸せかどうか監視されてるみたいで
ちょっと疲れるだけ。

誰かを信じて任せちゃえれば、楽なのかもしれない。とりあえず1つ考えなきゃいけないことも、決めなきゃいけないことも減る。

でも私の人生を、誰かが代わりに生きてくれたりはしないし。

明日着る服はアプリが決めてくれても、それが私に似合っているかは他人が決めてくれても、それが私にとって心地いいかはわからない。

最近は、どうやって私は死ぬんだろうってそんなことばかり考えてる。今のお年寄りみたいな老後は来ないだろうし、そもそも今がすでに老後のような気がしてる。

それでもまぁ、明日はきて、明後日もきて、私はそのうちにネイルを塗り直してまた電車に揺られている。

しばらくすればパーマヘアの整え方も覚えるし、新しいコートを着て笑っているかもしれない。

でも、一人でいるときにはやっぱり少し眉間にしわを寄せて、不安気な、苛立ったような顔のまま生きていくんだろうなと思う。

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