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ふれあわずには生きていけない私とあなたが生きている此処を社会と呼ぶが、「私」を売りに出したつもりはないので財布を仕舞え。

「ふれる社会学」という本のトークイベントに行ってきた。短大でも、大学でも社会学を専攻していたのだけど、その頃に自分が書いた論文を読み返すとまじでちんぷんかんぷんでびっくりする。

自分の脳の劣化と言うか、もともと私は一晩で覚えてテストで良い点数とって次の日には忘れてるタイプなので、試験に落ちても悔しさとか感じられないし、残るものがないという点では勉強しないで他のことを楽しんだり学んだ人の方がよっぽど正解だと思う。便利どけどね。

さて。

昨日はInstagramの中で、女性たちが自由について話せる場について話した。今日はTwitterの話。

Twitterで、女性たちが自由に語っている場は、ダイエットアカウントであると私は思う。

ただし、いくつか注意しなければならないこともある。

まず、当然ながら、ダイエットアカウントには男性もいる。

それから、女が自由に語れる場が「ダイエット」ってどういうこと?と思った人。私も心からそう思う。闇が深すぎるよね。

ただちょっと安心して欲しいのは、多くのダイエットアカウントは、自分自身のために痩せようとしていること、痩身とは言うものの健康体重に近付けようとしていること、それから間違った(危険な)ダイエット方法に対する注意喚起がたえず流れていることだ。

次に、容姿を他人にジャッジされた経験のある人が多い。その経験談は、私から見るとあまりにも残酷でむごい。あまりにも多くの人が、親きょうだいを始め、親戚や、夫、恋人、友人、クラスメート、または通りすがりの人や、テレビの中の表現からも、罵詈雑言を浴びせられ、傷付いている。

私はこれまで幸運なことに、そういう直接的な言葉をかけられたことはない。だから最初にそういう投稿を見たときにはかなりショックを受けた。かなり例外的に酷い話なのかと思えば、そういうエピソードがぼろぼろ出てくる。そしてそれを、当たり前のことだと受け入れてしまっている人も多い。でも、それに対して他の女たちが代わりに怒り、共感することで癒し、励まし、支えあっている。だから、よく「ダイエットアカウントの人たち優しすぎる」といって泣いている投稿も見かける。
単純で、ありきたりなフォローをめちゃくちゃ必要としている人たちがいる。でもそれを見たあなたが傷つく可能性があるので注意喚起はしておきたい。

最後に、これがやっかいなんだけど、未成年の少女も含む女性たちが、努力の結果や目標達成を示すため、自己承認欲求を満たすため、また自分の市場価値を確かめるために、或いは危機意識の欠如により、しばしば性愛的なアピールを手段に用いていることに否定的にとらえたり、不愉快になる人は、まぁあんまり向いてないと思う。

局部は隠しているとはいえ、自らの裸体をbefore after として載せている人が結構多い。もちろんそれに危惧を示す人もいれば、性別不問の称賛を求めて際どくなっていくこともある。

私自身は、確かにそれが精神的/身体的な危険性があり、また女性を搾取する社会を再生産しかねない行為であることは認めている。
特に未成年の少女に関しては、ネットリテラシー学んだ方がいいよと思っている。

が、絶対的に、悪いことをする人が悪いのだ。

女としてそこに存在しているだけで、彼女たちは(多くの場合)自分を売りに出しているわけではない。

それなのに、それを自分自身に何かが許されたかのように受けとるのは、認知が歪みすぎていると思う。女は売り物でも賞品でもない。空から降ってきて助けられたとしても、あなたを選ばなければならないなんてことはない。

何より、自らの美しさを誇って何が悪い、と思う。

ありとあらゆる年齢の、様々なコンプレックスを抱えた女性たちが、自らの意思で、自分自身のために、自分を愛する手段の1つとして、自分の身体をさらけ出すことの何を悪だと言えるだろう。

とは言っても、それらの写真を性欲を発散するために使う人は絶えないし、気持ち悪いコメントが沸いてることもあるし、そういったDMを送りつけてはブロックされ、メッセージ内容をさらされている場面もよく見る。

けれど、これだけ赤裸々に、女性たちが自分自身の体について、またセックスの悩みについて語っている場所は貴重だ。

太りすぎている、痩せすぎている、体のここが気に入らない、二重の幅が違うことで十年以上悩んでいる、胸が大きすぎる、小さすぎる。

夫が、彼氏が、自分を愛してくれない。愛してはくれるが、性の対象として見てくれない、そもそも話し合えない。

それから何故自分は太ったのか?という自己分析も興味深い。

幸せを感じられるのが、何かを食べている時だけ。
摂食障害を抱えていて、食べて吐いての繰り返し。
子どもの残飯処理は私の役目。
忙しすぎて残ってる惣菜を食べるしかない。
夫のリクエストが油っぽいものばかり。

深い、深い、闇のなかで、女たちが抗っている。

私の身体は私のものだ、私には意思がある、私が私を愛したいんだと叫んでいる。

それを私はとても格好いいと思うし、それが言える場があることを嬉しいと思う。

あとは、ここでもまた彼女たちがフェミニストを名乗ってるわけではないんだけど、ジムで男性の視線が気になるとか、セクハラにあったとか、そういうことに対して「男の人が目のやり場に困るとか言うけど、ならお前が目を閉じればって思う」など、リアルなアカウントではまだ言いにくいだろうことを言ってる人がいるのも楽しい。

例え、問題が山積みだとしても、途上にあることが私は喜ばしいと思う。そこまでは来れたってことだからね。

ダイエットアカウントと隣接するカテゴリーには、美容アカウントと、筋トレアカウントがあって、これは重なりあう部分もあるけど、それぞれ空気は違うのも面白い。

というわけで。
長くなってしまったけど、以上、Twitterで女が自由に物を言える場についてでした。

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