進化の時。絵を描く私の意識改革の話。
緊急事態宣言が解除された。
世の中は活気を取り戻しつつあるけど、まだまだ油断できない今日この頃。
時々、どうしようもなく行き詰まりを感じてしまう事はないだろうか。
今まではこのやり方でうまくいっていたのに、むしろ今も失敗しているわけでもないのに、なんだか違う、と思う時。
私は、そんな感覚を2週間前に感じてから、制作が思うように進まなくなった。
いつも通り、やりたい事をやっているのに、心がウキウキ弾まない。
やりたい事とはいえ仕事なので、ウキウキすることに囚われて何もしなくなるなんて馬鹿なことはしないが、それにしても、描いていても何か物足りないのだ。
その原因が何なのかわからないので、ひたすら考察する日々がしばらく続いた。
今までは、わからないと思ったことを放置して、そのまま考えること自体を諦めていたのだが、「自分の生きたい人生を生きる」と決めてからは、わからないと思ったことに正面から立ち向かうようになったのだ。
今回はこの行き詰まりについて考察したいと思う。
私達は目標を達成するために精進する。
小さい頃から何事に対しても、目標設定を求められてきたのは私だけではないと思う。
『算数のテストで100点をとる!』だったり『縄跳びで二重跳びを十回跳べるようになる!』でだったり、何か目標を掲げて、そこに向けて練習を積み、出来るようになるために努力を重ねる。
目標が達成できたらまた次の目標を見つけて、またそれに向けて精進をする。
そうして出来ることが増えていけば、将来の選択肢を増やせる、というのがこの流れの一つ目的だ。
学校でそんな事をしてきたかと思えば、社会に出ても案外そのシステムは変わらない。
PDCAを回しながら目標達成のために各自がミッションに取り組む。
違いがあるとしたら、その目標を個人で設定するか他人が設定するかくらいではないだろうか。
会社単位であれば上司に当たる人が部署毎や店舗毎の目標を作り、みんなでそれに向けてやるべき事をディスカッションし、実際に行動に移したらどうなるか?などを検証し、結果に繋げていくものと思う。
ちょっと乱暴な解釈だが、子供でも大人でも、「目標に向けて努力し、成し遂げる」という大枠にズレはないだろう。
未だ成し遂げない事を、成し遂げるために突き進んでいく。
実にシンプルな構図だが、未開のものに向けて進んでいくというのは、実にワクワクする楽しい行為なのだと、気付いているだろうか。
もちろん上手くいかず苦しい時もある。
糸口が見つからなくて焦り、目標を見失いかける事もあるかもしれない。
七転八倒しながらも目標達成に繋がると、それだけで救われた気持ちになるものだ。
目標というのは、達成してしまうとそこで一旦は終了する。
次の新しい目標を絶え間なく設定していれば、いつまでも挑戦を続けるので気にならないが、たとえば大きな目標を成し遂げた時、人は燃え尽きることもある。
それだけ、前進しているという実感はとても大切なものなのだ。
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