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もしも自分が消えたなら

10年以上、一緒に働いた上司が他の部署へ移動することになった。

その方は、美人で明るくて、気配り上手で、上司にも部下にもお客さんにも好かれる方だった。

特にプライベートでも付き合いがあるとか、そういう関係ではないのだが、職場に行くと必ずいる存在というのは、ある種もう一つの家族のように感じられた。

上司が馴染みのお客さん達に
「私、4月で移動になるんです。」
と報告すると、多くの方が残念そうにしていた。

今日もそんなやりとりを見ながら、私はお昼を買いに近くの商店街へ出掛けた。
弁当を抱えて歩いていると、老婦人に呼び止められた。常連のお客さんが僕に手招きをしている。

「これ、あの子に渡してくれない。」

老婦人は、商店街で人気の店の袋を抱えていた。中には上司が好きそうなお菓子が入っていた。

老婦人は上司が移動になることを知って、プレゼントを買って来たのだ。

「ご自身で渡してあげて下さいよ、喜びますよ、僕が渡したって色気がないですよ」

と言うと、

「だって、恥ずかしいじゃない」

と言われて、僕はプレゼントのお菓子を職場に持ち帰った。

僕の上司は、本当に皆から愛されているてなと感じた。
果たして、僕がここからいなくなったら、同じように惜しまれるのだろうか、と考えてしまった。

これまでも移動になった職員は沢山いるが、みんながみんな今回のように、いなくなるのを惜しまれていたわけではない。
どうしても人柄というのは出てしまうものだし、天性の人気者という気質の人間はいるものだ。

私の兄は、私と違って外交的で、友達が多いタイプだった。キャンプやツーリングが趣味でよく友達と連れだって出掛けていた。

そんな兄だが、もう10年以上前に事故でいなくなってしまった。

兄の葬儀には、生前兄と親しくしていた多くの友人が訪れた。

その様を見て母が僕に

「T君の凄さが分かったかい?」
(T君というのは兄の愛称です)

と言った。

兄と比べると、勉強は僕のほうが出来たから、母は兄よりも僕を褒めることが多かったように思うが、ああ、確かに俺が死んでもこんなに人は集まらんだろうなあ、と思ったのを今でも覚えている。
母も母で、僕のことをこいつは人付き合いの面は期待できないと読んでいたようだ。母の勘は正しい。

もしも自分が消えたなら

今、僕が消えたら、このnoteに綴っている間抜けな文章はインターネット上に残ることになる。

まあ何かの役に立つ文章だとは到底思えないが、小馬鹿にして笑って頂ければ、まだ報われるかな。

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