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もしかして、本屋は宇宙?
三度目の緊急事態宣言が出された。
なんというか、もう混乱するのに慣れてしまった。
飲食業の方やイベント関係の方は心労が絶えないだろう。
ぼくには、せいぜい自分が接する半径1メートルくらいの人達に、なるべく優しく、機嫌良く接することを心掛けるくらいしかできない。
さて、昨日は散歩がてらに、少し家から遠い古本屋に行ってみた。
いやはや、古本屋は実に良い。
まるで時が止まったような店内には、ラジオが流れていた。
ほのかにカビ臭い匂い、ぎっしりと本棚に埋められたかのような本達。
通り掛かりの親子には、不気味がられてさえいる。そうそう、子供には意味の分からない不気味な存在が周りにあるって結構大切だと思う。
ぼくが検索下手なのかもしれないが、YouTubeや Google検索でヒットする情報は、特に専門的なことは、細切れだったり、どこそこの書店ですぐに手に入りそうな本の内容をさらっと掬っているようなものが多いので、あまり面白くない。
また、普通の新刊を取り扱う書店に行っても、流行りの本ばかり置いてあるので、少し物足りない。
もちろん商売なのだから、売れる本を置くのは当たり前なのだが、そんな商売や時代を超越したような古本屋に、こんな時代だからこそ生き残ってほしい、とぼくは思う。
さて、昨日、ぼくが行った古本屋はまさにそんな場所で、緊急事態宣言なんかなんのその。
当世に居場所の定まらぬ、ぼくのような者をそっと匿ってくれる。
神保町の古本屋街の店と比べると、もちろん規模などは負けるのだろうが、夏目漱石「吾輩は猫である」初版本や、フェリーニのインタビュー集など、普通の本屋にはまず期待できない品揃えなのだ。
古いオカルト研究本もなかなか充実しており、思わずフリーメーソン研究の本を購入してしまった。今から読むのが楽しみだ。
思い返せば、どこかを旅行していても、ぼくは結局、本屋に落ち着いてしまうのだ。
数年前、仕事で長野県の松本市に一週間くらい滞在したことがあった。
そこでも結局はホテル近くの、あれは確か丸善だったかな、と美味いランチを出してくれるビストロっぽい店の三つをウロウロしていた。
大分に行った時も、一人の時間が出来ても、結局何をして良いか分からず、商店街をうろついて、怪しい面構えの古本屋に入った。
パリなんて洒落た場所に行った時も、おのぼりさん丸出しの自分が恥ずかしくて、サンジェルマンデプレにあった本屋に入って、思いの外、日本人作家、漫画家の本が普通に沢山置かれているのに驚いた。
さて、今日も行くあてもないので、本屋にでも寄るかなあ。
こうも、味のある本屋がなくなるなら、もう自分でやるかなあ。
読んで頂きありがとうございました。
また明日。
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