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太陽とウルトラマン

今日は晴れた、見事に晴れている、良かった。

最近、ぼくの休日は雨が降っていることが多くて、そんな日は気分もどんよりしてしまう。

寝室にいる時は、びゅーびゅーと風が吹く音が聞こえたので、半分眠りながら、なんだ今日も雨か…と思っていた。

リビングへ行くと、そこは眩ゆいばかりの光で溢れていた。我が家のリビングは、東向きに窓があるので、午前中は溢れんばかりに太陽の光が差し込む。ありがたい。

今の家に住むことを決めたのは、人からの助言が大きかった。住む家を決めるなんて、結局どうのこうのと考えたところで、これも何かの縁のような気もするので、えいや!っと決めてしまったのだ。

今の家を内見する時に、父がリビングに座って、
「ここで空でも見ながらボ〜としたら、気持ち良いで〜」
と言っていて、今よりも10歳くらい若かったぼくは、ボ〜とばかりしてても困るんだよなあ、と思ったのだけど、父の予言は見事に的中し、ぼくはリビングで空を見ながらボ〜としている。
そして、その時間は、とても好きな時間の過ごし方の一つだ。

前に友人宅へ行った時に、彼が流していたテレビ番組で(たしか「世界ふれあい街歩き」だったかな)、パリのセーヌ川の船の上で暮らすマダムが登場していたのだけど、彼女も船上で
「太陽があれば、他はなにもいらないわ」
なんて、洒落たことを言っていた。


特定の神様が定まっていなかった時、人類が崇めるのは、やっぱり太陽だと思う。

少し前、朝ヨガを習慣的にやっていた時、文字通り、ぼくも太陽礼拝をしていた。
太陽に向かって、動き、呼吸に意識を向けて、その光を浴びていると、自然に太陽に向けて拝みたい気持ちが生まれてくる。

きっと太陽光というのは、何か生き物にとって必要なエネルギーを含んでいて、それをぼくたちに恵んでくれているのではないかと思う。

そんなことを考えていたら、たしかウルトラマンも太陽のエネルギーで生きているって設定じゃなかったかな、と思い当たる。

ウルトラマンをウィキペディアで調べてみたら、もっと凄い複雑な設定があってびっくり。(長いのでここでは割愛します)
子供が見るものに、いや子供が見るものだからこそなのか、しっかりとした世界観設計が背景にあったんですね。


太陽が崇拝の対象だからといって、太陽に近づきすると、ぼくたちは瞬く間に灰と化してしまう。
心地よい気温や環境で太陽光を浴びている限りは、太陽はありがたいものだけど、太陽光が灼熱の光となって降り注ぐ地域では、その火が刃と化す。

太陽光を浴びることは人の活力の源にもなるけれど、そこに含まれる紫外線は老化も促進する。

なんだか、物事に対する適切な距離感みたいなものを太陽は教えてくれているのだろうか。

読んで頂きありがとうございました
また、どこかで

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