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憧れの国フランスの知られざる姿、オマール・シーの「ルパン」を通して見る、今のフランス。

20歳の頃、ぼくは南仏のアヴィニョンを訪れた。

そして、フランスという国はなんて美しくて、良い国なんだろうと思った。
街は太陽が降り注いで綺麗で、食べ物は美味しく、人々も朗らかで美しかった。

初めての渡仏以来、ぼくはいつの時代も一定数存在するであろう"フィガロ"を購読するようなパリに憧れるキラキラOLと同等、いやそれ以上に、フランスという国の文化、フランス人の人生観、パリの美しい街並みに今も憧れ続けている。

できることなら、作家の辻仁成さんのようにパリに住みながら、執筆をして、舞台の演出をする生活が送れたら、本当に最高だろうなあ、と良く夢想している。

ところがである。

先日、こちらの記事でフランスのこんな一面があることを知った。

ウディ・アレン監督が「ミッドナイト・イン・パリ」で描いたように、フランス、そして、パリは異邦人からすると、常に憧れの都である。

お洒落で、センスが良く、また多くの哲学者や芸術家が真理を求めてカフェで議論を戦わせたような、感性と意識の高い人々が惹きつけられる街であるという側面も確かにあるのだろう。

しかし、一方で上記の記事のように、人口の10%にあたる約600万人のムスリムを国内に抱え、分断の危惧を現役軍人達が実名入り署名で告白する、という内情も抱えているようだ。

ぼくもフランス好きを語っていながら、シャルリ・エブド襲撃事件の内実すら、良く理解していないのは、やはり問題がある。反省。

1998年のフランスワールドカップの開催国でもあり、優勝国でもあるフランスのドキュメンタリーをちらっと見たことがある。
ドキュメンタリーの中で、現レアル・マドリーの監督であるジネディーヌ・ジダンがフランス統合の象徴として、ジダンの活躍が果たした意味は大きい、という記述があったと記憶している。

その時、ぼくは「へーそーなんだ」としか思わなかったのだが、今思うと、フランス国内にはその頃から移民と、もともとの国民達がどう融和していくのか、という社会的な課題があったのだ。

ジダンはアルジェリア移民のベルベル人で、イスラム教徒だそうだ。
そんなジダンがサッカーを通して、いくつかのアイデンティティを統合する掛橋になればということなのだろうが、現実的には、まだまだ課題が沢山あるようだ。

そのようなフランス国内の事情を反映したかのように感じられる作品がNetflixにもある。

Netflixは、対外国に向けて、オリジナルコンテンツを作る意識が強いのだと、何かの記事で読んだ記憶がある。

だから、日本のオリジナルコンテンツはおヤクザさん関連が多いのか、と妙に納得した。

その視点で、フランスを見てみると、満を持して出て来た感があるのが、「ルパン」だ。

我らが「ルパン3世」ではなく、そのご先祖の原典、怪盗アルセーヌ・ルパンの現代版だ。

BBCが、イギリスの国民的キャラクターであるシャーロックホームズをベネディクト・ガンバーバッチで刷新したなら、フランスはルパンかと楽しみにしていた。

ルパン役はオマール・シー。「最強の二人」で国際的な知名度を得た俳優だ。

(Netflix公式サイトより引用)

ぼくは、ルパン役にオマール・シーをキャスティングすることが、フランスの現状を反映していると思った。

ぼくにとってのフランス人俳優といえば、ジャン・ロシュホールだが、彼のようなキャラクターがルパンを演じても、オマール・シーがルパンを演じるようなセンセーションは無いだろう。

↑ジャン・ロシュホールさん、「パリ空港の人々」何度も見てます。ご冥福をお祈りします。

で、このオマール・シー演じるNetflixの「ルパン」、面白いんだなあ、これが。

以下、ネタバレを含みますので、ご注意を。

オマール・シー演じるアサンは移民2世。
ある資本家の策略にはまり命を落とした父の無念を晴らす為に、父の形見であるルパンの物語になぞらえて復讐を果たす、という物語だ。

主人公であるルパンを移民2世という設定にして描くところが、今のフランスを映し出している。オマール・シーは、かつてのジダンが果たしたような統合の象徴としての役目を是非果たして欲しい。

兎にも角にも、ぼくのようなフランス好きからすると、現状的には厳しい問題も沢山あるのでしょうが、多種多様な文化を吸収しながら、世界で一番お洒落な国を自他共に認めるフランスであり続けて欲しいと願っています。
そして、それには平和であることが欠かせません。

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