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何故、何もしないでいると、不安になるのだろう?

悲しいかな、休日よりも平日の方が体調が良い。

社会人になりたての頃、上司に
「休日に体調崩して、平日に治るのがサラリーマンだよ」と、悲しいことを言われたのだが、これまた悲しいかな、なんかその感じが分かる自分がいる。

平日は決まった時間に起きて、シャワーを浴びて、出勤して、働いて、昼飯食べて、昼寝して、働いて、帰宅、という生活のリズムが整っているからだろう。
自分のオン、オフのタイミングも自動化されていて、夜は22時頃に自然と眠たくなって、ぐっすり眠れる。朝はこれまた自然と6時頃に目が覚める。

書いていて思ったのだが、まさに健康の見本のような生活である。

ところが、これが休日となると、ぼくは嫌な感じを覚えるのだ。
過度な自由時間に、ぼくは不安を覚えてしまうのだ。

平日は、朝電車の中で瞑想し、隙間時間に少し英語を勉強し、昼食前に運動をして、帰りの電車でnoteを書いて、とやるべき習慣が自動化されているので、意思の力も借りずにほぼ毎日それを行っている。

しかし、休日となると、朝起きて少しのつもりで覗いたSNSが命取りで、ダラダラと見続けて、自己嫌悪に陥ってしまう。
一度好き勝手に行動したが最後で、瞑想しなくちゃ、運動しなくちゃ、noteを書かなくちゃ、と後ろめたいストレスを抱えながら、半日過ごすことになり、気付いた時には大きな虚無感に包まれることになる。

独特な創作活動で有名な坂口恭平さんは、躁鬱病を患っているそうだが、その対処法として、過度な自由時間があると鬱の波が襲ってくるので、躁状態の時の過度なエネルギーをうまくコントロールして、文章を書いたり、絵を書いたり、畑を耕したり、ギターを弾いたりして、自由時間を創作にあてて、鬱の波に襲われない為に、考え込む時間を少なくしているのだそうだ。

これは大なり小なり、みんなしていることだろう。することがなにもない部屋で、誰とも合わずに一月いれば、人は恐らく発狂してしまうのではないか。

フランスの哲学者パスカルが言うところの「無為と倦怠」にぼく達は耐えることができないのだ。だからこそ、パスカルは神との繋がりを唱えたのだと何かの本で読んだが、神が出てくると、ちょっとぼくには良く分からない。

話を戻すと、休日で過度な自由時間があったとしても、自分が何かこれをやろうと思える、適度に集中できて、適度に寛げる仕事とも趣味ともつかない好きな作業をこなしたほうが体も気持ちも安定するんじゃないかと、自堕落な休日を過ごした愚か者は思うわけです。

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