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瞑想を使って、傍若無人なおっさんを慈悲深く見守る方法

マインドフルネスを続けているおかげで、傍若無人なおっさんに、腹をたててもしようがないな、と思えるようになってきました。

ぼく的には、これはとても大きな成長なんです。

マインドフルネスの中に慈悲の瞑想という訓練があります。
あまり心良く思っていない人物を思い浮かべて、その人の幸せを願うというものなのですが、ぼくはまだ傍若無人なおっさんの幸せを願えるほど、慈悲の心を持ち合わせていません。
いつか、そんな大きな心で、傍若無人なおっさんを俯瞰できる日は来るのでしょうか?

正直に告白すると、ぼくは傍若無人なおっさんが大嫌いです。すみません、傍若無人なおっさん方。

みなさんの周りにもこんな傍若無人なおっさんがいませんか?

例えば、ある手続きに証明書の提示を求めると、「そんなのこれまで一度も見せたことないぞ!さっさと手続きしろ!」と、いきなり怒り出すおじさん。
これまではそうだったのかもしれませんが、法律は改定されるものなんです。あなたが誰だかぼく達は知らないから、本人確認資料の提示を求めているんです。

また、ある事項への記入を求めると、「そんなもの一度も書いたことないぞ、大体そんなこと書けと何も通知されていないぞ!」と、いきなり怒り出すおじさん。
今時の企業は、クレーム対応の為にも、告知には神経質になっているから、webページ等のどこかで必ず告知されているんです。それに、今、書く必要があると分かったのだから、文句言ってないで、今ちょろっと書けばいいじゃないですか。そんなに字を書くのって大変ですか。


何故、この手のおじさんは、軒並み皆さん、偉そうで、視野が狭くて、怒りっぽいのでしょうか?

元々、そういう怒りっぽくて、偉そうな織田信長みたいな性格で、そのまま歳をとってきたのでしょうか?

そういう角張ったおじさんも大病を患ったりして、謙虚に穏やかになる、俗に言う丸くなるおじさんが大体なのに、幸か不幸か、傍若無人なまま死の一歩手前まで来てしまったおじさんというのは哀れなものです。きっと人生もう一回やり直しでしょうね。

あるいは、若い頃までは働いていた自制心が、歳と共に衰えてしまったのでしょうか?
少し冷静になって自分の行動を振り返れば、特に理由もないのに乱暴な言葉を使ったり、怒り出すのは、適切な行動を自分が選んでいない、とすぐに分かりそうなものです。

自分の行動を客観視できず、暴走する感情と一体化してしまっている様を見ると、加齢によって、情緒や感情を司る脳の機能が衰退してしまっている、とも考えられます。

そんな傍若無人なおっさんに、更に慈悲深く接することができるように、また、自分がそんな傍若無人なおっさんにならない為に、ぼくはマインドフルネスを続けるつもりです。

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