見出し画像

映画「9人の翻訳家」を見て、デンマーク人翻訳家の死を思う

「9人の翻訳家」という映画を見た。
やっぱり映画は良い。
一時間半くらいの間、じっとその世界に没入する感じは実に心地よい。

そんなに話題にもなっていない映画のようだけど、サスペンス好き、本好きの方は楽しめる映画だと思う。

映画のメインストリートにはほぼ関係ないけど、9人の内の一人にデンマーク語の翻訳者が登場する。

彼女は翻訳家達の中で唯一、家族とのエピソードが描かれる。
彼女には夫と幼い子供達がいる。
彼女は、彼らをデンマークに残して、出版社による隔離された翻訳生活に入る。

出版社との契約で、隔離生活中の間は、翻訳以外の著作作業をしてはいけないことになっている。しかし、彼女はこの隔離生活を使って、自身の処女小説を書き上げようとする。

しかし、それが出版社にばれてしまい、彼女の処女小説は燃やされ、さらに出版界で力のある出版社の社長によって、作家としての才能の無さを非難される。

彼女は言う。
「子どもなんていらなかった。わたしは自分の小説を書き上げたかった。ここなら誰の邪魔も入らなかったのに。」

そして、彼女は絶望して、自殺してしまう。

彼女のエピソードは、ストーリーの主軸にあまり影響を与えるわけではないのだが、彼女の人生に焦点をあてるだけでも、一つの映画ができそうだとぼくは思った。

話は変わるのだが、あなたはやりたい仕事をしていますか?


見なければ良いのに、大学時代の友人のfbをのぞき見ると、ガツガツ働いていて、なんで、そもそも、ぼくにはこういう意欲のような、生命力のようなモノが欠けているのだろう?と少し凹んでしまった。

彼も新卒で大企業に就職してってタイプではないのだが、何度かの転職を重ねて、ガツガツ、仕事もプライベートも旺盛に楽しんでいるようだ。

ぼくも少し前までは、無理して頑張ってたんだ。
だけど、最近、本来の自分が戻ってきてしまった。

少し前までは、社交的に振る舞わなければならない機会も多くて、それが仕事に繋がったりもしていたから頑張っていた。
で、一応は社交的な人間であるかのように振る舞うくらいはできるようになったと思う。

でも、高校生の頃の自分は、やたらとスティーブン・キングやら太宰治やらを読み漁っては、内に籠る人間だったわけだから、どう考えても、ガツガツ転職を重ねて、エネルギッシュに人生楽しむタイプじゃない。
我ながらに残念だけど。

で、何かやりたいこと、やりたい仕事があるかというと、とくにない。
やってみたいと思っていたことも、大体やってしまった。

そんな生を謳歌することに向いていないぼくだが、デンマークの翻訳家の彼女のように、自分の中の混沌に形をつけてみたい、とは思っている。
というか、それ以外に飽きない遊びを今のところは見つけられていない。

彼女だって、真っ当に妻として、母として生きたかったんだろうな。
でも、仕方ない。
本当に自分が生きているという実感を得られることが、今回の人生で花開かなかったとしても。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?