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20年前の自分へ、20年後の自分から②

20年前の愚かしい自分へ、20年後の愚かしい自分から、何か助言することがあるかを考えてみた。

最近、僕は若者に対して腹を立てることが多くなった。
ただただ、反省である。
それこそ衰えの兆しではないか。

自分のことに勝手に夢中になっていれば良いのだよ、自分と。

とはいえ、20年前の自分がこんなことを知っていればと思うこともなくはないので、今日もそれについて考えてみたいと思う。

自分の気持ちの流れは線で捉えよう

ユダヤ人には安息日という習慣があるそうで、安息日にあたる土曜日は基本的に労働をしないそうだ。

この教え、実行すると納得できることも多くて、安息日である土曜日をゆったり過ごすと不思議と日曜日からまた活力が湧いてくるのです。

今から20年くらい前の日本は、まだモーレツな雰囲気がしっかり残っていました。
古い言葉になりますが、「24時間働けますか?」「5時から男」「四当五落」なんて言葉をテレビのコマーシャルで見たり、親や教師に良く言われたものです。

休むのは悪、という根深い価値観がありました。今もこの価値観は日本社会に残っていると思います。
もちろん、この価値観が日本人の勤勉さを支えており、それはポジティブなことだと思うのですが、どうしても盲目的に頑張ることだけが推奨されやすくなってしまいます。

そうすると、僕なんかは、休むことに何か罪悪感を覚え始めてしまうのです。
頑張っているのは、たとえそれが頑張っている振りでも褒められるのに対して、何もしないでぼーとしていても、誰もしっかり休んで偉い!って褒めてくれませんからね。

この休めない、常に何かに追い詰められている、危機感を煽られるというのは世界的にも似た状況のようで、だから皆さん、ヨガとか瞑想が世界的にブームになったりするんですよね。
みんな休めてないんです。

どんなに好きなことでも、やり過ぎると嫌になってしまいます。

さて、20年前の僕を振り返ると、僕はそれはそれは毎日毎日、一喜一憂してました。昨日は何もやらなかった、今日はこれをやった、〇〇は結果を出してる、自分は…
という具合で、頭も気持ちも無駄に忙しかったなあ。

自分の気持ちって、手にとるように分かっちゃうから厄介なんです。なんたって自分の気持ちですからね。
今でも、ふっと虚無感とか無気力さに襲われることがあります。昼過ぎの2時か3時頃にそういう気持ちになります。多分、お昼ご飯を食べて、体が怠いんですよね。
そんな時は、その気持ちと同化せずに、それはそれとして、その気持ちをすっと隅によけます。
今ならそれが一過性のもの、すぐに過ぎるものだと分かります。だから、その気持ちに深入りしません。また、そういう不安な気持ちが、行動するモチベーションになったりもするので、無理矢理無くそうともしません。
逆に朝起きてすぐや、運動を終えた後は、なんて世界は素晴らしいんだ!ってなってますから、意味分かりません。まあ要は、睡眠、運動、食事が脳や体に与える影響が気持ちに影響を与えているのだと思います。

こんな感じが「自分の気持ちの流れを線で捉える」の僕のやり方です。
もちろん、自分の気持ちを点で捉えたっていいんですよ。
上司の野郎がムカつく、仕事辞めた、みたいな感じでも。
そんな大胆な行動、思い切りの良い行動も中々とれませんし。荒ぶるエネルギーもまた大切だから。

「自分の気持ちを線で捉えよう」って方法も、うまく自分をごまかす方便なだけかもしれないし。

ということを20年前の自分に伝えたとして、彼は聞く耳を持ってくれるかなぁ…

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