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#10 タイ、チェンマイ、日韓カルテットの旅

『俺さ、韓国に帰ったら探そうと思うんだ』
タイの北部の街、チェンマイのナイトマーケット。
家族連れやカップルで賑わう中、シンハービールを片手に彼はそうつぶやいた。
男二人でいるには、たいそう場違いではあるが、僕たちは気にしてなかった。

「でもさ、あてはあるの?」
僕は、アドバイスもできない状況に歯がゆさを感じながら、そう問いかけた。

『わからない。でもやらなきゃ後悔しそうな気がする』
彼は、そうつぶやきながら、美しい女性が映った写真を握りしめていた。

ラオスからタイへ、スリーピングバス

ラオス北部の街、ルアンパバーン。
僕はミャンマーへ向かうため、一度タイのチェンマイを目指していました。
当時、ミャンマービザを取得するには、タイのバンコクかチェンマイの大使館に行く必要がありました。
そこで、現在地から最寄りのタイ第二の都市チェンマイへ向かうことにしました。

ルアンパバーンからチェンマイまでは、バスとワゴンを乗り継ぎ、約16時間の長距離移動を余儀なくされました。
別ルートではメコン川をボートで逆走することもできましたが、事故が多発していたため、バスのが安全だろうと思い、バスを選択したわけです。

バスチケット売り場では”Sleeping bus””VIP”と謳い文句が誘い、窓口スタッフも『Comfortable!!』と勧めてきたため、乗車しましたが、
もう二度とごめんな仕様でした(笑)

普通のバスに横に4つ超狭いシングルベッドが置かれ、隣の人とはほぼ全身密着状態で寝ることになります。
ほとんどの乗客が隣人と、初めまして状態で、寝ることになります(笑)
寝返りはうてず、したい場合は、2人で一緒にせーのっで行う必要があるくらいです。

そんな僕のバディは、屈強なアジア人でした(笑)
僕もそこそこ体がでかいので、2人ともお互いを見合わせ、
”迷惑かけるけど、すまん”みたいな感じで、握手をしました。

辺りが暗くなるころ、バスは出発し山道を進み始めました。
車内では、一夜を共にするバディとお互いに友好関係を築こうと会話が始まり、ご多分に漏れず我々も自然と話し始めました。

「Hey~僕はスズキ。日本から来ました」

『Hey~俺はオウ。韓国からさ』

僕は内心すごく驚いた。
実のところ、韓国の人と話すのが初めてだったからだ。
聞きなれない名前に戸惑っていると、オウさんは続けた。

『王貞治のオウだよ。ほぼ同じ発音』

「わかりやすい。オウさん今夜はよろしく」

『こちらこそ』

僕は、何をしゃべっていいか迷っていた。
沈黙が長く感じたが、実際には数秒だったと思う。

『なぁ、バスのドアみたか?』
僕はなんのことだろうと、頭の上に”?マーク”を付けていた。

『このバス、2002年の韓日W杯専用バスだったぜ。まさに今の俺たちみたいだな』

僕はたまらず噴出した。
さっきまで、この屈強な韓国男性と何を話そうか迷っていたが、
一気に緊張が解けたように感じた。

それから僕たちは、なぜラオスにいたのか?、これからどうするのか?、旅に出る前は何をしていたのか?などなど日付が変わるまで話し続けた。

オウさんは、少し前まで軍隊生活をしていて、任期を終えて晴れて除隊。
軍隊生活の解放から、当時韓国で人気だったラオスに来たとのこと。
屈強な体に似合わず、笑うと目がつぶれるくらい素敵な笑顔の持ち主だった。

日韓カルテットの結成

深夜3時くらい、急にバスは停まり、降りろと指示されました。
どうやらタイとの国境の街ファイサーイに到着した様子で、降ろしたバスの運転手は、ここでゲートが開くまで待ってろ。と僕たちを置いていなくなってしまいました。
朝まで開かない国境ゲートの前、20人弱くらいの旅行者が途方に暮れていましたが、
白人旅行者はどこからともなく現れたトゥクトゥク親父に、お金を払いどこかに連れていかれていました。

最終的に律儀に残ったのは、アジア人4名。
そのうち2人は、僕とオウさんでした。
バスもいない。タクシーもいない。
そんな状態で4人は自然と距離を縮め、一緒に待つことになりました。

『ここで待ってろって言われましたよね?たぶんあと1時間くらいでゲートが開くと思います』
若い男性が話しかけてきた。

『そうですね。たぶんピックアップのワゴンが来ると思います』
オウさんが答えた。

『じゃ、4人で待つことにしましょうか。私はヤン、韓国人です』
オウさんは驚き、韓国語で話しかけた。

お互い驚いた感じで、どうやら残りの2人は韓国人のようで、すぐに状況を共有しているようでした。
僕が日本人であることは、オウさんが伝えてくれようで、ヤンさんは
『よろしくお願いします』
と日本語で話しかけてくれました。

ヤンさんは写真家で、ラオスのバンビエンに撮影に来ていたとのこと。
もう1人の韓国人は、ユンさんで20歳くらいの金髪ショートカットの女性。
2人はルアンパバーンで知り合い、2人でチェンマイに向かうところだったそうだ。
そのあとは4人で、お互いのことを共有し、4人でチェンマイを目指そうということになった。
異国の地、この後何が起こるかわからない状況で、日韓カルテットが結成された。

チェンマイ4人旅

それから2時間ほどたったころ、白いワゴンが現れ、乗れ。と言われました。
ワゴンの中には、トゥクトゥクでどこかに行った白人たちがいました。
聞くと、最寄りの待合室に連れていかれただけとのこと。
”待ってたお前らが正解だよ”
と言われました。
そこから、ファイサーイ・チェンコーン・チェンライと経由し、無事にチェンマイについたのは、午後2時くらいになっていました。
クタクタになった僕たちは宿を探し始め、なるべく安く、4部屋空いていることが条件でした。
ゲストハウスが集まる街の一角で、それぞれ交渉にあたっていると、遠くからヤンさんの声が聞こえました。

『見つけました!4部屋空いてますって!』

そこから僕とオウさんの怒涛の価格交渉が始まり、1泊400円ほどで泊まれることになりました(笑)
かくして、我々は本日の宿を確保し、長時間のワゴン移動で痛くなった全身を休めるかのように、泥のように眠り始めました。

古都チェンマイ

タイ北部にあるチェンマイは、タイ第二の都市で「北方のバラ」とも称される美しい古都だ。
12世紀ごろ、この地を収めていたランナー王国の文化が今でも残っており、伝統的な避暑地としても有名らしい。

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そんな美しい街に僕は、ほぼ予備知識ゼロで来ていました。
到着した次の日には、さっそくミャンマー大使館にビザ申請に行き、申請の際にはミャンマー滞在期間を記入する必要があったため、
5日後にはミャンマーに入国することになりました。

そんな状況を3人に伝えると、
少しでも観光したら?と基本情報をガイドブックを読みながら、ユンさんが説明してくれました。
ガイドブックも貸すわよ。とわざと韓国語のガイドブックを渡してきて、
読めねぇよ(笑)と突っ込むと、アハハッと笑う可愛らしい女性でした。

我々が宿泊していたゲストハウスは、2階が客室で1階がリビングのようになっていました。
リビングといっても丸テーブルが1つだけ。
木造のゲストハウスは、学校の合宿所のような、田舎のおばあちゃんちのようなアットホームな空間でした。
僕とヤンさん、ユンさんの3人は、ほぼ毎晩その丸テーブルに自然と集まり、深夜までおしゃべりしていました。

日本のこと、韓国のこと、お互いの国をどう思っているのか等々。
話は尽きることなく、毎日話していました(笑)
オウさんは時々参加していましたが、夜はどこかに1人で出かけているようで、夜に見かけることは少なかったです。
僕たちは、過干渉しない鉄則に則り、お互いの時間を尊重しながら、チェンマイの日々を過ごしていました。

別れの時

いよいよミャンマーのビザが降り、チェンマイの最終日。
僕はパッキングを終え、夕方1階に降りていきました。
すると、そこにはオウさんがいました。

『Hey~スズキ。明日行くんだってな』

「そうだね。短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう」
オウさんは恥ずかしそうに続けた。

『なぁ、良かったら飲みに行かないか?ナイトマーケット辺りに』
意外なお誘いに驚いた。
てっきり1人でいたい人だと思っていたからだ。
僕はありがたいお誘いを快く了承し、一緒にナイトマーケットに向かうことにした。

ナイトマーケットの広場。
目の前では生のバンド演奏が楽しめ、色とりどりの露店と淡い雰囲気に、みんなそれぞれの時間を楽しんでいる様子だった。
そんな広場についた僕たちは、オウさんが買ってきたシンハービールを
「「チャーン(韓国語で乾杯の掛け声)」」と、かきこんだ。
口数少ないオウさんと、無言のまま生演奏を楽しんでいた。

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「正直いって、誘われたの意外だったよ。オウさん1人でいたい人だと思ったから」
口火を切ったのは僕だった。

『そうか?そんなことないぞ(笑)俺のが年上だからヤンくんやユンさんは遠慮しちゃうと思ってさ』
ちょうど、年齢的にオウさんとヤンさんの間に僕がいる感じだった。

「そんなことないと思うけど。そんな感じなのかなぁ」
韓国人には韓国人の理由があるのかと、それ以上は言及しなかった。

「ところで、夜はどこに行ってたの?」
ずっと気になっていたことを聞いてみた。

『ん?あー、考え事。近くに川あるだろ?その川沿いを歩いてたんだ』
少しの沈黙の後、オウさんはケータイで女性の写真を見せてくれた。

『俺の彼女。除隊前に連絡が取れなくなってさ。そのままだよ』
写真には笑顔で写る2人がいた。今より髪が短いオウさんと白いワンピースを着ている美しい女性。

「全く連絡も取れないの?家には行った?」

『家にもいなくなってた。彼女、両親がいないから実家もないんだ』
将来を誓い合った女性が、除隊間近に目の前から突然いなくなった。
消息は全くつかめず、目星もつかない。
そのショックから彼は旅に出たのだという。

旅にでる理由は人それぞれある。
ただ、今回のケースは僕には荷が重かった。
どんな言葉も軽くなり、声をかけることができなかった。

『俺さ、韓国に帰ったら探そうと思うんだ』

「でもさ、あてはあるの?」

『わからない。でもやらなきゃ後悔しそうな気がする』
そのまま僕たちは日付が変わるくらいまで飲み明かした。
俺は川沿いを散歩してから帰るから、スズキは先に帰ってくれ。と、途中で別れた。

ゲストハウスに帰ると、ヤンさんとユンさんが酔っぱらいながら迎えてくれた。
僕の最終夜だからか、いつものことだからか、大量のお菓子とお酒がテーブルに並んでいた。

『どこ行ってたんですか?』
ヤンさんが聞く。

「オウさんと飲みにね」
あら、珍しいという顔をする2人。
それ以上は聞いてこない2人も、何かを察していたのかもしれない。

次の日の朝、1階でチェックアウトをしていると、
ヤンさんが見送りに来てくれた。
オウさんとユンさんは、まだ寝ているとのこと。
2人によろしく。と、僕はチェンマイ国際空港に向かった。

※ヤンさんの写真家としてのページです。

https://www.facebook.com/YangJakga90/

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