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お母さん、私を産んでくれてありがとう。

こんにちは。Kazuです^^


母と話をすると、
母が何を言いたいのかわからないから、イライラする。
だから、母と話をするのが嫌、面倒。

でも、そんなふうに思う自分も嫌。

このままでは、母が亡くなった時、後悔するだろう・・・

そんなふうにずっと思っていました。



すべての基本は<自分をみること>と知り、
母と話すたびに「自分をみる」を繰り返しています。

先日、汗を流しながら庭の草取りをしていると、
母が家から出てきて、

「今ねー まどにカエルがねー くっついてるのよ
きのうの夜も、くついていてねー さいきんいつもいるのー
かわいいわねぇ」
と言った。


私の気持ち。
「ノーテンキで、いつも楽しそうだな。
幸せそうで、いいんじゃないの。」

・・・というのは表向きの気持ち。


本当の気持ちは?

「草取り、手伝ってほしい。
でも、母はしゃがめないから、無理か~」

いやいや、ちょっと違うな・・・


「で? それが何なの?」

「いつも、カエルがどうとか、テレビの犬が可愛いとか、そんな話ばっかり。馬鹿なんじゃないの?」

「話聞くの、めんどくさいなぁ」


「私、汗を流しながら草取りしているんですけど。目に入らないの?」

「私のこと、ちっとも見てくれない。わかってくれない。」

「私が大変なの、分かってよ!



・・・



あ~、私、母と話すのめんどくさいんだ。
私のことを見てほしいんだ、わかってほしいんだ!


という自分の本当の気持ちを確認して
毎日過ごしています。



4,5年前に
「自分の誕生日は、母親に産んでくれたお礼を言う日」
と聞いて以来、「やってみよう!」と思いながらも、
「電話してまでは・・・」とか理由をつけて、なかなか言えずにいました。

昨年の誕生日は、顔を合わせたのに、何も言わずじまいでした。

今年の誕生日。
「今日は、私の誕生日です。お母さん、私を産んでくれてありがとう。」
と言えました。


そのあと、話に聞いたような感動的なことは、何も起こらなかったんですが(^^;)


まぁね、、、母は、私のこと見ていないので。

でも、私が、私のことを見ているのでOKなのです。



今日も、最後まで読んで下さり
ありがとうございます😊

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