『ワンフレーズ』 15話 「誰が殺した」

「そろそろ、帰ろうか」
 僕は、ヨウジに向かって帰宅をあおった。
「そうだな」
「そろそろ、失礼します。」
 僕らは、横たわったカズマの遺体越しに、カズマのお父さんへ小さくお辞儀をした。 
「申し訳ないが、ちょっと待ってくれないか、少しだけ聞きたいことがある」
 カズマのお父さんはそう言って、僕らを引き止めた。
「ここじゃ話しにくい、少し外に行こう」

 僕らはホールの裏口から出て、親族用の駐車場に連れて来られた。一時間も居座ってはいなかったはずなのに、外はもう日が落ちて、真っ暗になってしまっていた。このホール、周りが田んぼにぐるりと囲まれていて、隣に小さな霊園があるだけだ。他の灯りなどはほとんど見当たらなくて、すごく薄気味悪い。

「アラタ君は、いつまでこっちにいるんだ?」
「あ、はい、明日にはもう、あっちの方に帰ると思います」
「就職先は決まったのか?」
「いえ、まだ」
「今まさに、就職活動中か」
「・・・はい」
「そうか、忙しくしているみたいだな、時間を使わせてしまって本当に申し訳ない」
「いえ・・・」

 「大学」という言葉を、口から出すべきかものすごく迷い、吃ってしまった。大学受験がうまくいかなかったことがカズマが自殺をした理由かどうか、それは分からないけれど、もし受験がどこかで成功していれば、きっと自殺なんてしなかったはずだと思ったからだ。

「ヨウジ君は、明日は仕事か?」
「そうです」
「奥さんとお子さんは元気にしてるか」
「してます、ていうか、僕が結婚したこととか、知ってたんですか」
「カズマが少し、ヨウジ君のことを話していたんだよ」
「そうだったんですか・・・」
 ヨウジは意外そうな顔をしていた。カズマは、リコから聞いたんだろうか。確かに、結婚したことも、子供が生まれたことも、さして隠す必要もないから、リコがカズマに話していたとしてもおかしくはない。

 カズマのお父さんは、僕らのちょっとした近況を聞いて、表情が、小さく小さく、しぼんでいった。

「二人は、カズマから何か、聞いていないか?」
「え?」
「何かに困っていたとか、聞いてないか」
 急な質問だった。だが驚いたと同時に僕は、やっぱりそこが聞きたかったんだろうな、そんな気持ちにもなった。

「すいません、僕もアラタも、何も聞いていないんです カズマにも全然会えてなくて」 
「そうか」
「すいません」
 「すいません」と言えば、いやいや、謝らないでくれ、君たちは何も悪くない、と、そう言い返されるとわかっていた。確かに、自殺の引鉄は、きっと僕たちじゃない。ただ、僕たちのせいじゃないよな、そう思おうとすればする程、口からは「すいません」としか出て来なかった。

「申し訳ないが、私は、カズマの友達と言ったら、君たちくらいしか知らないんだ、きっと困ったら、君たちに何か、話していたんじゃないかって、思っていたんだが」
 カズマのお父さんは、最後の綱が、あまりにも頼りなくちぎれていったように、話す言葉ひとつひとつの力が抜けていった。僕は「君たちくらい」という言葉に、カズマの面影をひどく感じた。


「カズマは、今年も大学受験は失敗したよ」

 ひ、と息を吸い込んだ。やっぱりカズマは大学に受かっていなかった。その事実が、目を伏せていたツケを目の前に見せつけられたように、心臓に重くのしかかった。僕らがが高校生の頃、カズマが一回目の大学受験に失敗した三月の時の感覚を思い出した。
 あの時、どうやってカズマが浪人すること、知ったんだっけか。周りにいた友達と同じように「あいつ浪人するんだってよ」なんてこと、ちょっと小耳に挟んだくらいで、特にカズマ本人から聞いたわけじゃなかったような、そんな気がする。高校の三年間、カズマと大した会話もしなかった僕にとって、カズマの大学受験がどうなったのかどうか、冷静に、冷たく、距離をとった。深く考えた様に、あえて聞かなかった。きっと、僕は聞く気もなかった。


 僕はもう、大学四年になった。


「君たちは、もうこんなに立派に育っているんだな」
「え?」
「ヨウジ君は結婚し、アラタ君は就活中、どちらも、カズマよりずっと、立派に社会へ出て育っている」

 森や田んぼから、どこからともなく聞こえていた、鳥や虫の鳴き声が、耳を通り抜けなくなり、カズマのお父さんの口から出た言葉だけが、頭の中を駆け回った。
 立派?社会?僕のことが、そんな風に見えるんだろうか、どうせヨウジに向けて言っているに違いない、そう思った。別に、何か目的があって大学に行ったわけでもないし、大学に行ったって、何か勉強していたかといえば、そうでもない。なんとなく働かなきゃいけないと思っているだけで、なんとなく就職活動をしているだけだ。そんな僕がカズマと比べて、「就活」ただそれだけの言葉で、立派に見えるらしい。そんな話、あるだろうか。

「そんなことないですよ、やめてください」
 ヨウジは間髪を入れず、カズマのお父さんに言葉をかけた。

「そんなことあるんだよ、カズマはダメだったんだ、きっと」
「そんなこと言わないでください、そんなこと」
「なんでカズマが浪人したかも、どうせ俺のおかげじゃなかった、あいつ、お母さんが一浪して大学行ったことを知ってたんだ、ダメなのはカズマじゃなくて俺なんだ、浪人してから、俺の話を全然聞かなくなったんだ、こういう時だからこそと思って、いろいろ気にかけてはいたんだが、もう二年目くらいから、一緒にご飯すら食べてくれなくなってしまった、なんだか声かけるのも怖くなって、一旦あいつの自由にやらせてみようと思って放っておいたんだ、でもそうしてみると、俺はなんだか君たちの顔が思い浮かぶんだ、今ヨウジ君は何しているんだろう、アラタ君は何しているんだろうってなあ、俺が多分ダメなんだろうが、やりきれなくて、俺は一体何が間違っていたんだろうって、いつも考えてしまう、今日だって、二人が来てくれてうれしかったけど、よく見ていた頃から四年も五年も大きくなった二人を目の当たりにしたら、何だか悲しくて仕方なくなってしまったよ、もしかしたら、俺の知らないカズマのこと、二人なら知っているのかとも思っていたし、そうでもないんだとしたら、俺はもう、カズマを知れる術がないのかもしれないな、俺は、家族が俺だけだったから、必死だったんだがな」

 僕は、カズマのお父さんが淡々とボロボロこぼした言葉を拾えずに、ただ、場違いを感じて、一刻も早くこの場から逃げ出したいと思ってしまった。カズマはきっと、お父さんに殺されてしまったんじゃないだろうか。カズマのお父さんから放たれている、たった一人の家族となったプレッシャーを、僕らが一緒にいる頃からずっと、両親が離婚してからずっと、カズマは感じていたんだろう。カズマはきっとそのプレッシャーに 耐えられなくなって、死をもって逃げ出したんじゃないだろうか。

 だからといって誰も、カズマのお父さんを責めることは決してできない。僕らに言葉をこぼすカズマのお父さんの無念を、行き場の無さを、痛いほど感じ取れてしまうからだ。


「すまん、君たちに話すことではなかった、恥ずかしい、本当にすまない」
「いえ」

カズマのお父さんは我にかえったように、ハンカチで額の脂汗を拭った。

「カズマは何も、言ってなかったんですか、僕、全然会っていなかったけど、ずっと近くにいながら会えないから、心配してて」
 身震いをした。瞬間で話す言葉を選んでいた僕からは、想像もできないヨウジの質問返しだった。「何か言ってたか」だとか「心配してた」だとか、もうカズマがいない今となっては、意味のない、生ぬるい言葉だということに、ヨウジは全く気付いていない様子だ。ただヨウジのいいところは、その言葉にその意味しかないことが、相手に伝わるところだ。ヨウジの口から出るそれは、僕が聞いても嫌な気持ちはしない。僕が気に触るのは「これを僕が言ったらどうなるだろう」そういう妄想からくる嫌悪感に過ぎない。


「何もない、遺書もない、君たちのことも何も、ヨウジ君が結婚したこと、子供が生まれたこと以外には、言っていなかった」
「そう、ですか」




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