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「愛のことば」スピッツ史上最も美しい歌詞

『ロビンソン』『チェリー』『空も飛べるはず』をはじめ、最近では『美しい鰭』も大ヒットとなった、日本で知らない人はいないロックバンド、スピッツ。

 スピッツには、草野マサムネさんの歌声、歌詞、メロディ、どれにもどの曲にもたくさんの魅力がつまっています。

 今回は、わたしが勝手に選んだ、スピッツ史上もっとも美しい歌詞の曲を紹介したいと思います。

 その曲は『愛のことば』です。

『愛のことば』1995年9月20日よりリリースされたアルバム『ハチミツ』の収録曲です。スピッツの中では珍しく、シングル曲、アルバム主題曲ではないのにMVが存在します。その為、シングルとしてリリースする予定だったのでは?という噂も多いです(実際ラジオかどこかで草野さんがお話をされていたような?)。
 2014年には『あすなろ三三七拍子』のフジテレビ系ドラマの主題歌としてタイアップされ、2014ver.としてRemixもされています(配信限定のシングルカット)。

 余談ですが、スピッツは2024年3月4日から3月10日まで、「春に聴きたいスピッツ」という限定企画を行っていました。企画は、投票結果をデジタルコンピレーションアルバムとして各サブスクリプションサービスに配信するというものでした。結果収録されたのは10曲。わたしはこの『愛のことば』を投票したのですが、収録されず。残念です。 

今回紹介したいのは『愛のことば』
冒頭の歌詞です。

限りある未来を  
絞り取る日々から 
抜け出そうと誘った
君の目に映る海

 美しいです。 

 今回はこの歌詞の一体どこが美しいのか、2つ解説をしたいと思います。

1つ目は、「構成」の美しさです。

 この歌詞、すべて繋げてみると、読点で句切ることができない一文で構成されていることがまずわかります。

「限りある未来を搾り取る日々から抜け出そうと誘った君の目に映る海。」


となります。

 わたしは自分で考えている以上に、文章に句読点を打って自動的に意味を整理したくなる思考をしています。
 30文字以上も読点のない文章を読むと、なんだか違和感がありませんか?       
  無意識にどこかで文を句切りたくなってしまうと思います。

 ところが、この歌詞は一文にして、どこで句切ってもその違和感を取り除けない構成になっています。むしろ、句読点で句切るとかえって違和感を覚えてしまう構成といえます。

 強いていえば「~日々から」の後に読点が打てそうな気がしなくもないですが、すぐに「~と誘った」と文末表現のような文が来るため、かえってバランスが崩れてしまいます。
 なら「~と誘った」の後に読点を打てばいいのでは?と考えられそうですが、それでは「君の目に映る海」という文だけ浮いてみえて、悪目立ちをしてしまいます。「君の目に映る海」だけではなんだかクサいですよね。

 ではどうして読点が打ちづらいのか?
 解説します。

 実はこの一文、すべて文末の「海」という単語を修飾しているのです。

「限りある未来を絞り取る日々から抜け出そうと誘った君の目に映る」「海。」


と分解できる一文なのです(「海」の前に読点を打てるわけではありません)。

 つまり語尾の「海」から遡ると、この歌詞は以下の4つの項目に分解できます。

①「海」とは「君の目に映」っており、
②「君」とは「日々から抜け出そうと誘った」のであり、
③「日々」とは「未来を搾り取る」のであり
④「未来」とは「限りある」のです。


 分解をしてみると、①は②に、②は③にといったように、どの項目も常に大きな番号の項目に修飾を助けられなければ安定しない文章構成をしています。
 そのため、読点が打ちづらいのです。

 読点が打てない、かつ、文末単語を修飾しているだけの長文で、逆に読み手聴き手に違和感をおぼえさせないこの構成には、言葉の魔術的な美しさを感じてしまいます。

 あと、わたしの感覚ですが、歌詞というものは2小節ごとに区切って作るとスッキリとした印象があり、逆に1~4小節が一文として繋がる構成はやや煩わしく聴こえる印象があります。ですが、『愛のことば』冒頭は4小節までまるごと一文でありながら、その煩わしさも感じさせません。
 理由として、「~だ」「~です、である」のような、文末表現にもちいられることが多い「a」「u」といった母音が2小節目にくる構成となっていることが推測できます。「絞り取る日々から」「ら」ないし「ra」という音に、人間は感覚的に文を句切ろうと意識をはたらかせているのかもしれません。
 本来の文章としては句切ることはできませんが、耳ざわりとしては句切っているような構成をしているため、違和感も煩わしさも感じにくいのではないかと思います。

2つ目は、「意味」の美しさです。

 1つ目の構成の魅力でも解説したとおり、この一文はすべて「海」という単語を修飾しています。
 つまり、この「海」に何を感じるかがとても大事なわけです。
 私たちは「海」という単語に何をイメージするでしょうか?「熱い」「砂浜」「おさかな」などなど、いろいろ自由な発想があると思います。

ですが、この歌詞の「海」でイメージすべきは、

「解放」

です。
 理由は歌詞の冒頭にあります。
それは「限りある未来~」という部分です。「~搾り取る日々」まで含めてしまっても構わないかもしれません。「限りある未来を搾り取る日々」という、閉塞感のある言葉の対照として「海」が置かれていると考えたとき、クローズからオープンへと世界が広がっていく様が想像できます。この「海」「解放」を象徴する単語として使われているのです。

 しかしこの「解放」、ただの「解放」ではありません。この「海」がどのような「海」なのかを考える必要があるからです。この「海」は、

「君の目に映る海」

です。
 ここで想像すべきは、「君の目に映る~」という言葉をどのように捉えるかが重要になります。

 歌詞において、「海」はあくまで「君の目に映」っているのであり、ただの「海」ではありません。ただの、自分の目の前に広がる「海」ではないのです。

 つまり、「君の目」ないしは「君」という、いわゆる

「束縛」

エッセンスとして盛り込まれているのです。

 「束縛」という言葉には、ついネガティブなイメージを持ってしまいがちですが、「束縛」を連想させる「君」とはどのような「君」なのかを紐解くことで、美しさに辿り着くことが出来ます。

歌詞において「君」とは、

「限りある未来を搾り取る日々から抜け出そうと誘った君」

であり、つまりは、

「閉塞から僕を解放してくれる君」

なのです。

 わたしにとって解放を与えてくれる君と捉えると、そんな君が与える「束縛」は妙味を帯びるのです。その妙味こそが、この歌詞の美しさの根っこになります。

 君によってもたらされた解放が、また君によって束縛もされている、
と捉えることができるのです。

 ここには、『ロビンソン』においての歌詞「誰も触れない 二人だけの国」にも通ずるような、二人だけの世界が広がっていることが感じ取れます。

解放でもあり束縛でもある、二人だけにしかわからない世界、美しすぎます。
 私はこの歌詞がスピッツ史上最も美しい歌詞なのではないかと思っています。


 蛇足かもしれませんが、この「海」、あくまで「君の目」に映っているに過ぎないと捉えることもできます。「君の目に映る」という表面的な歌詞から、まだ「君」についての理解は浅いまま、不確定な未来へ誘われているような、アバンチュールを感じることもできます。


 たった一文でここまで想像力を膨らませることができるロックバンド、スピッツ、おそるべし。

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