虚構と現実の間にただあるー村上春樹『女のいない男たち』を読んでみた※ネタバレあり
映画『ドライブ・マイ・カー』がとてもよかったので速攻買いました。村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋 Kindle版 2016年)。
六遍の短編集です。このうちの一作が映画の原作。他二作が部分的に映画で引用されています。
各短編について感想を書いてみたいと思います。
※以下ネタバレあります。
ドライブ・マイ・カー
映画『ドライブ・マイ・カー』の原作です。
主人公は、娘に続き、妻も病気で失い孤独です。妻は娘を失った後、死ぬ直前まで浮気を繰り返していました。
主人公は妻の浮気相手から指摘されます。
浮気相手の言葉、なかなか含蓄があります。浮気されてもしかたないかも。
続いて主人公が雇っている運転手からも。
考えるな、見よ。ただ生きよ。しかし考えずに自分を見つめることは可能なのか?などと考えてしまう私はまったくこの境地に至れていないのでしょう。今後の課題にしたいと思います。
イエスタデイ
お互い想いあっているのに、別々の道を歩んでしまう話。
彼氏が友人に語った言葉。
彼女が彼氏の友人に語った言葉。
彼氏は彼女の想いを汲んで彼女から離れました。そして彼女は違う何かを求めて彼氏から離れました。
十六年後、彼氏の友人は結婚し、彼氏と彼女はそれぞれ独身でそれぞれの道を歩んでいます。
うーん。若いって切ない。彼氏も彼女も相手を大切に思っているけれども、違う可能性もみてみたいよなあ。若いんだから。たとえ後から、相手が唯一無二の存在であることがわかったとしても、若いときは、そのことに気づきようがないというか。
独立器官
独身生活を謳歌している渡会。人妻や本命の彼氏がいる女性とだけ交際しています。そんな渡会が一人の人妻に恋焦がれてしまう。恋焦がれすぎてベッドから出ることができなくなり、死に至ってしまいます。渡会が恋焦がれた相手はというと、渡会とは別の男性と駆け落ちしてしまいました。
渡会の友人谷村は生前の渡会の言葉を思い出します。
男性にも嘘をつくための独立器官が具わっているような気がしますが…。と思っていたら、谷村がフォローしていました。
恋という虚構は男性にプログラムされている。そんな気もします。
シェエラザード
主婦のシェラザード(仮名)は羽原とセックスをしたあと、羽原にいつも不思議な話をしていました。たとえば高校時代好きな男子の家に忍び込んでいた話。忍び込んで彼の持ち物を盗み、かわりに彼女の持ち物を置いていきました。たとえば彼の洗濯前のシャツを盗んだり、自分のタンポンを置いていったり。まあ変態です。あるとき羽原はシェラザードが自分の前からいなくなることを想像します。
女性は現実を無効化してくれる。現実とも嘘ともいえないような時間によって。
木野
妻を同僚に寝取られた男は幸福とか感情とかがどんなものかわからなくなっていました。しかし神秘的な体験を経て自身の問題に気づきます。
そして自分自身と向き合います。
統計やシミュレーションの支配力が強くなっていく世界では、感情が希薄になっていってるのでしょう。そんな気がします。男性にとっての女性とは感情を取り戻すための力なのかもしれません。男は寝取られたおかげで感情を取り戻せる。それはそれで辛すぎますが。
女のいない男たち
僕は元カノが自殺したと彼女の夫から電話で知らされました。そこには
がありました。女がつくった穴を二人の男が共有する。夫が連絡してきた目的は、
「女のいない男たち」とは
そして僕は
あなたは、現実の無知の僕であり、虚構(一角獣)の夫、妻の死を知る夫でもあります。
まとめ
現実と虚構の間にただあること、というメッセージを受けとりました。
現代社会は虚構の方が強くなりすぎているのかも。
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