記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

600ページ、愛の体験ー小川哲『ゲームの王国』を読んでみた※ネタバレあり

直木賞を受賞し何かと話題の小川哲。受賞作は『地図と拳』ですが、これを読む前に、まずは積ん読中の『ゲームの王国』を読んでみました。こちらも日本SF大賞&山本周五郎賞を受賞した超話題作なのですが、800ページくらいあること、まったく知識のないカンボジアのポル・ポトの娘の話であるらしいことから、読むのに腰が引けていました。でも数ヶ月前に『君のクイズ』を読んで小川ファンになっていたし、直木賞を受賞して、ちょっとしたブームになっていたので、読まなきゃと思ったのでした。

読みましたよ、800ページ。最後の100ページは先を読みたいという思いと、この読書体験を終わらせたくないという葛藤の中で読むことになりました。なんと800ページじゃ足りない!読了後、なんだか胸が苦しいというか、切ないというか、よくわからない感情が湧き起こりました。

しばらく経って思いました。愛とか恋とかの感じに似ているような気がする。最初の25%はこの感情を生じさせるための準備段階というか、設定の説明なので、残りの75%(600ページくらい)がその感情の体験でした。

今回はこの体験をなんとか言葉にしてみたいと思います。

※以下ネタバレします。






あらすじ

物語は1956年から2023年(67年間)の二人の主人公の誕生から死までが描かれます。二人の主人公とはポル・ポトの隠し子ソリヤと、とある村の村長の息子ムイタックの二人です。ともに超聡明で、ソリヤは人の嘘を見破る特技まで持っています。二人は子どもの頃、偶然出会い、ひょんなことからゲームをはじめます。二人は生まれてはじめて本気でたたかいます。二人とも聡明すぎたために、今までまともにたたかえる人は大人にもいませんでした。二人は至福のときを過ごしますが、それは一瞬にして終わりをむかえます。ゲームの直後に、ポル・ポトが革命によって政権を奪取するからです。以降二人はバラバラになります。

ポル・ポト政権前も、社会や政治は腐敗と不正だらけでしたが、ポル・ポト政権になってもイデオロギーがかわっただけで腐敗と不正だらけでした。この状況をソリヤは自身が革命をおこし打破しようとします。いっぽうムイタックは腐った社会の中にまともな村を作ろうとします。

ソリヤは野党のトップになることを目指します。そのために、殺人を見過ごしたり、ときには殺人に加担したりします。

ムイタックは理想の村をつくろうとします。そのためにムイタックは二階ルールを発明しました。守るべきルールとルール変更のためのルールを定めたのです。しかしそれは失敗しました。後者はルール変更を多数決で決めるというものですが、これによってポル・ポト政権から認められていなかった所有や移動の自由などが認めれらるようになりました。この状況を政権側は知ることになり、村人たちは皆殺されます。生き残ったのは、ムイタックとその兄と友人の三人のみ。この惨劇を指揮していたのは、あろうことかソリヤでした。ソリヤはその村がムイタックの村であることを知っていましたが、自分の正義を貫くため、そのために自分の身を守るために回避できませんでした。ムイタックはソリヤを殺すことを誓います。

24年後。

アルンという天才が生まれます。アルンはムイタックと同じ村で育ちました。ムイタックの村は復興しています。ソリヤは養女リアスメイを育てています。そしてムイタックは大学で脳波の研究をしています。

アルンとリアスメイはムイタックの講義で出会います。そして三人は脳波を使ったゲームを開発します。たとえばプレイヤーがアルファ波を出すと、キャラクターがジャンプするといったぐあいです。彼らは開発中に気づきます。脳波でキャラクターを操作するということは、ゲームの環境設定によってプレイヤーの脳をコントロールすることだと。ムイタックは、ゲームのプレイヤーがソリヤを憎むようにゲームを設定しようとします。ソリヤを選挙で負かすために。

ソリヤは不正だろうが知略をつくして野党のトップまでのしあがります。ついに次の選挙に勝つと政権を獲れるところまでたどり着きます。。しかしソリヤは自分がポル・ポトと同じであることを自覚していました。

ある日ソリヤとムイタックは、偶然ムイタックたちが開発したゲームで戦います。実はソリヤの心の内にはずっとムイタックがいました。ソリヤはムイタックが望んでいるであろうゲームの王国をつくろうとしていたのでした。でもそこにはたどり着けない、いやそんな王国は存在しないことに気づき始めていました。いっぽうムイタックは、戦いの最中に気づきます。自分はただソリヤとゲームを続けたかったのだと。二人は約束します。落ち着いたら二人がはじめて出会った場所で、もう一度ゲームをしようと。ところが…。

あらすじは以上です。

歴史改変SF的側面とボーイミーツガール的側面に焦点をあてましたが、これ以外にも魔法ファンタジー的側面もあります。土を操って軍隊を殲滅させたり、輪ゴムで未来予測(100%当たる)をしたり、不正を勃起によって暴いたり(読めばわかります)。科学と魔術がふつうに混在しています。科学派と魔術派のコミュニケーションも見どころです。笑えます。そして小川の専門の哲学が本書でも炸裂しています。

これらすべてを踏まえても、感想を一言でいうと「愛の体験」でした。ということで「愛」について考えます。が、そのために「家族」と「記憶」を経由します。

家族

ポル・ポトは典型的な共産主義国家を目指しています。

革命により、オンカー(ポル・ポトの組織)は有史以来、人類を長らく悩ませていた問題のいくつかを完全に解決した。借金苦による自殺、詐欺、汚職、賄賂、泥棒、強盗。すべてなくなった。綺麗さっぱり完全に消滅した。
どうしてそんなことが可能だったのか。答えは「私財がなくなったから」だ。まず貨幣という概念がなくなった。すると人々が物々交換を始めたので、これも禁止した。私有や財産が存在しない社会なのだ。こうしてパンドラの箱以来あった種々の犯罪のうち、約半分が一瞬にして消え去った。もちろん、犯罪とともに自由、愛、家族、夢、その他諸々の概念も消失した。

小川 哲. ゲームの王国(上) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3715-3720). Kindle 版.
( )は筆者

自由、愛、家族、夢。これらと所有、財産は密接に関連しています。確かにそんな気もします。しかしこれらを失うと、もはや人間はいなくなるような気がします。

「知識人の革命」という歴史を再現させないために、国内のほとんどの知識人を殺してしまった。

小川 哲. ゲームの王国(上) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3396-3397). Kindle 版.

自分たちのような知識人が革命を起こした。今後革命を防ごうと思ったら、知識人を削除すればよい。ということなので、共産主義政権トップのごく数人は知識人だけれども、それ以外は自由、愛、家族、夢をもたない動物たちでできている国家をつくることになるのですが、これでは誰も幸せではないような。

あるときソリヤは人類歴史上最強の敵とは家族であるといいます。

近代国家は、どのように家族を破壊するかで頭を悩ませていたわけ。家族という存在は、動物が自らの子孫を残す上でもっとも自然な互恵関係なわけだけど、国家というレベルに立てば『国民』という、より広い互恵関係に目を向けないといけない。より大きな社会は、家族関係を超えた連帯を必要とする。そのとき、しばしば『家族』という関係は国家の邪魔をするの。為政者は無能な子どもに役職を継がせようとする。

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (p.254). Kindle 版.

「中国が科挙制度を導入したのも、カトリック教会が司祭の結婚を禁じたのも、もっというならば、ポル・ポトが集団農場を作り、子どもたちを親から奪ったのも、家族の破壊が狙いだった。彼らは部分的なレベルで家族関係を破壊しなければ、よりよい社会を作ることができないと知っていた。もちろん、結果的に成功したかどうかは別にしてね」

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (p.254). Kindle 版.

そして、結果的には腐敗した国家が誕生しました。そんな国家の中でムイタックは所有、財産、自由、愛、家族、夢これらをルールによって、村単位で取り戻そうとしたのだと思います。それが二階ルールだったのだと思います。しかしその村は国家側にいるソリヤに破壊されてしまいます。

この失敗をふまえ、ムイタックはどのように方針転換したのか。言い換えれば、どのように所有=愛を取り戻そうとしたのか。

記憶

ムイタックとアルンは感情を以下のように理解しています。

最初に感覚情報を得てからその効果が身体に表出するまでのプロセスが筋の通った話になるように、怒りや喜びや悲しみなどと再定義します。一連のプロセス、つまり『物語』をどのように定義するか、それが感情だと思います

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (p.115). Kindle 版.

自分が無意識のうちに書いた物語にタイトルをつけるような話です。

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (p.118). Kindle 版.

『君のクイズ』では「意識は無意識の応援団」だなと思いましたが、『ゲームの大国』では「意識は無意識の評論家」だなと思いました。

ムイタックは無意識について以下の仮説を立てます。

P120(無意識の波)とは数百ミリ秒後の自分を記述した小説ということです。

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (p.126). Kindle 版.( )は筆者

これはもしや理論神経生物学者マーク・チャンギージーの錯視の説では?人間はふだん0.1秒後の未来の予測シミュレーション(つまりイリュージョン)を見ている。そうしないとキャッチボールもできないし、たぶん歩くこともできません。そしてその予測シミュレーションが外れたときだけ現実つまり本当を見る。その例が錯視であるという説。

アルンはムイタックの無意識とは小説であるという説を修正します。

P120は『思い出す』という能力を強化するという仮説です。

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (p.129). Kindle 版.

物語を定義するというより、記憶を強化する。

誰かが何かを思い出しているとき、その人はいったい何を見ているのでしょうか。…人間は、目を閉じなくても何かを思い出すことができます。こうやって研究室の備品やパソコンのモニターを眺めながら、故郷の景色を思い出すことだってできます。しかしそれは、「見る」という行為とは違うように思います。…心の鏡は、原理的に絵にすることのできないものを映すことだって可能です。「白くない靴」だとか、「異常な男」だとか、絵にすることは不可能ですが、理解することは可能です。概念が、概念のまま映しだされているんです。

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (pp.133-134). Kindle 版.

物語を創作しているのではなく概念の記憶を再利用しているということですね。そして記憶とは必ずしも映像化されていない。概念とは映像よりも言語に近いということでしょうか。しかし「白くない靴」を思い出すときは、任意の色の靴を思い出しているような気もします。イメージと言語の間。イメージと言語の間の存在といえば文字=エクリチュール by デリダ。記憶とは文字化されているのかもしれません。では言語をもたない動物はどうやって記憶しているのでしょうか。自分の巣に帰ることができるということは、記憶能力はあると思うのですが、映像として記憶しているのでしょうか。もし帰るために必要な映像を抽象化して記憶しているのなら(人間の私からすると、カメラのように視界に入ったもの全てを記憶するのは不可能としか思えません。例えば昨日映画を見たけれども、隣に座っていた人の服装とか思い出せません。)、もしかしたら動物も概念とか記号などで記憶しているのかもしれません。

人間の話にもどります。ある感情のようなものが生じたときに、人は過去の概念の記憶を適用する。そうだとするとムイタックたちが開発しているゲームはプレイヤーの概念の記憶を強化することになります。何度も思い出すことによって感情を強化する。私が『ゲームの王国』の600ページは愛の体験だったというとき、その間私は何度も何度も愛の概念の記憶を思い出していたのではないか。ここでの愛とは、たぶんソリヤとムイタックの出会いをソリヤもムイタックも読者である私も何度も思い出すこと、そのとき私がかつて記憶してきた愛の概念を何度も思い出すことなのではないかと思います。愛とは何度も何度も思い出すこと。そんなことを思いました。

ところでムイタックはゲームの目的について話していました。

プレイヤーから楽しいという感情が読み取れれば攻略できる、そういうゲームを開発する。ゲームのルールは関係ない。私たちは、ルールという側面にこだわりすぎた。むしろ構造が問題なんだ。構造に手を加えれば、誰がやっても、勝っても負けても楽しいゲームになる。

小川 哲. ゲームの王国 下 (Japanese Edition) (pp.199-200). Kindle 版.

二階ルールをつくったために村を滅ぼしてしまったムイタックがたどり着いた境地がルールの否定でした。ルールではなく感情あるいは記憶を生む構造をつくって愛を拡大していく。いっぽうソリヤはルールの中でトップに立ち、新たなルールをつくろうとしています。ソリヤは、二階ルールの限界を悟る前のムイタックが、望む世界をつくろうとしていたのでした。しかしこれでは違反者を削除する発想が生まれてしまいます。

愛を体験することとは、何度も何度も思い出すこと。ソリヤはムイタックを何度も思い出し、ムイタックはソリヤを何度も思い出す。私はソリヤとムイタックを何度も思い出し、私自身の記憶を何度も思い出す。

ソリヤとムイタックが出会ってから、おおよそ600ページあります。私はその600ページの間、愛を体験していたのだと思います。そして読み終わった後も、この物語を何度も何度も思い出しています。そしてついに再び読みはじめてしまいました。はたして、この愛の体験から抜け出すことができるのでしょうか。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?