見出し画像

戦後80年ではなく戦前1年かもー小松理虔「共に歩き、友になるー沖縄取材記(前篇)」を読んでみた

定期購読している雑誌『ゲンロンβ 79』(ゲンロン 2022年)に、ハッとさせられる記事がありました。小松理虔の「共に歩き、友になるー沖縄取材記(前篇)」です。小松理虔はいわき市小名浜を拠点にしているアクティビスト。東日本大震災の復興をテーマにしたエッセイ『新復興論』(ゲンロン 2018年)を執筆し大佛次郎論壇賞を受賞しました。その小松と小松の家族(奥さんと小二の娘さん)が沖縄を取材します。ガイドもつきます。沖縄で平和学習事業を行なっている株式会社さびらのシマさんとユマちんがそのガイドをつとめます。

8月15日

取材日は8月16日。小松はユマちんに8月15日の沖縄の認識を問います。ユマちんの回答。

一般的には、六月二十三日に沖縄本島の組織的な戦闘が終了したといわれててて、この日が慰霊の日になってますけど、一九六一年の段階では、慰霊の日は六月二十二日だったんです。二転三転してるんですよね。それに、八月十五日以降も戦っていた部隊はあるし、九月まで戦闘が続いてましたから。八月十五日ってのは、全然違いますよね

27/346-28/346P

小松は恥いります。自分とユマちんのズレ、本土と沖縄のズレに気づいて。私も考えたことありませんでした。八月十五日にピタッと戦争が終わったわけじゃないんですよね。認識が粗かった。まぁ思考停止してましたね。

嘉数高台公園

一行がまず向かったのは、沖縄教育旅行の総本山、嘉数高台公園。トーチカ、陣地豪あとの迫力もすごそうですが、そこから見える住宅地の中にある普天間飛行場とその中のオスプレイ群の描写と写真には絶句します。

戦後80年ではなく戦前1年かも

取材中、小松がユマちんに問います。なぜ教育旅行の仕事を選んだのか、と。ユマちんは答えます。

沖縄では大変な戦争があった、こんな凄惨な被害があったんだと繰り返して学ぶことが、かえってトラウマを植えつけるような教育になっているような気がして、少し疑問を感じてました。…沖縄を学ぼう、ではなく、なぜ沖縄を学ぶことが必要なのかっていう前提から考えなくちゃと思うようになったんです

58/346-59/346P

沖縄を学びたいという欲望をつくらなきゃいけない。なるほど。
ユマちんは続けます。

戦後八〇年じゃなくて、戦前一年かもしれないって想像力を持つことで、今の社会の流れを変えられるかもしれないって思ったんですよね

61/346P

はい。平和ボケしてましたよ。日常生活しているその目の前でオスプレイの発着陸を目撃していたら、そりゃ戦後とは思えないかも。今更の認識ですみません。

普天間第二小学校

一行は普天間飛行場に隣接している普天間第二小学校を訪れます。普天間第二小学校の窓ガラスは二重になっています。飛行機がうるさいからです。そこでユマちんが説明します。

米軍のヘリコプターとかが飛んでくると家族の会話が一旦止まるんです。…ヘリが飛び去るのを待って、また会話が続く。これが沖縄の日常なんです。

76/346-77/346P

日常生活に戦争あるいは軍という孔が穿たれ、ひび割れる。そして一瞬、日常が戦中に一変する。小松はこの現状を目の当たりにしてユマちんに問います。

さっきユマちんが『戦前として考える』って言ってたけど、それってつまり戦中なんじゃないの?

82/346-83/346P

戦中。日常生活がひび割れて、いたるところに戦争が顔を出しているという現実がある。この現実をどのように考えればよいのか。たまたま生まれた場所が違っただけで、自分の現実だったかもしれないし、明日は我が身かもしれない。考えなきゃいかん、と思いました。

そういえば、沖縄のことをほとんど知らない人の沖縄取材記事を今まで読んだ記憶がありません。なんだか沖縄を知らない小松家に自分もついていって、一緒に驚いたり、反省したりしている感じです。この沖縄取材記は今後中篇、後篇と続くようです。小松家がこれからどこに連れていってくれるのか楽しみです。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?