キムチから思い出すきもち

夕刻、イライラしていた。なぜかキムチが食べたくなったので、地元のスーパーで買って帰った。300g408円のモランボンのキムチは密閉性の高い容器に入って売られていた。それは美味しかったが、悲しいことを思い出した。若くしてソウルで亡くなってしまった韓国の友人のことを。1年前の12月に彼女は亡くなった。1年経ってしまった。

友人は自国をめぐって、どういった思いをもっていたのか。日本語がネイティブ並みに堪能で、モートン・フェルドマンの研究をした彼女と詳しい話をする機会は無かった。けれど、キムチを食べて彼女のことを思い出したぼくのことを苦笑いしているような気がする。

もしぼくが逆の立場だったらどうだろうか。たとえば、たまたまみそ汁を飲んだことで、若くして死んだぼくのことを外国の友人が想い出してくれたら…そんなに悪い気はしないだろう。でもぼくも苦笑いしてしまうかもしれない。

先ほど、Twitterでイランの権力者が米国に対してテロを仕掛けるように指示したというツイートを見かけた。全世界が疫病で混乱しているなかでも、人類は争いをやめたりしない。半ばあきらめているが、やはり人類は哀しい。だから深夜にこっそり冷蔵庫を開けてキムチを食べてから寝ようと思う。これからは鍋の季節。キムチ鍋を食べるたびに、ぼくが彼女のことを思い出してしまっても、どうか許してもらいたい。

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