ニュークリア・パワーの問題

75回目の広島原爆記念日。きょうは仕事が休みだったのですが、黙祷する時間にはまだ寝ていました。でも、原爆のことを考えていなかったわけではない。というか、ぼくは人一倍平和について関心があるのです。
平和について知ることは、逆説的な言い方かもしれませんが、戦争について広く深く知り思索をめぐらすことだとつねづね考えています。ただ平和を祈っていても無力です(祈りそのものを否定するわけではありませんが)。もちろん地球上から戦争を消滅させることはできないでしょう。でも戦争の数を限りなく少なくして、戦争が起きたらなるべくそれを短い期間で終わらせる、できるだけ国連のような機関が介入して人道支援を行う、そういったことはますます推進していくことが望ましいですよね。それができたとしても、世界は残念ながらひどく野蛮なわけですが...。

きょうは午前中は家事をこなしたあと力尽きて寝てしまい、午後3時ころから隣町の喫茶店に行って読書をして、帰ってきてうどんを食べてあとはゴロゴロしていました。前日残業したあと、地元の映画館で名作『千と千尋の神隠し』(2001年)を15年ぶりに観て、友人と軽く食事をして帰宅したので、意外と疲れていたようです。そんななかであまりニュースにも触れられていないのですが、つぎのインタビュー記事はとても質が高く、読みごたえがありましたので、みなさんにもおすすめです。"大東亜戦争"で被爆したひとたちと、教科書で"太平洋戦争"の結末として原爆にふれたわたしたちの間には広く深い溝があることを久保田さんは指摘し、その架け橋になろうとしている。とても志の高い、立派な方だと思いました。ぼく自身、かつて翻訳に携わったこともあり、ある言葉を別の文脈にどう移し替えるかということについてはとても関心があるので、非常に興味深く読みました。

寄り添う通訳であり、メディアである私ー元TBSアナの久保田智子さんが被爆体験の伝承者となったわけ

英語の Nuclear Power の訳語はなぜか 原子力 となっているわけですが、作家の村上春樹がいつかエッセイで、Nuclearは(原子)核という意味なのだから、原子力発電所も、核発電所と訳すべきではないかと主張していて、そのことを思い出していました。ぼくはその意見に賛同するわけではないですが―核発電所だと、なにか世間にとって枢要な発電所のような印象を与えると思うから―、最近経産省の外局である資源エネルギー庁が出している エネルギー白書2020 を読んで、国内の原発の稼働率が上がってきていることを知り、また小熊英二『社会を変えるには』(2012年、講談社現代新書)を読んで、2011年頃の脱原発の盛り上がりをうっすらと思い出して、原子爆弾の問題と原子力発電所の問題についても関心を深めていきたいと思っていたところです。Nuclear Powerについては、昨年國分功一郎『原子力時代における哲学』(2019年、晶文社)を読んでも考えさせられたのですが、まだまだ知らないことが多くて、まず考えるための道具を今月から少しずつ少しずつ揃えてゆきたいです。

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