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「じぶん時間を生きる」を読んでみた。

タイムイズマネー。仕事が早い人はかっこいい。
私はこれらの言葉に全く異論を持たずに生きてきた。かと言って筆者ほどこれらの言葉に縛られて身を削って働いた経験もないかもしれない。
筆者の経験は僕と比べて「極端」で「突き抜けて」いる。なので私の生き方のペースではもしかしたら気づくことも意識することなく人生を終えていたかもしれない視点に気付かされた気がする。

人生が手段になりすぎてる。

本来人間は生きるために生まれてきた。と思う。
つまり「生きること自体が目的」と言う考え方だ。
一方で「人生を賭けて達成する」という人生や自分の生を手段化するのことを意識的にやっている人は素晴らしいことだと思う。その達成したい何かが明確ならば。
しかし多くの人は「人生を賭けて達成したいこと」をそんな簡単に見いだせないと思う。
そんな中多くの人は将来に漠然と不安を抱き未来のために今は我慢する。または小さな頃から教わってきた人生(時間)は何かを生み出すための手段であり、なにもしない、無意味なことをするのは罪である。
私もただぼーっとする時間に罪悪感を感じるので、「人生を投資して何かを産まないといけない」という思考に無意識に囚われているのだろう。

「成長しないといけない」に縛られすぎない

現代社会では経済でも文化でも技術でも全て発展していくのが当たり前でそれを推し進めることが人の生きる意味、推進役を担うことこそ素晴らしいという感覚がある。筆者はこのことを不可逆な直線的時間軸と表現している。後退は許されない、休むことは停滞と感じてしまう苦しい感覚だ。
しかしそんなのはつい最近の傾向でしかない。
人間は巡る季節の中での農耕など「同じこと」を繰り返して生きてきた。直線的に対して円環的時間軸である。
いまだって円環的時間軸で過ごす日々は続いている。「成長」しないことも我々は選択できるはずだ。

他人時間で生きてる自分に気づく

朝出社してメールチェック。依頼内容に対してレスポンスを繰り返し仕事が進んでいく。自分がやりたいことに繋がっているかなんか関係なく進んでいく。時間が奪われていく。これは「他人時間」を生きているとも言える。
相手の要望に答えるために時間を費やすことで「良い人」になれるかもしれない。
でも自分がしたいことはなんだろうか?今日自分が好きなことに使った時間は何時間あっただろう?

自分の人生を取り戻す

自分らしく生きていると実感を持つためには、「自分の「好き」を知り、それに忠実に学び、やりたいことをイメージして、そのワクワクすることをやるぞ!と自己決定する力」
を持つことだと筆者はいう。
決定には責任が伴うので大変だ。
でもその大変さこそ人生を自分のストーリーとして引き受けることを意味しているのではないか。
能動的に生きるのと受動的に生きるのとの違いとも言える。

とはいえ毎日毎秒意識するのは辛いので

自分の人生を取り戻す!!といっても私は結構面倒くさがりだ。なのでこの本を読んで自分でやってみようと思ったのは、「とりあえず好きなことを周りに表明してそれに関するアポで仕事時間を埋める」「高いカメラを買う」だ。
周りに「私はこれが好きだ」と言うのは「嫌いだ」よりは個人的にハードルが低い。好きなことを熱量を持って発信することで「こいつが全く興味関心がないことをやらせても仕方ないから」と言う理由で周りが私の関心外の仕事の依頼を諦める効果を狙う。
もう一つの「高いカメラを買う」は自分のセコイ性格を使って自分をドライブしたいと思ったからだ。「こんな高いものを買ったんだからちゃんとやらないと」というモチベーションで好きなことの継続を狙う。







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