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『サザンクロス ラプソディー』vol 9

今日はクラブのマスターとママのお引っ越しに、俺とタカ、それからホステスのエミリーとジャネットが手伝いに来ていた。

アルバイトしないか、と誘われたのだ。

お引っ越しは以外と大変だった。

なにしろ、3階の部屋から階段を使って、タカとふたりで、大きめの家具、ソファ、テーブルなどを下まで降ろし、それを引っ越し先までピックアップトラックで運ぶのだ。

小さめの荷物と部屋掃除などの軽作業は、エミリーとジャネットの担当だ。
車の運転はタカがやる。

俺は元々3ヶ月くらいで日本に帰るつもりでこちらに来ていたから、国際運転免許証を取得していなかった。

一通り積み終わり、さあ出発、と車の助手席に乗り込んだ俺のひざの上に、エミリーがちょこんと座ってきた。

「エミリー、これはダメだって」

「いいじゃん。すぐそこまでなんだから」

俺のことばを気にも留めず、エミリーは可愛いお尻を俺の股間に押しつけてくる。

タカは、運転しながら、「うらやましい」と薄ら笑いを浮かべている。

「エミリー、お願いだからそんなにお尻を動かさないでくれる?」

「いやだ、変なこと考えちゃダメだよ」

俺をふり返り、この小悪魔は意味深に微笑んでいる。

ご想像どおり、俺の〈いうこと聞かん棒〉は、大変なことになっていた。

まったく、このエミリーって奴は......。

基本的に自由奔放な女なんだが、前のタカの件のように大真面目な面も持ちあわせている。
まったく、掴み所のないやつだ。

目的地について、エミリーは俺のひざの上からピョンと飛び降りると、すかさず、俺の股間をみて、そして俺の顔に視線を移し、「イブに言いつけてやるっ!」といい放った。

おいおい、勘弁してくれ。
おまえがしでかしたことだぞ。心の中ではそう思ったが、「ご自由に」と思いっきり、エミリーを睨んだ。

その後、イブからこの件に関して何も言われなかった。
どうやら、エミリーはチクらなかったみたいだった。


「ここだ、こっちから荷物は入れてくれ」

マスターの指示にしたがい、荷物を運び入れる。

ウォーターフロントの素敵な部屋だった。
マスターは、そこまで高くないといっていたが、それでもかなりの家賃はするのだろう。

テラスから下を見やると、このマンション共有の25m プールが見える。

ほぼ半日かけた、マスターのお引っ越しは、夕方の5時過ぎには終わった。

引っ越しの食事会は来週ここでやるから、今日はこれで終わりだ。マスターはそういって、俺たち4人にそれぞれ100ドルづつ渡した。

タカはジャネットに誘われたから、これから食事に行くという。

エミリーから遊びにいく?と誘われたが、今日のこの流れだと間違いが起こりそうだったので、やめた。イブが家で待っているわけでもなかったが。



「ヤマ、ちょっといいか?」

俺が開店準備をしていると、マスターが渋い顔で声をかけてきた。

「はい、何でしょう?」

「実はな、困ったことになった」

「はい?」

「あんたたちのことで、お客のひとりが店にクレームをつけてきたのよ」

ママが怒った口調で横から口を挟んだ。

「おまえとイブのことがある客にバレたんだ」

「どういう教育をしているんだ?とかなり怒っていてな。あれほどいっただろう?気をつけろって」

俺は最近、イブと一緒に出かけることはほとんどなくなっていたので、なぜ今頃?と不思議に思った。

「それで、僕はどうすれば?」

マスターはいったい俺にどうして欲しいのかが知りたかった。

「うん、悪いんだが、どちらかに辞めてもらわないといけない」

「悪く思わないでね、ヤマ。お店の評判に関わることだから」

「わかりました。僕が辞めます」

「いや、ヤマ。できれば、イブにそうしてもらいたいんだ」

「イブにですか?なぜですか?」

「ホステスは他に何人もいる。けれど、おまえの代わりを探すのには、すこしだけ時間がかかるからだ」

「そうなんですね」

「おまえからイブに話してくれないか?」

「......わかりました」

仕事が終わって、家でイブにその件を伝えたら、
「いいよ、わたしが辞める。わたしあの仕事好きでもないし」

そういって、3日後にイブは店を辞めた。

それからイブは、俺が世話になったエージェントをジュリエッタから紹介してもらい、映画、ドラマのエキストラ、モデルの仕事をはじめた。

ある日、俺が仕事から戻ると、イブはまだ起きていて、無駄毛をワックスで処理してきた、といって泣いていた。

なんでも、デリケートな部分も処理されたそうで、事前にその事を知らせられていなかったらしく、それが怖かったし、痛かったという。

巨乳で肩が凝りやすいイブに、俺はいつも寝る前に30分ほど首、肩を中心にマッサージをしてあげるのだが、その日はいつもより長めに体も揉みほぐしてあげ、ヨシヨシしてあげた。

こんなしおらしい時のイブもたまらなく可愛い。



1987年5月下旬から6月下旬の間。
第1回ラグビーワールドカップがニュージーランドとオーストラリアの共同で開催された。

第1回の優勝者はニュージーランドのオールブラックスだった。

日本のチームも招待されて、アメリカ、イングランド、オーストラリアと戦い奮闘したが、残念ながら全敗し、予選敗退してしまった。

そのとき俺はラグビーに興味がなく、実際の試合を観に行く機会もあったのだが、結局、行かなかった。

今思うと、本当にもったいないことをしたと思う。

何しろ、第1回大会だ。現在のラグビーワールドカップはここから始まったのだから。



ナイトクラブの控え室では、ジャネットが興奮気味に大声を上げて、みんなの前で何かを力説していた。

「これみて、すごいでしょう?」

耳たぶを見せている。

何と、耳たぶがパックリ割けていたのだ。傷口を縫合した痕が痛々しい。

何でも、いつも一緒につるんでるエミリーが、フェンスを軽々と飛び越えたのをみて、エミリーよりはるかに背の高いジャネットが、真似をして飛び越えようとしたらしい。そのとき、耳につけていたピアスが、フェンスに引っかかってしまい、勢いがついていたこともあり、そのまま飛び越え、耳たぶが割けてしまったのだそうだ。

その時つけていたピアスを見せてもらったが、こんなでかいのよく耳にぶら下げているなあ、と感心するくらい馬鹿でかいのだ。

こんなの着けていたら、それだけで耳がビローンと延びそうなものだが。

「痛そう?もとに戻る?」

女の子たちは、同情するやら、心配するやら。

その日、クラブでは、ジャネットの声がひときわ大きく響いていた。

何しろ、座るテーブルごとに、耳につけているガーゼを剥いで、その傷の悲惨さをアピールするのだ。

そりゃ、それを見たお客はジャネットに同情するに決まっている。

「可哀想に」

そういって、ボトルのキープを入れてくれたり、特別に飲み物や食べ物を注文してくれたり。

この日のジャネットの人気はエミリー以上だった。
3日天下ではなく1日天下だったが。

俺が小部屋のなかで小休憩しているときに「ジャネットって馬鹿じゃねえ?あんなの自慢するなんてどうかしている」
タカにそういうと、

「ヤマ、彼女の悪口いわないでくれるかな!」

そう怒りだした。

なんと、あのマスターのお引っ越しの日にそういう関係になり、いま真剣に付き合っているという。

寝耳に水とはこのことだ。



俺が、このオーストラリアに来たのは、前年の7月。

6月下旬。

期限いっぱいの1年間のワーキングホリデービザを使い果たして、翌月の7月に日本に帰ることにしていた俺はクラブを辞めた。

ひと月前からこの件はマスターに伝えてあった。

勤め最後の日、マスターとママはタカを先に帰し、いつものピザ屋で、俺の大好きなマッシュルームペパロニピザをご馳走してくれた。

「これは、俺の気持ちだ」

マスターは、俺の前に綺麗な細長い包みを置いた。

「開けてもいいですか」

そう訊いて、包みを開けると、中から出てきたのは高級そうな腕時計だった。

「ありがとうございます。大切にします」

この時もらった腕時計は、何度も俺を救ってくれることになる。
お金に困ったとき、これを質屋に持っていくと、いつも200ドルほど貸してくれたからだ。

日本製ではあったが、それなりの物だった。


外に出て、あらためてお礼をいう。

「ここで働かせてもらって、本当にありがとうございました。おふたりのことは一生忘れません」

「ヤマ、元気でな」

「あんた、イブのことはちゃんとしなさいよ。日本に帰るにしてもね」

「はい。本当にお世話になりました」

そういって深々と頭を下げた。

「見送ってあげるから、行って」

マスターとママに見送られた。

一度振り返ると、ふたりはまだ見送ってくれていた。

もう一度頭を下げて、ふたりを後にする。

何か熱いものが込み上げてきて、滅多に泣くことのないこの俺の頬は、いつの間にか涙で濡れていた。



あと1ヶ月で俺は日本へ帰る。

イブとはその話は何度もしていた。

彼女は非常にドライなところがある。

「ヤマが日本に帰っても、お互いその気なら繋がっていられるから」といわれていた。

まあ、確かにそうだとは思ったが、心のなかでは、俺は魚座だぞ、十二星座のなかで1番の甘えん坊さんなんだ。寂しいじゃん。とか思ったが、しょうがないことだった。

それからは、イブが暇なときは、再び俺と行動をともにするようになった。

俺も当初からそのつもりだったので、何も思い残すことのないように、イブと少しでも多くの思い出作りに勤しんだ。

そして、俺が日本に帰る2週間前に、イブが突然いいだした。

「婚約者ビザを申請してあげる」

「婚約者ビザ?それって、結婚前提ってことだよね?」

「そうだよ」

「俺と結婚する気あるの?」

「さあ、先のことはわかんないけど、今はまだ一緒にいたい」

「ありがとう」

俺は本当に嬉しかった。

俺はそのことばに甘えることにした。

それから、俺たちふたりは役所に呼ばれ、色々なことを訊かれた。俺たちが本当に一緒に住んでいるのかどうか調べるためだ。
ふたりでやったこと、行った場所とか、お互いの好きなもの、嫌いなもの、お互いから見た相手の性格や、一緒にいたときに起こった思い出深い出来事などを事細かに訊かれた。

そうして、申請は受け入れられ、俺とイブとの新しい生活が始まった。

そうなると、今度は仕事を探さないといけない。

クラブに打診してみようかとも思ったが、俺の後釜はもうすでに働きだしていて、それは無理な相談だった。



色んなところを探して、やっとの思いで、キングスクロスから地下鉄を乗り継いで、北へ30分くらい離れた地区に仕事を見つけた。
フレンチレストランでの仕事だ。

オーナーは日本人のユキオさん。
通称ユキさん。

働いているのは、フランス人の料理長と彼のフランス人妻のレストランのマネージャー。

あとはおれを除いて、厨房の6人全員がオーストラリア人。
ウェイターたちもみんなフランス人や現地人で日本人は俺ひとりだけだった。

英語を勉強するにはこれ以上ない環境だった。

そのレストランの近くに小さな図書館があり、そこで日本の本を借りだし、行き帰りの電車のなかで読むようになった。

家でも、職場でも英語しか使わない。たぶん、日本語が恋しかったんだと思う。

仕事は、基本的にはキッチンハンド扱いだった。なので、賄いなどの料理さえも作らせて貰えなかった。

皿洗いが俺のメインの仕事で、他には簡単な下準備をやっていた。

この店は、フランス人料理長の腕の良さと、その妻であるマネージャーの営業力でかなり流行っていた。

彼は本国フランスの有名なレストランで働いていた、とオーナーはいっていたが、どの店の、どのポジションで働いていたのかは俺は知らない。

ただ、腕は確かだった。

出された料理はまったくといっていいほど残ってくることはなかった。

50席ほどある店内は、昼、夜いつも満席で、俺はそれこそコマネズミのように働いた。

俺がこの店で働き出してから2ヶ月が過ぎていた。

このフランス人料理長は、完璧主義者で、厨房内の掃除は、毎日2回、昼と夜の営業時間が終了し、従業員の食事が終わってからやる。

調理台の上に乗っている料理道具、皿のすべてを退かして、ステンレスの調理台を上から下まで洗剤で磨きあげて、水で流し、乾拭きをかける。

料理長とスーシェフ以外の、俺を含めた6人で、30分かけてやるのだ。

店のマネージャーである料理長の嫁さんは車で通勤するのに、料理長は、自宅からの5キロ近い道のりを毎日走って通っていた。料理人はからだが資本だといつも皆にいっていた。

その料理長が嫁さん共々、本国に帰るといって、急遽、店を去っていった。

オーナーは頭を抱えるばかり。

それから、押しだされるように、スーシェフが料理長になり、マネージャーには、現地に住むフランス人女性が新しく雇われた。

ただ、この新料理長には、そこまでの腕はなく、新しいマネージャーの善戦むなしく、客足は遠のくばかりだった。
そして、これ以上の赤字は我慢できない、そういって、オーナーであるユキさんは自分が料理長をやると言い出した。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承ください。

尚、全く違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承ください。

この作品は、1986年から1987年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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