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『サザンクロス ラプソディー』vol.19

ナオミの話はこうだった。

ナオミの彼はイタリア人で、イタリアに本社を置く有名な会社の社長だそうだ。
どのようにその彼と知り合ったのか、教えてくれなかったが、とにかく超が付くほどのお金持ちだという。もちろんかなりのおじさまで、六十歳はゆうに超えているが、あちらの方はかなりお盛んらしく、三日にあげずナオミを抱くそうだ。

彼にはもちろん奥さんも子どもたちもいる。ナオミとしては結婚したいらしいが、その話をすると、彼はいつも話をはぐらかし、いつのまにか帰ってしまう、とナオミは寂しそうにいう。

「やっぱり、あたしって......愛人なのかな?」

臆面もなくそう俺に訊くが、『間違いなくそうだよね。馬鹿なのか?』俺は思ったが、もちろんそんなこと、口になんか出していえるわけがない。

「さあ、どうだろう......彼がナオミのことをどう思っているのかなんて、俺にわかるわけがない」

ナオミは、話そうかどうしようか迷ったんだろう。しばらく考え込んだ後、口を開いた。

「あたし、彼が初めてだったの」

「えっ!そうなんだ」

俺はちょっと驚いた。初めてが、六十過ぎのおじいさんだったとは。ナオミは確か、ツグミと同い年の二十六歳のはずだ。ということは、それまでまったく男性経験がなかったということになる。そのこと自体は大して珍しいことではないだろうが、ナオミは人目を引くほどの美人さんだ。周りが放っておかなかったと思う。

「わたし、付き合うなら、結婚するなら、超が付くほどのお金持ちって、かなりまえから決めていたの。だけど、日本ではそんな男性と知り合うことなんて、なかなかできなかった。もちろん、それなりのお金持ちと出会える機会はあったけど、絶対に妥協はしたくなかったの」

「そうなんだ......」

すごいな。そこまで自分のことを信じて、目標を持って生きてきたこともすごいし、妥協をしない姿勢も凄まじい、と俺は感心していた。
俺ってやつは、あっち行ったりこっち行ったり、足の向くまま気の向くまま、生きているみたいなもんだから。

ナオミがなぜ俺にこんな相談事を持ちかけたのかよくわからなかったが、これは茶化したりせず、真面目に答えなければならない、そう思った。

「俺が思うに、奥さんや子どもたちがいる彼が、結婚の話になると消極的になる、話を避けているのであれば、彼の社会的な立場を考えても、ナオミのことは、愛人としか思っていないと思うよ」

俺のことばにナオミは頷いた。

「そうだよね。やっぱりそうだよね......」

ナオミは、ハーッと短いため息をひとつつくと、なにか吹っ切れたように、「今日はありがとう、ヤマさん。また、今度ね」そういって、俺を追い出すように玄関まで見送ってくれた。

電車に乗り込む。しばらくすると、暗闇のなかに浮かび上がるオペラハウスが見えてきた。ガタンゴトンと、ハーバーブリッジを渡る車輪の音に耳を傾けながら、ナオミの話って、あのクミの話に似ているな、と思い出していた。
やっぱり、初めての男性っていうのは、女性にとって本当に特別なんだな。
そんなことを考えていた。



「好きなものなんでも頼んでいいからね。ヤマさん」

俺はナオミに誘われて、超高級ホテルのなかのレストランに来ていた。

「すっげーっ高そうなところだよな。ナオミ、奢ってくれるっていってたけど、大丈夫か?」

「このまえ、相談に乗ってくれたでしょ。そのお礼だから遠慮しないで。彼から、『ここのマネージャーには、話を通しておくから、このカードで、ナオミにいいアドバイスをしてくれたお友だちにご馳走してあげろ』っていわれたのよ」

ナオミはそういって、黒色のクレジットカードを、俺の目のまえでちらつかせた。

このレストランは彼の行きつけで、ナオミは彼と一緒によくここに来るそうだ。

ナオミがいうには、俺が「彼はナオミのことは、愛人としか思っていないよ」と正直にいったことで、「わたし、愛人でいいから。だけど、本当に愛してるのはわたしだけだよね」と彼に訊いたそうだ。
「本当に愛しているのはおまえだけだ」
彼からはそういわれたという。

ナオミは、彼のそのことばを信じたのだろう。彼女がそう信じたのなら、俺はそれ以上なにもいうことはなかった。

「彼には俺のことは男だって伝えてあるのか?」

「もちろん、伝えているけど。なんでそんなこと訊くの?」

ナオミは不思議そうに首をかしげた。

「もし俺が彼だったら、いま付き合ってる彼女に、たとえ友だちだとしても、『ふたりっきりで食事に行けば』なんて、絶対いえないと思うからだよ。しかも、奢ってあげるなんて......」

「ヤマさんって意外と子どもなんだね。彼はそんなことを気にするひとじゃないから。でも、もし、わたしに手を出したら......ね」

ナオミはそういって、職場の独身の上司からしつこくアプローチされて、困り切って彼に相談したときのことを話し出した。
その上司と外で会う約束をして、ナオミの彼が所有する黒塗りのリムジンで、その場所に乗りつけたそうだ。
ナオミに、「なかに入って」といわれて車に乗り込んだその上司は、ナオミから「私の彼氏です」とその彼を紹介された。
彼が差し出した名刺を目にしたとき、その上司は驚いたように、彼の顔と名刺を交互に見返したという。
それもそのはず、彼は誰もが知っている大会社の社長だ。

そして彼は、「ナオミは自分の彼女なので、しつこくいい寄るのはもうやめて欲しい」と穏やかな口調でいった。

「でも、あなたは結婚されているんですよね? これって、不倫じゃありませんか? 奥さんに知られたら大変なことになりますよね?」

ナオミの彼が既婚者だと知っていた、その上司がいい放ったこのひとことが、それまで紳士的に話していた彼の態度を一変させたらしい。

イタリア人......だよね。
しかも、超お金持ちの。

数年前まで続いていた、あるテロ組織の民間企業への攻撃などは、あまりにも有名な話だった。
そんな物騒な時代のなか、大会社の舵取りをしてきた彼だ。
彼の胆力の凄さは容易に想像できた。

ナオミの彼と話し終えたその上司は、車を降りると、震える自分のからだを両腕で抱きしめるようにして、彼とナオミに一度頭を下げ、逃げるようにその場を立ち去ったという。

「それで、ナオミの彼は、その上司になんていったの?」

俺は単なる好奇心からそう訊いてみた。

「それ、本当に聞きたい?」

そういって、俺を見つめるナオミの瞳は、まるで海の底深くに沈められた人魚みたいに、ただ静かに暗闇を見つめているようだった。

「いや、よしとく」

「その方がいいと思う。そんなことより、食べようよ」

ナオミはそういって、男たちを虜にするような艶かしい微笑みを見せた。

不思議なことに、俺はその日そのレストランでいったいなにを食べたのか、まったく思い出せない。
とにかく、ワインも含めて、かなり高額だったことは確かだ。


〈続く〉


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1988年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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