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『サザンクロス ラプソディー』 vol 5

レイラは、イブがニュージーランドにいた頃の大親友だ。
彼女は24歳、俺と同い年。
今は、メルボルンに住んでいる。
今日の夕方に来る予定になっていたが、列車の都合で昼前に着いたと言う。

俺は正直、ここ3日間の長距離移動で、体力がもう限界だった。
 一刻も早く横になりたかったが、何しろワンルームの狭い部屋なので、そういうわけにいかない。

イブを訪ねてきた友だちを前に、「ちょっとごめん」と手足を投げ出して寝るなんて無礼な真似は、さすがに出来なかった。

イブは「レイラと話をしてるからヤマはどうする?」
俺に、出て行って、みたいな顔をしている。

『あの......俺、もうヘトヘトなんですけど。お前も疲れてるんじゃないのか?鬼!』と泣きそうになった。

けれども、『しょうがないな』と心の中でボヤきつつ、キヨさんの喫茶店に行くことにした。

「じゃあ、ごゆっくり」
ふたりに向かってそう言って部屋を後にする。
彼女たちは、話しに夢中で俺を見向きもしない。
2歳児のノアだけが、ダアダアと手を振ってくれた。
ノア。お前って、いい奴だな、それに比べて......。



「たった今、ゴールドコーストから帰って来ました。本当に疲れた」
俺は開口一発、キヨさんにブーたれる。

「彼女は?一緒じゃあなかったの?」キヨさんは、そう聞いてきた。たぶん、旅行中に喧嘩でもしたと思ったんだろう。

「今、彼女の大親友がメルボルンから来ていて、積もる話のお邪魔になりそうなので出てきました」

「それはそれは、お疲れのところ大変だね」

キヨさんは、こういう何気ない優しいひと言をさりげなく言える。

そういうキヨさんの人柄もあって、店をオープンして間もないというのに、キヨさんはすでにワーキングホリデーの皆の頼れるおじさんみたいなものになっていた。

牛肉のたたき定食を頼む。

食べながらキヨさんが訊きたがったので、今回の旅の話をして聞かせる。

「バイロンベイか、良いところだよね。俺も大好きだよ」

以前嫁さんと一緒に行ったことがあるそうだ。

キヨさんはマリンスポーツが大好きで、サーフィン、ウィンドサーフィン、ヨット、スキューバダイビングとなんでもござれだ。

イブに馬鹿ウケしていた、例の駄洒落、バナナナナを話して聞かせる。キヨさんもツボったみたいで、今度メニューに加えてみようかなとポツリと呟いた。

『そんなに可笑しいものなのか?』

俺の感覚がもしかしたらおかしいのかな?少しだけ不安になった。

「あのー、私も旅行のお話聞いていてもいいですか?」

キヨさんと話をしてると、少し離れた席に座っていたひとりの女の子が、そう言いながら、隣の席に移ってきた。

彼女は、名前をミクと名乗った。
近くのローズベイでホームステイをしているという。

「ヤマさん、外国人の彼女がいるんだよ。すんげー可愛いんだよ」
『キヨさん、ここでは俺らが外国人だって。あー、ややこしい』

「えっ!そうなんですか?」

キヨさんが言ったその言葉に、彼女はかなり興味を持ったみたいだった。

「あの......相談に乗っていただけないですか?」突然、話を切り出した。

「相談て?」

「実は私......南米出身の彼氏がいるんですけど。今、訳が分かんない状態になってて、どうしたらいいのか自分で決められなくて。相談に乗ってもらえませんか?」

俺は疲れてはいたが、こういう日もあるんだろうなぁと思いながら、 まあいいやと思って、
「いいよ、俺でよければ」と、またまた安請け合いをしてしまった。

自分でもつくづく思うんだが、どうして俺はいつもこうなんだろう?
少しは考えろよ、と思う。
女の子に頼まれると、絶対に嫌とは言えないこの変な性格は、きっと死んでも直らないと思う。
断わっておくが、決して下心があるからではない。

二人で近くの公園まで行く。
イブと初めてデートしたあの公園だ。

午後1時の真夏のシドニーの日差しは、皮膚からチリチリと焼ける音がしてきそうなくらい強い。
ミクと木陰に入り、芝生の上に並んで座る。木陰に入るとかなりの涼しさを感じる。

お互いの自己紹介を改めて簡単に済ませたあと、彼女はゆっくりと確かめるように話し始めた。

彼女の話はこうだった。

最初は、彼女がファストフード店で、日本人の友人たちと一緒に食事をしている時に彼から声をかけられたらしい。いわゆるナンパされたというやつだ。

英会話を勉強したかった彼女は、彼の顔を見て自分の好みの顔だったので、友だちとして付き合うことになった。

何回か外でデートをした後、彼のフラットで、拒むことなく体を許したという。

それからは、深い仲になっていったそうだ。
ところが、ところがだ。
彼には本国に嫁さんと子供がいるということが発覚したのだ。
彼の友だちが、やっかみからか、親切心からか分からないが、そう教えてくれたという。

ミクがそれを問いただすと、妻と子供はもちろん愛している。
けれども、君の方がもっと好きだ。
君もぼくを好きだろう?と悪びれもせず、このままの関係を続けたいと言ったんだそうだ。

ラブとライクの差が気になるし、ただヤれる女の子としてキープしたいのかな?と彼女は悩んでいるという。

それで、どうしたらいい?と俺に聞いてきた。

女の子たちは皆、俺には恋バナがしやすいと言う。彼女たちによると、そういう雰囲気がでているそうだ。俺自身は、それに関してはよく分からない。

「それは、別れるべきだと思う。ミクが遊びでも構わないと思っているのなら話は別だが、本気なら直ぐに別れた方がいい」
妊娠とかの問題もあるし、俺はそう答えた。

「まあ確かに、一度好きになってしまえば、何とかならないかな?と考えてしまうのは、分かるよ。
けれどこの場合は完全に遊びだというのが明らかだよね」

彼は、国に残してきた妻と子供とは別れるとかほざいてるらしい。

「いやいや絶対ないって」
俺は絶対という言葉は嫌いだからほとんど使わない。
しかし、この場合は明らかだった。
「嫁さんと子供を捨てるって事、ありえないよ。
だってそのために出稼ぎに来てるんでしょ?このオーストラリアに」

「そうなんだ......」

ミクは寂しそうに、もう一度、「そうなんだね......」と力なく呟いた。

普通の状態の俺だったら、もう少し違った言い方をしていたかもしれない。しかし、何しろ心身ともに疲れきっていたので、こういう断定的な言い方をしてしまった。

人の人生を左右する相談に、こんな状態で乗るべきではなかったと後から後悔したが、口にだした以上もうどうしようもない。

彼女は、俺の助言にしたがって、彼とはこの後すぐに別れた。

別れたあとに発覚したらしいが、何でも、彼女のほかに二人の日本人女性と付き合っていたらしい。

「ヤマさんのおかげで早くけじめがつけられて良かった」
と、かなり感謝された。
たぶん、彼女の中ではもう別れようと決めていたのだろう。
ただ、誰かに背中を押してもらいたかっただけなのだと思う。

ミクとは、この後、友だちとして7年以上付き合うことになる。
人との出会い、縁というものは不思議なものだ。
また、このミクがある意味、女性としてたくましく成長していく過程を見ていくことにもなる。

 この時の彼女は、まだ十九歳で本当に少女少女していて、 清らかという言葉がぴったりと当てはまるほど可愛いくて良い娘だった。
そんな彼女が、何年後かには、信じられないほどの変貌を遂げる。



午後3時過ぎに、俺がフラットに戻るとイブ、レイラとその息子ノアは部屋にはいなかった。

『三人でちょっと出かけてくる。帰りは夜10時過ぎになる』
と、置き手紙がしてあった。どこに行くとも書いてはいなかった。

眠気も疲れも限界だったので、俺はそのまま布団に倒れ込むと、着替えもせずにそのまま深い眠りについた。

目を覚ますと夕方5時過ぎだった。
キングスクロスから地下鉄でタウンホールで降り、中華でも食べようとチャイナタウンへ向かっていると、ふと、俺の視界にアルゼンチン料理の文字が飛び込んできた。

昼間、美久と話をしていたせいか、南米の料理を無性に食べたくなったのだ。
なぜか分からないが、美久は最後まで、彼氏の国籍は教えてくれなかったなあ、なんてことを考えながらふらりとその店に入った。

シドニーはとにかくいろいろな国の人がレストランを開いている。
日本でも、大都市では世界各国の料理を食べられるのだろうが、田舎出身の俺にとっては、人生初体験のことだった。

よく分からないので、お店の人に三品ほどお願いした。
でてきたのは、エンパナーダ、オーブンで焼いたピロシキと言った感じのもの。
ロクロ、豆とトウモロコシのスープ。
モルシージャ、血のソーセージ。飲み物は炭酸水。
それと、赤ワインのオレンジジュース割り。サングリアではない。どれも初めて食べたが、すこぶる美味しかった。

店を出ると、腹ごなしついでに歩いてバルメインにある映画館へと向かう。
イブと休みの日に何度か来たことのある映画館だった。
日本でいうところの名画座だ。
毎日違う映画を上映する。
5ドルで、基本2本立て。

新作の映画は、8スクリーンある街の中心部のシネコン、大型映画館で観る。それでも、料金は8ドル。
当時は、まだ、曜日の割引以外は同一料金が基本だった。

今夜の上映は、『1900年』という1976年初公開のロバート・デ・ニーロ、ジェラール・ドパルデュー出演の映画だ。
4時間越えの作品なので、1本のみの上映だった。

この映画館には、本当の映画好きが多く集まる。辺りは閑静な住宅街。
映画を見終わって映画館を一歩出たあとに、街の喧騒とかに瞬時に現実に引き戻されるということが全くない。

徒歩で大通りに出るまでの静まり返った住宅街をゆっくりと歩く15分間ほどは、映画の余韻に充分にひたれる。映画館を少し下った所にある喫茶店では、映画を観終えたひとびと、映画好き、役者志望の若者や映画関係者が、作品の感想などの話で盛り上る。

英語の勉強のためというのもあった。イブと別行動のときは、1人で良くこの映画館に足を運んだ。 

家に戻ると、イブとレイラはまだ帰っていなかった。
俺は疲れ果てていたので、着替えるとソッコー眠りについた。



彼女たちがいつ帰ってきたのかも気づかないほど、深い眠りに落ちていた。 目を覚ました時には、レイラが帰るところだった。

四人でセントラルステーションまで行き、列車でメルボルンに帰るというレイラと彼女の息子、ノアを見送る。
昨夜の事を色々聞こうと思ったが、結局何も聞けなかった。
ニュージーランドでのイブの人生についても、何も聞くことは出来なかった。

これより何年か後、レイラはバイロンベイに住むことになるのだが、彼女を悲劇が襲った。信じられない最悪のかたちとして。

俺のなかでのバイロンベイと言うワードは、イブとの幸せなひとときと、レイラに起こった悲劇が同時に思い起こされ、複雑な心境にさせる。

つくづく、今日という日が最後の日になりえるという覚悟だけは、心のどこかでしておかないとと思う。あたりまえのようにある日常が明日も続くとは限らない。

レイラとは、たいして話はしなかったが、優しい人柄が顔ににじみ出ていた、あの、人を包み込むような笑顔と穏やかな話し方は、決して忘れることはないだろう。

長い人生のなかで、ほんの一瞬すれ違っただけなのに終生忘れえぬひともいるが、反対に、仕事などでかなりの長い間一緒に働いていたひとでも、記憶の中からいつの間にかこぼれ落ちている人もいる。

人との出会い、人との縁。
心の底から深く触れあえるひともいれば、そうでない人もいる。
つくづく面白いものだと思う。






ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

話は続きますが、不定期更新なので次はいつになるのか全くわかりません。ご了承ください。

尚、全く違った作品も間に投稿する予定です。これについても、あらかじめご了承ください。

この作品は1986年から1987年の物語という設定ですが、実在する人物、店名、団体名、地名などとは一切関係ありません。

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