見出し画像

『サザンクロス ラプソディー』vol 11

イブと別れてから1ヶ月が過ぎていた。
俺は相変わらずユキさんの店で仕事を続けている。

いつの間にか、厨房のワーホリの連中みんなが、キングスクロスの住人になっていた。
なぜなら、キングスクロス以外の地区では、夜は静かすぎて、若者の彼らには少し物足りなかったからだ。
この地区は、〈眠らない街〉そのものだ。
みんなそれぞれルームシェアをして、別々のところに住んでいる。

一人で住んでいるのは俺だけだ。

同じ年頃の連中だ。
みんなここには、オーストラリアを楽しみたくて、ワーキングホリデービザで来ている。
というわけで何でも自分が面白いと思うものをやりたがる。

俺はそんな彼らに、想い出にもなるだろうと、たまにテレビや映画の仕事を紹介してやった。

そのエキストラの仕事がある日は、ユキさんにお願いして俺は休みを取り、そいつらを撮影現場まで連れていった。

ユキさんは本当に理解がある人で、「ワーホリは思いっきりオーストラリアを楽しむべきだ」いつもそういっていた。 

ユキさん自身、ここでの生活をエンジョイしていた。
仕事にはもちろん一生懸命取り組むが、それ以上に、テニス、ゴルフ、スキーが大好きなアクティブなナイスミドルだった。

厨房の連中とは、一日中仕事で一緒、電車でキングスクロスまで帰るのも一緒、仕事帰りにカフェや酒を飲みにいくのも一緒。

正直いって、俺はあまり日本人のみんなと一日中一緒にはいたくなかった。

もちろん、彼らが嫌いだ、というわけでは決してなかった。

ただ、以前お世話になったホームステイ先のミセス・テイラーが何度も俺にくれたあの助言。

「仕事はしょうがないとしても、一緒に遊ぶのはなるべく英語圏のひとにしなさいよ。それから、日本人とは一緒に住まないこと。いいわね」

それを思い出すと、今はあまりいい環境とはいえなかった。

ここ最近、英語なんて、買い物をしたりするときにすこ~し使うだけだ。

俺たちは仕事が終わると、キングスクロスの深夜のカフェで、1時間ほど話し込むのが日課だった。

まるで学生のノリだ。
話すことは女の子の話題が多い。

「どっかに可愛い娘いないかな?」
これが彼らの共通の口癖だ。

ただ、俺はこの頃そこまで女子には興味もなかった。
何しろイブに振られたばかりだったからだ。

「ヤマさん。金髪の彼女とは別れたそうですね」

「ああ、気持ちよく振られたよ」

「これでみんな独り者ですね」

そういうと、彼は嬉しそうに微笑みを浮かべた。

『独り者って、いったいおまえは何歳だよ!』

ひとの不幸は密の味ってところだろう。

休みのある日、花時計で〈餃子定食〉を食べた。
この頃、チャイナタウンの飲茶でも食べられるようになった〈焼き餃子〉とは、やはりどこかひと味違う。

「こんにちは、ヤマさん」

キヨさんが相変わらずの人懐っこい笑顔で話しかけてきた。

「あのさ、ヤマさん。お願いがあるんだけど。実はね、僕の知り合いのお金持ちが、ポケットマネーの2億円を使って、オーストラリアで映画を撮ろうと計画しているんだ。それでこっちの映画関係の実情を知りたいんだって」

「ポケットマネー、2億円?すごいな」

「綺麗な女の子3人ばかり都合できないかな?」

キヨさんは声を潜めた。

「......それって、ヤレる女を世話しろってことですか?」

「違うよ。そんなんじゃあない」

キヨさんは思いっきりかぶりを振った。

「高級レストランでの食事会になるから、ヤマさんと僕と彼の男3人だけだと花がないし。それと、ヤマさんとは別に現地のひとたちからも色々と話を訊きたいんだって」

しかし、俺の知らないところでいつの間にそんな話が出来上がっていたんだろう?不思議に思うばかりだ。

俺は『本当かなあ?』そう疑いながらも、承知した。
高級料理に釣られたのだ。

料理人にとって、食べたことのないものを食べたいという欲求は、普通の人たちよりかなり強いと思う。

俺は行きつけの小カジノのバニーガール、芸能人志望の女性3人とつなぎをつけ、キヨさんに紹介することにした。

「日時、場所とか決まったら教えてください」

俺がそういうと、キヨさんは「向こうから俺に連絡を入れさせてくれないかな?」と強い口調でいう。

何でそこにこだわるのかが、俺には良くわからなかったが、いわれた通りにした。


高級中華料理店での食事会当日。

店に着いた俺はキヨさんに、
「オーストラリアで頑張っている俳優さんです」と先に来て待っていたその金持ちに紹介された。

『俳優だなんて気持ちは更々ない。ただ、面白いからその方面の仕事をたまにやっているだけなのに』

そう思ったが、キヨさんに話を合わせた。

俺は、自分が出ている作品など一度も見たことがなかったが、キヨさんにいわせれば、テレビで良く俺を見かけるらしい。

その男性は俺が想像していたような金持ちの嫌なイメージがほとんどなく、オーストラリアの映画業界の話を本当に熱心に訊いてきた。

とはいっても、俺はここの業界のこともそこまで詳しくは知らないし、ましてや、日本のその業界のことは全く知らない。
知っている範囲で、誠心誠意答えた。

一番の違いは、現場での食事面だった。日本では弁当が主流だそうだが、こちらではスタジオ撮り以外では、長時間の撮影の場合、少人数、大人数に関わらず、必ずケータリングがでる。食べ放題だ。種類も多い。

ベジタリアン用のものも当たり前のように用意してある。

「ケータリングには費用がかかりそうだな」

彼は、すこしだけ表情を曇らせた。

しかし、それから30分ほどが過ぎても、現れるはずの俺が紹介した女の子たちはやって来ない。

「ヤマさん、いったいどうなっているのかな?」

キヨさんは俺に困り顔で訊いてきた。

「日時、場所はキヨさんが伝えたんじゃないんですか?」

俺がそういったときに、彼女たちは揃って現れた。

『......ん?きっかり30分遅れって?』

俺は疑問に思ったが、まあ、彼女たちが来てくれたことでひとまず、キヨさんの顔は立った。
俺はほっと胸を撫で下ろした。

あとからわかったことだが、キヨさんが彼女たちに集合時間を間違えて伝えていたのだ。

キヨさんはオーストラリアは長い、もう10年以上住んでいたが、英語はあまり上手ではなかった。

俺は彼女たち3人と、その男性との間に入って通訳をしているから、なかなか食事に手をつけられない。

キヨさんは、歳の差30歳の日本人の彼女と楽しそうに食事を堪能している。

『おいおい、すこしは助けてくれよ』

俺は心のなかでそう呟きながら、ふたりをチラリと何度か見たが、結局、助け舟が出されることはなかった。

ひと通り話が終わったところで、どこかに飲みに行こうという話になった。

そこで俺は以前勤めていたクラブを紹介した。


「あんた、まだいたの?今は何のビザでここにいるの?」

そういって、マスターとママは、久しぶりに会った俺を笑顔で迎えてくれた。

ホステスのジュリエッタとは、たまにエキストラの現場で会っていたので、彼女は俺が婚約者ビザを申請したことは知っていた。

「イブとは別れた」と告げると、気の毒そうに「残念だったわね」と優しいことばをかけてくれた。


 久しぶりに会った、以前、俺の尻を触りまくっていた宮本さんは、俺を見るなり「ヤマ、久しぶりっ!元気にしていたか?」といって、両手をモミモミして、尻を掴むジェスチャーをして見せた。

相変わらずだ。まったくこのおっさんは......。


 クラブでのひとときも終わり、この日の会はお開きとなった。

「また機会があったらご一緒しましょう。今日はありがとうございました」

「こちらこそありがとう。色々と聞けて助かりました。私はもうしばらくここにいるから」

俺は、短くお礼をいうと、すこぶる上機嫌の彼をひとりクラブに残し、女性3人とその場をあとにした。

「イブとは別れ、今はテンポラリービザでここにいます」

店を出るときにマスターにそう伝えた。

「最初に会ったとき、ヤマ、おまえはここ、オーストラリアに長く居そうな気がしていた」

そういって、マスターはチラリと俺の手首を見た。

マスターに貰ったあの腕時計だ。

「僕の宝物です。ありがとうございました」

「使ってくれていて嬉しいよ」

相変わらず日に焼けた真っ黒な顔に白い歯を覗かせて、マスターは嬉しそうに微笑んだ。


そのあと俺は、女の子3人から誘われて近くの バーで飲み直した。

「私たち、仕事もらえるかな?」

彼女たちはそう俺に訊いてきた。

「さあどうだろう」

しかし、俺はそうとしか答えることが出来なかった。

「まあ、いいや。これもらったし」

3人はいつの間にかお小遣いをもらっていた。ひとり 200ドル。

 俺には一銭もくれなかったのに......。 

まあ彼女達が良ければそれでいいや。



「この人ヤマさん。こっちのテレビとかに出ている人」

休みの日に、花時計にいく度に、俺はキヨさんから、となりに座っている客にそう紹介される。

俺のやっていることは、はっきり言ってエキストラだ。

別に演劇の勉強をしているわけでもない。
そういわれると、逆に恥ずかしい。

その中の一人にマイがいた。

スレンダーで鋭いくらいの美人で、いかにも男の扱いに慣れていますっていうタイプ。

俺が苦手とするタイプだ。

俺たちが仕事帰りにいつものカフェでくつろいでいると彼女がやって来た。

「ヤマさん。今晩は!」

「ああ、今晩は」

「ご一緒しても?」

彼女がキングスクロスに住んでいることは知っていた。

そんな彼女が俺の知り合いだとわかったとたん、男たちは色めき立った。

「彼女さんですか?」

誰かがいった。

「いいや、ただの知り合いだ」

「みなさん、今晩は」

みんなに会釈をしながら、マイは男どもが空けてくれた席に当たり前のように座る。
男たちは訊かれてもいないのに自己紹介を始めた。

彼女の如才ないこと。

そのどれにも愛想よく、テンポよく答える。

「そうなんですね」
「凄い!びっくりです」
「頭いいんですね」
「育ちがいいのが顔にでています」

その度に、一人ひとりの瞳をみつめて、小悪魔のようなキラースマイルを投げかける。

『ホステスかっ!』俺は心の中でそう叫んで、その様子をぼーっと聴いている体で眺めていた。

その中の一人が彼女に、
「家はどこですか?」などと連絡先を訊き始めた。

「ヤマさん。教えてもいいかな?」 

彼女は、俺の方に視線を移すと、話を振ってきた。

「君がいいのなら、教えてやってももいいんじゃないか」

そう冷たくあしらった。

「あっ、そう!」

マイはすこし怒った口調で俺にそういうと、眉根を寄せて彼にことばを返した。

「ごめんなさい。今日は会ったばかりなので、また今度」

そういって、残念がる男たちを尻目に帰って行った。

「本当に彼女じゃないんですか?」

マイの後姿を見送りながら、男どもはしつこく俺に訊いてくる。

「違うから。さっきもいったよな」

俺のそのことばを聞いて、男たちはほっとした表情を見せた。

まあ、デニムのショートパンツの、裾のほつれたところから少しはみ出たマイの尻の魅力的なこと。

男どもが、我先にと落としにかかるその気持ちもよくわかる。



酒の飲める小カジノみたいなところで男どもと遊んでいると、マイがやって来た。

友だちのアカネと一緒だ。

俺は20ドルを20セント硬貨100枚に両替してスロットマシンをやっていた。

すると、マイはその硬貨を入れ物ごと、俺の手からかっさらっていった。
ことばはなにもない。
すこしふざけた寄り目の笑顔だけを俺に見せた。

俺の連れの男どもに「遊ぼうよ!」と声をかけて、すこし離れたスロットマシーンで遊び始めた。

それを見ていた、金持ちの食事会にも参加した知り合いのバニーガールが、「大丈夫、あの子?」と声をかけてきた。

「大丈夫だよ」と俺は答え、また20ドルを両替して遊び始めた。

「 ピロンピロンピロン 」

スロットマシンの最後のリールが停止したその時だった。

「ギリギリギリギリギリギリーン」 

けたたましい音がジャックポットを告げた。
楽しげな音楽が大音量で鳴り始めた。

1000倍のジャックポットだった。
20セントが200ドルだ。

 安レートのスロットマシーンで、ストレート1ライン有効、最高5枚がけ中、3枚がけ、合計600ドルになった。

マシーンはコインをすべて吐き出すので止まらない。

20セントが3000枚。

その大音量の音楽は店内に鳴り響き続けた。

俺は周りの人びとの視線の中、コイン用にもらった箱に次々と吐き出されるコインを詰める。

ひとつ、ふたつ、箱を積み重ねていく。

マイがその箱に手を伸ばそうとしたそのときだった。

件のバニーガールにマイは制止された。

「これは一度全部換金しないといけないから」

そういって、彼女はマイを睨んでいる。

換金した俺の手の中には、600ドルがあった。
100ドル札3枚、20ドル札10枚、10ドル札10枚が手渡された。

男どもは俺を取り囲んで、
「いいないいな」
と何万ドルとか当たったわけでもないのに、本当にうらやましそうにしている。

まあ、確かに週給以上の金額ではあった。

思えばマイが俺のコインをかっさらっていった。

そしてこれだ。

なにか運命めいたものを感じた。

飲み物を連れの男たちとマイに奢ると、ご祝儀だといって、ひとりに20ドルづつ渡した。

マイは、いつもどこからともなくやって来て、しばらくの間、風のように俺にまとわりつくと去っていく。

不思議な女だった。

はっきり言って美人だ。
自分の価値というものを嫌というほど知っている女だ。

その容姿も、会話も、仕草も、化粧も、男たちを惹きつけてやまない。

そんな女だったが、俺のなかの何かが、彼女とは深く関わっていけない、と告げていた。

むしろ俺は彼女を避けていた。

しかし、マイはいつのまにか俺の目の前に現れる。

俺の住んでいるフラットは、裏通りに面した古い建物の一角にあった。

ある日の早朝、窓際の椅子に座って煙草を吸っていると、窓ガラスに何かがコツンと当たった。

窓から下を覗くと、そこにはマイが立っていた。俺に向かって手招きをしている。唇に指を当てて、シーッをしている。

土曜日の前夜から、小カジノで朝3時頃までマイとアカネを含めた俺たち7人は飲んで、マイたちとはつい3時間ほど前に別れたばかりだった。

 下に降りて声をかける。

「こんなに朝早くどうした?すこしは寝たのか?」

「うん、すこしだけ眠った」

目覚め始めた真夏のオーストラリアの早朝は、小鳥たちの囀りがどこからともなく聞こえて来る。

木漏れ日はまだ柔らかく、頬をなでていくそよ風も、朝の心地よい涼しさを纏っている。

「みんなは寝てるの?」

「死んだように寝てるよ」

マイはクスッと短く笑うと、

「なかに入っていい?」

下から俺を見上げ、甘えるような声でいう。

『こいつ、小悪魔だ』

マイのゆらゆらと揺らめく瞳の色に囚われそうになる。

部屋に入ると、ソファや床で深い眠りについている男たちを見て
「死体が四つ転がっている」とマイは声を落として笑った。

そして、いきなり俺の背中に手をまわすと、キスをしてきた。

俺はそれを制止して、マイのからだをうしろへ軽く押しやった。

その拍子に俺のベッドに倒れ込んだマイは、縁に座り直すと、ポンポンっと軽くブランケットを叩いて、『来て!』というジェスチャーをしている。

この光景......イブのあの時の仕草だ。

俺はイブとのことを思い出していた。『未練だな......情けない』

と、突然俺は腕を引かれて、マイの上に覆い被さる形になった。

若い雌の瑞々しい匂いがする。

マイの瞳は、薄暗がりの中でもその妖しい輝きを放っていた。

しかし、この期に及んでも俺の中の何かがストップをかけた。

もちろん、周りに男4人が寝ているということもある。いつ起きてくるのかも分からない。

俺のいつもはいうことをなかなか聞かん棒は、今は聞き分けよく沈黙を保っていた。

マイは俺の手をスカートのなかへと誘う。

指先に感じるマイの柔らかいところは、熱を帯びて濡れていた。

マイは何もいわずに潤んだ瞳で俺を見つめている。

そのときだった。

「ヤマさん、おはよう」

さっきまで転がっていた死体のひとつが、寝ぼけ眼を擦りながら上体を起こして、声をかけてきた。

「じゃ、ヤマさん。そういうことだからよろしく」

マイはいつの間にか、捲れていたスカートを素早くもとに戻し、ベッドから下りていた。

そして、囁くようにそう言い捨てると、なにごとかとマイを見つめる寝起きのゾンビに一瞥し、そそくさと部屋を出ていった。

マイと俺との不思議な関係はこの後も続くことになる。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承ください。

尚、全く違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承ください。

この作品は、1987年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

よろしければ コメントお願いします。短くてかまいません。頂いたサポートは大切に使わせていただきます。