『サザンクロス ラプソディー』 vol 8
「ヤマ。じゃあ、わたしたち出かけるから」
「ああ、楽しんでね」
今日もイブとキャシーのふたりは、仲良く楽しそうに笑いながら出かけていった。
俺は仲間外れにされっぱなしだ。
最初の2、3回くらいは一緒に出かけてもいたが、何しろ二人は、俺そっちのけでず~っと話し込んでいる。
「......でさ。アンナはあのあとどうなったの、キャシー?」
「実はね.....」
ふたりのほとんどの会話は、地元の知り合いとかのローカルの話だ。
それで、俺は相変わらず蚊帳の外、面白くないので、完全に別行動をとることにした。
家の近くの店で〈チキンシュニッツェル〉と〈ハムアンドチーズクロワッサン〉をお持ち帰りして、ベンチに座って食べる。
食べ終えて、一服しようとタバコを胸のポケットから取りだそうとしたとき、「タバコもらえないかな」爽やかな笑顔をつくった若者が目の前に立っていた。
オーストラリアでは、こんな風に自然にタバコをタカってくるやつがいる。ほんのたま~にだが。
俺は快くそれに応じる。
赤の他人からいわれる「ありがとう」の言葉は、以外に俺を幸せな気分にしてくれる。
一度断ったことがあった。
その男は、そんなに一杯あるのに、何で1本もくれないんだ!と激怒して、俺の後をついてきた。
「こいつケチだ。ヒドイやつだ」と大声で叫びながらだ。
これには些か参った。
地下鉄キングスクロス駅の入口近くにあるパブのとなりに、〈TAB〉という場外馬券売り場がある。
時間をつぶそうとふらっと 入った。
マークシート方式の馬券を手に、しげしげと見つめていると、
両腕にかなりたくさんの刺青を入れた、六十代くらいの中肉中背の白人男性が、カタコトの日本語で話しかけてきた。
顔は彫りが深く、白髪が目立つ長髪の、いかにもオーストラリア人といった風貌の男だ。
「こんにち~は。あなた日本人で~すか?」
「ええ、そうです。わたし日本人で~す」
その男につられてぎこちない日本語になってしまった。
彼は、前に日本に住んだことがあるという。
馬券の買い方を教えてやるといって懇切丁寧に教えてくれた。
俺が生まれて初めて買った馬券は、彼のお薦めの3連単だった。
少ない賭け金でどか~んと稼げるそうだ。
レースが始まった。
その当時は、まだテレビ中継をしていなかったので、ラジオでしか聞けなかった。
何しろ、馬の名前を早口でまくしたてるものだから、何をいっているのかさっぱりわからない。
聞く耳が追いつかないのだ。
結果さえも全くわからなかった。
彼にどうなったのかを訊くと、ダメだ、と頭をふった。
ビギナーズラックは、俺には微笑まなかった。
暇なときは、家からすぐ近くということもあって、TABにはよく通うようになった。
もちろん、賭けるお金なんてたかが知れている。
50セントから賭けられたので、10ドル負けた時点でやめることにしていた。
最初のうちは何をいっているのか全くわからなかった中継も、必死こいて聞いていると、人間の耳って不思議なもので慣れてくる。
話している内容が次第にわかるようになってきて、そのうちレース全体がわかるようになった。
人間って成長するものだと思う。お金がかかると、特に。
件のオーストラリア人のことを、俺は「太陽おじさん」と呼んでいた。
なぜかというと、彼の左の二の腕に太陽の刺青が入れてあり、レースが的中する度に、
「サンキュー、太陽!」と太陽は日本語で、叫ぶながら投げキッスをするからだ。
どうしてなのかは教えてくれなかった。
それでも、何時間もそこにいるわけではない。
毎日、イブとキャシーは、夜遅くまで家に帰ってこない。
*
店が休みのある夜、たまに行くチャイナタウンの中華料理店で食事をして、バルメインの映画館に行った。
「Salome サロメ」1923年 アメリカ映画。
観終わって映画館を出ようとしたその時に、60代くらいの毛むくじゃらの、くまみたいな容姿の白人男性に話しかけられた。
「君は日本人だね?」
「はいそうです」
「だと思った。お茶でもどうかな?時間はあるかい?わたしがご馳走するから」
「はい、ありがとうございます。行きましょう」
俺は直感でこのひとは大丈夫、そう思った。
この頃、色んな意味で日本人は狙われ易かった。
坂道をすこしばかり下った喫茶店に入る。
映画を観終わった、いかにも映画好きの人たちが、かなりの大声で議論しているようだった。
「わたしは、ロバート。君は?」
「ヤマです」
「ヤマ?」
彼は、2回「ヤマ、ヤマ」と確かめるように呟いた。
そして、さっき観た映画の感想を訊いてきた。
俺は、感想を、といわれても自分のいいたい単語が思いつかない。
「美しくて、変わった映画だった」そう答えるのが精一杯だった。
映画が大好きで、この映画館にもよく来るという。彼は映画に対する感想やら、どうやってこのシーンは作られたとか、細部にわたって説明してくれた。
俺が分かるようにかなりゆっくりと、一言一句確かめるように。
しかし、彼の口からでてきた単語、特に形容詞や動詞は聞いたことのないものばかり。
半分以上何をいっているのか分からなかった。
俺は、「そうなんですね」とお決まりの分かった風に相づちを打つばかりだった。
そうしていると、一人の若い女性がロバートに話しかけてきた。
「ロバート、元気?」
「シルビア。久しぶりだね」
ふたりは顔見知りのようだった。
「今晩は、シルビアです」
彼女は俺に微笑みかけた。
「ヤマです。今晩は」
「ご一緒してもよろしいですか?」
「どうぞ、どうぞ」
そうして、三人でお茶をすることになった。
彼女は女優を目指していて、大学でその勉強をしているという。
イギリス系です、といわんばかりの顔立ちで、
すっと鼻筋が通っていて、
身長はそこまで高くはなかったけれど、胸がかなり目をひく、魅力的な女性だった。
彼女はかなりのおしゃべりで、ロバートに映画のことについて色々と早口でまくしたてて訊いていた。
俺はここでも分かった風に相づちを打つだけ。
だって何を言ってるのか全然わかんないんだもん。
この彼女、シルビアとは俺がオーストラリアを去るまで、この出会いから約6年間、友だちとして付き合うことになるのだから、人との縁は本当に不思議なものだと思う。
彼女との関係は、イブと別れたあと、非常に微妙な関係が続いた。
ミック・ジャガーのコンサートや映画や食事など、デートらしいことは何度もしたし、彼女の女ともだち、彼女の実の兄、弟とは、食事の場をわざわざ設けたりして会ったりもした。
けれども、友達以上、恋人未満という関係は何ら変わることもなく、それより先に進むことはなかった。
俺はこの彼女にさんざん振り回されることになるのだが、この時はそんなことを知る由もなかった。
*
1月下旬、キャシーはニュージーランドへ帰っていった。
キヨさんの喫茶店にお願いしていた、イブの英語のレッスンが始まった。
募集の案内を貼り出したその日に電話があり、まず二人の日本人と会うことになった。
時間差で花時計で待ち合わせることにする。
イブは、一緒に来てくれと言う。
俺は、イブが一人で行った方がいいんじゃないかと言ったが、
「ヤマ、考えてよ。英語を習いたいというひとが、会ったその日に私が話す細かい取り決めとか、詳しい話を理解出来る?わかんないでしょう?」
とイブは半ばキレ気味にまくし立てた。
俺も分かんないと思うけど...。
その言葉は飲み込んだ。
なので、一通りイブが話す内容を予習していった。
英会話のレッスンは、1回2時間 25ドル。これは、妥当な料金だ。
教える内容は、イブがひとりで決めていた。
イヴはもともとネイティブではないので、教え方もうまかった。
英語学習者がどこでつまずくのかがよくわかっていた。
そのレッスンはかなりの好評を得た。
貼り紙を貼り出してから1週間足らずで、生徒は10名、とかなり増えたが、逆にイブは食傷気味になった。
なぜなら、ほとんど同時期に教え始めたもんだから、教えることというのは、彼女にとって毎回同じ事を教えなければいけない。
フリートーク で話す内容も、相手のレベルを考えれば、ほとんど似たり寄ったりになってしまう。
そして、生徒の中の何人かの男性から、恋人として付き合って欲しい、と告白されたりもした。
イブがそれを断ると、最初に決めた約束ごとも守らずに、それっきり連絡がとれなくなったりもした。
その度にイブは落ち込んだり、腹を立てたり。
それでもイブは、一度始めたことだからと根気よく続けてはいたが、生徒が一番熱心だった28歳の女性ひとりになった時に、とうとう教えるのをやめてしまった。
イブは後にこの彼女と一緒に暮らすことになる。
「 やっぱり、わたし、教えるの向いてないわ」そう言ってイブは笑った。
イブの性格なのだと思うのだが、いつも忙しなく何かをやっていないと落ち着かないみたいなのだ。
イブは裁縫が得意で、パターンを買ってきて、手縫いで麻の生地のトラウザーズを仕上げたり、なんてことをいとも簡単にやっていた。
イブはこの頃、写真を始めた。
その趣味が高じて何年後かにはロンドンで、フォトグラファー、ときどきモデルの仕事で生計を立てることになる。
知り合いの写真家に色々と教えてもらい、写真を撮りまくり、暗室で自ら現像をするようにもなっていった。
イブは思いきって買っちゃったといって、その高価なカメラを1度見せてくれたことがある。
俺はその方面はさっぱりなので、何というカメラだったのか全くもって覚えていない。
おまけにヨガも始めた。
「ヤマもやれば!」そういわれて付き合わされた。
体が硬く、イブみたいに簡単にできない俺は、たま~に近くのジムに行って体を鍛えることにした。
キングスクロスの近くにある小さなジムだったが、女性は一人もいず、男ばかりのむさ苦しいところだった。
なぜか、口髭を生やした男たちばかりだった。
この頃のトレーニングが効いたのかどうかわからないが、日本から出てくる前に新調して作っておいたスーツが、帰る頃にはもう入らないようになっていた。
胸と肩がパンパンで、かなり肩幅が広がっていた。
イブはこの頃から次第に宗教色に染まり始める。
どこかの教団に入ったり、とかそういうことはなかったが、自分なりの信じるものを見つけ出して、急速に徹底したベジタリアン化していく。
肉を食べるということは、お金を払って動物を殺させているのと同じことだよ。
犬や猫は可愛いでしょ?人間の友だちだよね。牛や豚だって可愛いでしょ?同じ動物だよね。だったら、犬や猫と同じように、食べたらダメじゃん。他の動物も食べたらダメだよね。
この頃はまだ、人間は動物に与える穀物を、動物を飼育する代わりに食べた方が、地球環境を含めた食糧問題を考えた場合には良いんだ、とかはまだいっていなかった。
そういう風に、考え方や生き方について、自分自身で『これ』というものを確立していく。
そして、俺たちの間に、決して埋めることのできないおおきな隔たりができることになる。
*
ホステスの控え室のなかで小休憩を取っていると、黒人のジュリエッタが声をかけてきた。
「ヤマ、俳優の仕事に興味ない?」
「え?俳優」
「実はね。私の知り合いが日本人を探してるんだ。週に一度、夜の7時半からやってる全国的に結構有名なテレビのシリーズものなんだけど。
それで内容聞いたらね、ヤマにバッチリ合いそうだから。一度エージェントに会って話を聞いてみない?昼間の撮影だから、夜までずれ込むことはないと思うから」
ジュリエッタが日本人向けのクラブで働いていることを知っている、所属する芸能事務所から頼まれたという。
そういわれて、翌日、俺はとりあえずそのエージェントに会ってみることにした。
簡単に自己紹介をして話を聞くと、何でも田舎の方に行く芸能人の付き人のひとりで、ヘアスタイリスト役ということだった。
すると、そのエージェントは、キャストのイメージとぴったりだと言って、俺はその仕事をもらえることになった。
何でも、予定していた人が急病で出られなくなったという。
それで困り果てて、ジュリエッタに頼み込んだんだそうだ。
人生初めての俳優の仕事、ようはエキストラだ。
主人公たちの近くに立って髪を触りながら話をしているだけ。
それでもそれなりに緊張はしたし、真剣に取り組んだ。
撮影は2日間に渡って行われた。
その番組は、平日の夜7時半からの放送だったので、俺は完成したものを観ることができなかった。
あとから知ったことだが、その現場で会った年配の女優は、オーストラリアではかなり有名なひとだった。
この人が一番気さくで、よく話しかけてくれた。
「私ゴジラ大好きよ」と言って「ガオーッ!」とかふざけて見せてくれたのを今でも覚えている。
「ゴジラって、有名なんだな」と感心したもんだ。
エージェントも満足してくれたみたいで、これ以降仕事を不定期にもらえるようになった。
オーストラリアの映画、ドラマ、テレビコマーシャルやハリウッド映画。
そのほとんどがエキストラだった。
それでも、撮影現場にいられるというのは楽しく、嬉しいものだった。
1本だけだが、今でも動画サイトで見られるものがある。これから3年後の作品だ。
オーストラリアのテレビのスペシャルドラマだ。
主役の男優とのからみのシーンで、俺のアップでコマーシャルに入り、俺のシーンで続きが始まる。
見事な大根っぷりだが、それでも自分では精一杯、真剣にやっている。
まあ、若い。27歳くらいの頃だ。
同じドラマの別のシーンの撮影は、以外と大がかりなものだった。
村の家屋に俺の命令で火を放ち、ジープに乗って走り去るという、戦争を題材とした外国人が撮る映画での日本人のお決まりの役、軍人役だった。
沼地のそばに建てられたセットの小屋に火を放ち、派手に焼き払うというシーン。
何しろ、火をつけたら消さなければいけない。
消防車がニ台ひかえていた。
ディレクターから、家屋が燃えるシーンは一発撮りだから、とその場のみんなに説明があった。
みんなの間にかなりの緊張が走る。
周りにキャスト、撮影クルーを含め大勢のひとがいて、カチンコが打たれ、アクションの号令がかかり、俺の演技からすべてが始まる。
こんな快感は、経験したものにしかわからない。
大根だけど。
〈続く〉
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