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『サザンクロス ラプソディー』vol 4

ある日の夜、店のなかは、ある一団の来店で異様な雰囲気に包まれていた。

地元のその筋のボスに連れられて、よその国のお仲間5名が店にやって来たのだ。

マスターの知り合いらしく、「くれぐれも、よろしく」と頼んできたと言う。

エミリーとウェンディが最初に席についたのだが、その客たちの独特な威圧感に音を上げて、ものの10分ほどで席を立っていた。

別におさわりとか、そういったおふざけがあったという理由でもなく、ただ単に、彼女たちが振った話に全然のってこなかったという。

俺がドリンクをセットした時には、そこまでの威圧感は感じなかったのだが。

日本人の常連客たちも普段通りやって来た。けれども、「また、今度」と言って、すべての客が帰って行った。

体格もよく、その筋の一種独特な雰囲気を纏った彼らが、店の出入り口、カラオケを歌うときのステージの一番前の席に陣取って、睨みを効かせるものだからどうしようもなかった。

ママは、最初に奥の席を案内したのだが、ここが良い、と有無を言わせず、どっかと座ったのだ。

マスターとママが、その紹介者と顔を見合わせて相談していると、ドイツ人のガブリエラが、「私にまかせて」と手を挙げた。

「本当に大丈夫?」と心配するママの声を余所に、ガブリエラは、「こんなことくらい、大したことじゃないわ」と微笑んでみせた。

ガブリエラは東ドイツ出身で、どういう経緯でオーストラリアに来ることになったのか、ついぞ本人に最後まで聞くことはかった。

1986年12月は、1989年11月のベルリンの壁崩壊の約3年前のことだった。

彼女が席について、ものの2、3分もしないうちに、大きな笑い声が聞こえてきた。

カラオケのリクエストもどんどん入る。もちろん、数少ない英語の曲ばかりだ。酒を飲むペースも早い。

カラオケも、まだまだ世界的にはそれほど知られていない頃だ。
彼らにとっては、本当に物珍かったのだろう。

会計が終わると、彼らは上機嫌で帰って行った。

ホステスたちが待機している小部屋に入ると、みんなが声をひそめて聞いてきた。

「帰った?」

「うん、帰ったよ。たった今」

皆、安堵のため息をもらした。

エミリーがホッとした表情でつぶやいた。

「夜、つきあえとか言われるのかと思った」

「いや、それはさすがにないだろう。ママが許さないって」

そう言えば、ガブリエラは?俺は彼女を探したが、その姿はもうどこにもなかった。





仕事が終わって帰ろうとすると、タカが話があるという。またいつもの路地裏のカフェに入ってお茶をする。

俺がカプチーノにシュガーを入れて、泡がこぼれないようにゆっくりと混ぜていると、タカが話を切りだした。

「ヤマ、実は今度パーティーを企画してるんだよ」

「パーティーって...お前ん家でか?」

「ちがう、違う。何百人とか集めてやるパーティーだよ。今、日本でそれが流行ってんだよね」

「へぇーっ!そんな大がかりなやつか?」

「ダンス、カラオケ、ビンゴ大会、ミスコンなどのイベントあり。食べ物、ドリンクなどもいっぱい取り揃える。
とにかくめちゃくちゃ楽しもーぜっていうパーティーだ」

「すごいじゃん。お前、すごいな!」

「それほどでも......あるかな......」

「自画自賛かよっ!」

「それでさ、ヤマ。お前、俺にお金投資する気ない?」

「どういうことだ?」

「会場借りたりとか、DJの手配だとかに手付金とか、前払いが必要で、とりあえず何人かで出し合うんだ。その後、利益は全員で分配するってこと」

「それで、幾らくらいいるんだ?」

「1人1000ドルだ」

「なるほど......」

俺はちょっと考えた。すると、俺のその様子を見て、タカが身をのり出して言う。

「絶対に損はさせないから」

俺はそのことばを聞いて決心した。
俺は昔から絶対ということばを信用していない。

「悪いが、俺はやめとくよ」

「なんで? たったの1000ドルだよ」

まあ確かに、この頃バブルに突入したこともあり、普通の連中にとっては、1000ドルなんて大したことない金額なのかもしれなかったが、俺にとってはちょっと厳しかった。

「日本から持って来た金も、もうほとんど残ってないしな」

俺がオーストラリアに着いた7月下旬、為替レートは、1A$=128円だった。
それが12月の今では、1A$=88円。

100万円を換金すると、手数料を入れずに計算すると、約8000ドルと約11000ドル。

その差額約3000ドル。

この金額は、ワーキングホリデーが稼げる2ヶ月分以上に相当する。
今、換金していればという思いはあったが、持ってきたトラベラーズチェックは、すべて換金して銀行に預けていた。

「申し訳ないが......」

「いいよ、いいよ、別に......。もしかしたらと思って声をかけただけだから。他にやりたい連中も何人もいるし、募集をかければ、すぐに集まるとは思うから」

「ごめんな。力になれなくて......」

それからしばらくして、タカは、パディントンにある大きな会場で日曜日にパーティーを開催した。

クラブのホステスたちは全員参加していた。
タカがタダ券を彼女たちに配っていたからだ。

俺は買わされたが...どういうこと?

ダンスの上手いエミリーは、なぜか、踊りながらしつこく俺に絡んで来た。
俺はそこまで上手くもない。
しばらく踊ったあとで、フロアーから逃げるようにイブのもとへと戻った。

イブは踊りは苦手といって、会場の隅っこに設けられたテーブルで、ドリンクと食事を楽しんでいた。

パーティー自体は大盛況で、成功を収めたが、お金を出した知り合いから聞いた話では、収支の結果は赤字だったらしい。
本人は、少しだけど利益は出たとは言ってはいたが。

俺が推測するに、タカは、エミリーに格好いいところを見せたかったんじゃないかな、と思う。
その効果はなかったみたいだった。

タカはこのパーティーの後、クリスマスホリデーに突入して、店が休みに入るのに合わせて仕事を辞めた。
ゴールドコーストに行くと言ってはいたが、それ以降、俺はタカと会うことも連絡を取ることもなかった。

俺は昔からこんなところがある。
縁があるひととは、またいつの日か、ふたたび会える日が来ると思っている。




今日は、12月24日、明日から店のクリスマスホリデーに突入する。

日本人経営の店などでも、地元密着型のところは、だいたい12月25日から1月7日前後まで休みをとる。

日本人の経営者たちは、日本に帰ったり、オーストラリアでゴルフ三昧の日々を送ったりしてホリデーを満喫する。

学校などの休みは、オーストラリアでは日本の夏休みにあたるので、12月中旬から1月下旬までになる。

12月だと10月にすでにサマータイムに入っているので、何もトラブルの心配はないのだが、とにかく、オーストラリアは日本の国土の21倍、人口は6分の1。それに、州ごとに日本との時差も3つに分かれている。

サマータイムに入った日と、終わった日には、とにかく注意が必要だった。うっかりその日に約束をして、どちらが忘れていたら大変なことになる。州をまたいでの移動の際には特に注意が必要だった。州ごとで時差があるからだ。

マスターからホリデーペイをもらう。約ニ週間分の給料分に相当していた。それと、働いた分、一週間分の給料も合わせてもらう。
三ヶ月ほどしか働いていないのに、有難いことだった。

給料は、日本とは違い、普通は週給でもらう。会社によっては月給制、または選べるところもあるが。だから、手持ちが全くなくなっても、なんとか一週間しのぎ切れば生きていける。

そういう意味では、生き易いのかもしれない。だから、若いうちは特にアルバイトであれば、興味のある仕事に挑戦し、ある程度やってみて駄目だったら、すぐに仕事を変えるなんてことも普通だった。

日本だと、25日が給料日の会社だと、最悪の場合、働きだしてから約2ヶ月後にしか給料は貰えないからだ。

これでは、余程なことがない限り仕事を変える気持ちにはならない。かなりの勇気と決断力が必要になる。

ただ、オーストラリアでは、かなりの人が給料をもらった端から使う癖がついているので、しっかりした計画性のある人以外は、『宵越しの金は持たねえぜ。お前さん、江戸っ子かい?』みたいなことになってしまうひとも多い。特に若いうちは。

どちらが良いのかは、その人次第だろう。俺は週給の方が断然良いが。


マスターから、店の植木鉢に水をあげるのを忘れないようにしてくれなと頼まれた。俺は鍵を預かっているので、「わかりました」と 安請け合いをしてしまったのだが、よくよく考えたら、植木鉢の水は最低2日に1回くらいはあげないといけなかった。

それじゃあ、長期間の旅行には行けないな、と後から思い返してしまった。しかし、わかりましたと言った以上、責任があるのでしょうがない。

まあ、旅行に行くといってもそんなに俺もイブもお金がないので、豪華なホテルで何泊旅行とかには行けない。
それで、かねてから予定していた バイロンベイへの小旅行に行くことにした。
ここは本当に綺麗なところでバイロン岬はオーストラリアの最も東にある岬だ。

13時間ほどかけての列車での車中泊の旅だった。寝台列車ではない。そのため、目的地の駅に着いたときには体はバキバキに固まっていた。

二人用の三角テントをイブの友だちから借りて、キャンプ場で1泊の予定だった。

キャンプ場に着くと、受付を済ませ、利用に際しての注意事項を聞き、テントを張ってさっそくビーチへ向かう。

オーストラリアで一番美しいといわれるビーチだけあって、本当に素晴らしいところだった。

「ライトハウスへ行ってみようよ」イブはそう言うと歩きだしていた。
俺はイブのこんなところが堪らなく好きだった。自由きままな女が昔から好きだった。
幼いころから、猫を飼い続けていたせいもあるだろう。

自分が気のりしないときは、呼ばれても来ない。チラッと見て、しれーっとして通りすぎる。

けれども、遊んでーっ!、とか、ご飯ちょうだいっ!、いつの間にかとなりに寝ていたりする。そんな時の、デレデレ加減がたまらない。

メインビーチから遊歩道をゆっくりと歩いて、約1時間ほどかけて白い灯台にたどり着く。

オーストラリア最東端の岬からの太平洋の眺めは格別だった。

どこまでも続く青い空と青い海、白亜の灯台、風のなかを優雅に舞う白い翼のシーガル。

イブは麦わら帽子を風に飛ばされないように手で押さえている。

ちょっと嫌みな女に見える、イブのかけているサングラスも、吹き飛ばされそうなくらいの強風だ。

岬を通りすぎていく、自由きままな風になびくイブの金色の髪は、真夏の太陽の日射しを浴びてキラキラに輝いていた。

岬を下りて、メインビーチでしばらく過ごしたあと、夜7時だというのにまだまだ明るい夏空を後にして、俺たちは近くのレストランに入った。

店の中では、最近流行っている、〈バナナラマ〉の〈ヴィーナス〉がジュークボックスから大音量で流れていた。

メインの料理を適当に頼んだあと、デザートのメニューに目をとめた。

...ん?〈バナナナナ〉、なんじゃそりゃ?

日本で言うところの、バナナパフェだ。
バナナラマとバナナナナ、ことば遊び、いわゆる駄洒落だった。

イブは、バナナナナがよっぽどツボったのか、両目を蒲鉾のように半月にして、涙を浮かべて笑い転げていた。

食事を終えて、テントに戻るときも、バナナナナとつぶやくと、足を停めて、しばらく声をあげて笑う。それを何度かくり返した。

可笑しくないことはなかったが、彼女の笑いのツボは、結局、最後までわからなかった。

キャンプ場に帰り着いたときには、辺りはやっと暗くなっていた。

日本と違って、オーストラリアの夏は湿度が低く、カラッとしているので、夜はかなり過ごしやすい。テントのなかはそんなに暑くはなかった。

お互い、申し訳ていどのエッチをさっさとすませると、長距離の移動で疲れきっていた俺たちは、いつの間にか深い眠りに落ちていた。

翌日の朝、テントやらの荷物を抱えて、観光インフォメーションセンターに来ていた。

現地ではいろいろなツアーがあったのだが、イブはそのどれにも興味を示さず、俺たちは結局、1時間半かけて、バスでゴールドコーストへ行くことにした。

サーフアーズパラダイスのビーチは本当に素晴らしいサーフビーチだった。
その名前の通り、波の上には、大勢のサーファーたちがサーフィンを楽しんでいた。

波の大きさ、高さはボンダイビーチの方があるような気がしたが、波の大きさなどその時々で変わるので比べようもない。

ビーチの長さは、いうまでもなくこちらの方がはるかに長い。

俺は何度も、ボンダイビーチでサーファーとニアミスをしていたのでサーフボードには少しだけ恐怖心を抱いていた。

イブもサーフィンには興味がまったくなかった。
結局、俺たちはサーフィン体験などすることもなく、ゴールドコーストで半日ほどをかけて観光をし、土産物屋を見てまわったあと、長距離バスで、16時間ほど揺られてシドニーへと戻った。

家の近くまで帰り着いたとき、
イブが突然、早足で歩きだした。
どんどん、ひとりで先を歩いていく。

俺がイブ!と、叫んでも振りかえりもしない。

俺たちの住むフラットの玄関の前に、丸メガネをかけた、ひと昔前のヒッピーのような風貌の、赤ん坊を抱いた長髪の女性が佇んでいた。

「レイラ!びっくり。いつ来たの?」

そう声をかけると、イブは彼女に駆け寄った。


( 続く )



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか全くわかりません。ご了承ください。

尚、全く違った作品も間に投稿する予定です。これについても、あらかじめご了承ください。

この作品は、1986年から1987年頃の設定ですが、実在する人物、店舗、団体名、地名などとは一切関係ありません。

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