短編小説『永遠の命 人魚伝説』
第一話 理沙
理沙は久しぶりに父親とのドライブデートを楽しんでいた 。と言っても、コンサート会場からしばらく帰ってなかった自宅までの道のりだけだけれど......。
全国ツアーをやっと終えてかなり疲れてはいたが、父とのデートにはしゃいでいた。
一方的に話しかけて、父に話をさせない理沙、父は父で、そんな理沙に耳を傾けて嬉しそうだ。
かなりハードなツアーだった。と聞いていたが、そんな疲れを微塵も感じさせない理沙、やっぱり普通ではない。
今更ながら父は「すごい娘だなぁ」と感心していた。
「何が食べたい?」父が聞く。
「久しぶりにあなたが食べたい」
と言って理沙はくすりと笑った。
父は恥ずかしそうだ。
「冗談はよして、何か美味しいものでも食べて帰ろうか?」
「じゃあね、わたし、回らないお寿司じゃなくて、回るお寿司が食べたいわ」
父は、本当にこの娘はお寿司が好きだな。「分かった」と言って、近くの回る寿司チェーンの店まで車を走らせる。
だんだん雨が激しくなってきた。
突然、前の車のテールランプが近づいてきて理沙は気を失った。
目を覚ますと、マネージャーの美穂が心配そうな顔で、理沙の顔を覗き込んでいた。
「そうだ!お父さん、お父さんはどこ?」
ギプスで固定された身体をじたばたさせて、理沙は叫んだ。
「お父さんは今集中治療室に入ってるの」
「どこ?お父さんのとこに行かなきゃ」
「理沙もすごい怪我をしてるのよ。動けるわけないじゃない。今はただ無事を祈りましょう」
「だめ!私が行って助けるの!連れて行って」
「そんなことできるわけないじゃない。 あなただって大変な怪我なのよ」
「だめだめ!行かなきゃ!お父さんを助けなきゃ!絶対行かなきゃ!」
大声を張り上げ暴れだした理沙に、何事かと看護師達がやって来た。
そんな理沙に、医者は麻酔を射った。
理沙は深い深い眠りについた。
再び目が覚めた時、マネージャーの美穂に理沙はまた父の容態を訪ねた。
すると美穂は、視線を下に移し
「ついさっき......亡くなったの」
「ダメダメ!そんな......私だったら助けられたのに.....」理沙は大声で叫ぶ。
「なんで、なんでわかってくれないの?」
りさは大声を上げて泣き出した。
「将暉さん!将暉さん......」
父の名前だ。
美穂が言うには、
急停車した前の車に突っ込んだ時に、父の将暉が理沙を庇って、身代わりになったのだそうだ。
理沙は天涯孤独の一人ぼっちになってしまった。
今まで父一人娘一人で生きてきたのに、親戚もいないし、頼る人もいない。
もちろん理沙は歌手として名声を手に入れてはいたが、それはあくまでアイドルとしての 人気であり、
本当の理沙としての人生を、一緒に生きてくれる人は、今までもこれからも将暉ひとりだったのだ。
「お久しぶりです。実は大変な発見がありまして...今、私どもの病院にある一人の女の子が入院しているんですが、
この子がもしかしたら、あなた様の命を助けることができるかもしれません」
電話の向こうの老人は
「どういう意味だ?」と不審がる。
「今の段階では、詳しいことは申し上げられませんが、近いうちに必ず全てをお話しします」
「分かった。連絡待ってる」
理沙の担当医は理沙の検査結果に驚いていた。
今まで全く見たことのない血液のタイプなのだ。
彼自身、医者としての経験はもう30年以上積んではいたが、こんな血液型は初めて見たのだ。何処にも載っていない......。
しかも、あれだけ重症で、死んでいてもおかしくなかったんだが、わずか三日ほどでほとんど治ってしまっている。
折れていた足ももう繋がっていて、ギプスをつけてはいるものの、ほとんど元通りになっている。
「こんなことがあるなんて......」 医者は自分の目を疑ってた。が、しかし、これは現実なのだ。
「うん、試してみる価値はあるかもな」
医者は理沙の血液のサンプルを、重病の患者に投与してみた。
すると、その癌の末期患者はみるみるの内に症状が改善され、わずか一日で血色も良くなり、人工呼吸器が要らないまでになった。今にも歩きだしそうだ。
そこに看護師が慌てて入ってきた 。
「先生、理沙さんがいません」
「な、なんだと!一体どういうことだ? 彼女はどこに行ったんだ」
その頃理沙は父の死を受け入れられず、 自宅へ向かっていた。
美穂はマネージャーであったが、理沙のことを本当に大好きで、友達でもあったので 、理沙の言うことは何でも聞いてくれた。
理沙が事故にあった。ということで、病院の周りには雑誌記者などが詰めかけてはいたが、
まさか大怪我を負った理沙が、 ギプスも付けず堂々と病院の正面玄関から歩いて出ていくことなど、誰も想像もしていなかったので、簡単に抜け出すことができたのだ。
父の遺体は、会社の方で面倒を見てくれて、もう火葬も済まされていた。
「小さな骨壷に入ったお父さん、こんなに軽いんだ 。お父さん ......」
家の中に入る。暗く静まり返った誰もいない家の中で、 一人理沙は思いを巡らす。
私のことを理解してくれて、愛してくれた人が、また一人いなくなった。また私一人ぼっちなんだ......。
そう思うと涙がポロポロとこぼれ落ちた。
二階に上がり、ダブルベッドの横にある 理沙と父、将暉の並んで写っている写真。
写真立ては五個並んでいたのだが 、全てに理沙と父将暉が写っていた。
しかし、違和感を覚えるのは、父、将暉は若い頃からそれなりの歳をとっているのに、理沙は全くというほど年をとっていないのだった。
将暉と一緒に寝たベッド、朝まで愛し合った。
何度も何度も、お互いの愛を確かめるように......。
本当にまた一人ぼっちなんだ。
そう思うと、理沙は胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「理沙ちゃん、みーっけ!」
突然、理沙の背後から声がした。振り返るとそこには、見覚えのある顔が立っていた。
彼は理沙の熱心なファンで、ファンイベントによく来てくれてはいたが、問題を起こすことでもよく知られていた。
「お父さん亡くなったんだってね。かわいそうに、けど大丈夫だよ!僕がいるから。僕が理沙のこと守るから!」
驚きもせず、その男を見た理沙は、
「お願いだから、出て行ってくれない?」
「嫌なこった。僕はりさぴょんと一緒にいるんだもん。りさぴょんのお婿さんになるんだもん」多少興奮している。
「ああそう!じゃあしょうがないね」
そう言うと、理沙は歌い始めた。
「嬉しいな。僕のために歌ってくれるのかい?」
このストーカーの股間は少し膨らんでいた。
しかし、次の瞬間、信じられないほどの声の嵐が彼を襲う。耳を塞ぐが、それでもその声を避けることはできない。
「やめてくれ!やめてくれ!」男は叫ぶが、理沙は構わず続けた。
やがて男は床にうずくまると、ガクンと 首を前に落とし、そのまま動かなくなった。
「だから言ったのに、だから言ったのに。 私言ったよね!出て行ってって!」
男は死んでいた。
そして、理沙がその男の唇にキスをすると、 その男の唇から少しずつ男の体は 空中に、霞のように消えていった 。
そして、やがて全てが消えてしまうと、理沙はさっきまで抱えていた写真立てを 見つめ直した
「将暉、何で死んでしまったの?
まだまだ、ずっーと一緒にいたかったのに......」
表向きは娘と父ということになっていたが、実は理沙と将暉は恋人同士だった。
第二話 始まり
二人が出会ったのは今から約三十年前、 将暉が山岳部のサークルの登山で、遭難した時に出会った。
激しい雨が降っていた。将暉達山岳部のメンバーは、下手に動くと遭難してしまうと、
雨がやむまで雨宿りをすることにした。
やがて雨が上がり、霧があたりを包むと、 美しい歌声が聞こえてきた。
声のする方に行ってみると、一人の少女が生まれたままの姿で、川の中の浅瀬で歌っていた。
それにしても美しい歌声だ。
将暉以外のメンバーたちは、その声にうっとりしている。
メンバーの中でも自制心が強く、リーダーシップを発揮している結城でさえ、興奮を隠しきれない様子で股間を触っている。
他の連中も、どうも様子がおかしい。みんな彼女のところまで駆け寄っていった。
将暉だけは、なぜかそんな彼らを見送り、 遠くから彼女だけを見つめていた。
将暉の親友の昇大が、真っ先に彼女に飛びついた。そして、唇に吸い付くと、抱きかかえ今にも犯そうと言わんばかりだ。
それからは悲惨な状況に陥った。何が彼らを狂わせたのか?彼らは互いに互いを傷つけ合い、最後には殺し合ってしまった。リーダーの結城が残ったものの、彼も深手を負い、川の中に倒れるとそのまま下流へと流れていった。
目の前の惨事が現実のものか、夢の中の出来事なのか、将暉は呆然と立ち尽くしていた。
目が覚めた時、一人の少女が心配そうに将暉を見つめていた。
「大丈夫?お腹すいたでしょう?」
部屋の隅の方に一人の老人が、たぶん彼女のおじいさんだろう。粗末な小屋の床に敷いた布団の中で咳をしていた。
老人が咳き込むと少女は「大丈夫、 辛い?」 心配そうに声をかけた。
「雪、俺はもうだめだ! もうこのまま 死ぬことになるだろう」
「楽しかった。 雪とのこの生活は、このままずっと一緒にいたかったんだけれど... やっぱり俺は普通の人間だ。 雪とはずっーと一緒にはいられない」
「ただ、雪のことを託せる人間がやっと現れたような気がする。俺が死んだ後は彼と一緒にどこかへ行くといい。そして幸せに暮らして欲しい。それが俺の最期の願いだ」
老人は苦しそうに将暉に目を向けると、 「どうか彼女を幸せにしてやってくれ」と言った。
突然のことで理解できない将暉は、何を言ってるのか?どういうことか?教えてください。と老人に尋ねた。
老人は信じられないだろうが、と、ぽつりぽつりと話し始めた。
それはまるでおとぎ話のような話だった。彼女は見るからにまだ十五、六歳の少女なのに、彼女は500年ほど生きているという。
彼女は人魚の呪いのせいで死ぬことができないと言う。
それは今から500年ほど前の話だった。
*
土砂降りの中、庄九郎は村の幼馴染の太郎と、村の仲間二人と一緒に、籠の中の人魚を京の都に向けて運んでいた。
三日ほど前、庄九郎の住む漁村に 一人の人魚が打ち上げられた。
村人たちはその人魚を捕まえ、役人に届け出ると、都に運んで来い!と、役人がやって来た。
それで庄九郎たちが運んでいたのだ。
なんでも言い伝えによると、人魚の肉を喰らうと不老不死になるらしい。
京の都に住む高貴なお方の娘が流行病にかかり、その命はもう風前の灯 。そこで、その人魚の肉を娘に食べさせる。と言う。
猿ぐつわをされて、泣き続けている人魚の横顔を見ながら、庄九郎は「なんて綺麗なんだ!」と、内心見とれていた。
人魚がなにか伝えようとしていた。
庄九郎がわずかに聴いてとれたのは、
「お願い、助けてください! お願いです」という、人魚の懇願するか細い声だった。
金色の髪、青い瞳、まるでこの世のものとは思えない。
雨がいっそう激しくなってきた。
前をゆく役人たちが大声をあげる、「急げ、急ぐんだ!」
切り立った崖の小道を、庄九郎たちは 自分の村を眼下に見ながら、一生懸命歩みを進めていた。
人魚が庄九郎ににもう一度言った。「 お願いです。助けてください !もし助けてくださったなら、その恩は一生忘れません。いつか必ずお返しします」
庄九郎は内心助けたい、と思っていた。
都の高貴なお方の娘など、会ったこともないし、知ったこっちゃない。
この流行病では何千何万の人々が死んでいるのだ 。どうせその娘も助かるまい。
するとその時、ドドドドッと、地すべりの音がして、庄九郎たちの足元の崖が崩れ、人魚の籠と共に下に落ちていった。
「痛たたた」 庄九郎が顔を上げて辺りを見回す。と役人達が遠くに見えた。
あと二十歩も先に行けば海だ。
手足を縛られた人魚は、そこに横たわっていた。
雨と暗闇の中で、庄九郎たちの姿は役人たちからは見えない。
庄九郎は決心した。人魚を逃がすことにしたのだ。
「おい、 大丈夫か? 今、縄を解いてやるからな」
そう言うと、庄九郎は人魚を抱き抱え、海へと逃してやった。
人魚は庄九郎に「ありがとう。この御恩は決して忘れません」
と言い残すと、荒ぶる海の中へと消えていった。
庄九郎と村人たちは庭に座らされていた。都の高貴なお方の屋敷だった。
役人を従えて、見るからに高貴なお方が 庄九郎たちの前の台座に座った。
「お前たちがあの人魚を逃したのか?」
そういう言葉に、激しい怒りが見て取れた。
「私の可愛い娘、たった七つで死んでしまった。 お前たちがちゃんとあの人魚をここまで運んで来てくれれば、死なずに済んだかもしれない」
「口惜しい......」
「役人たちの話によると、お前たちの中の一人が人魚と話をしていたそうだな。
逃がしてくれ!とでも言われたのか?」
庄九郎は黙っていた。
「この中に、娘がいる者はいるのか?」高貴なお方は尋ねた。
庄九郎が「私にも娘が一人おります」と答えると、
高貴なお方は「 いくつになる?」と、庄九郎の前に進み出て尋ねた。
「十七になります」
「そうか......」
高貴なお方は、役人に何かを耳打ちをする。
庄九郎達は牢屋の中に入れられてしまった。
牢屋から解放されて庄九郎たちが村に戻ると、村人たちは庄九朗を見るなり
「ひどいことだ、ひどいことが起こった」と口々に叫んだ。
あの後、役人達が来て庄九朗の一人娘を 殺してしまったのだ、止めに入った母親も切り殺されてしまった。
もうすっかり冷たくなった、一人娘の亡骸を抱きかかえ、庄九郎は自分も死のうと海の中に入っていく、
どんどんどんどん、深くなっていく。
庄九朗が死を覚悟した時、突然、目の前にあの人魚が現れた。
「なんてひどいことを」人魚はすべてを知っていた。
庄九朗と娘を海辺まで運ぶと、人魚は自分の手首を噛み切り、流れでた血を娘の口に注ぎだした。
抱きかかえている庄九郎の腕に、娘の温かさが戻ってきた。生き返ったのだ。
気が付いた娘は、庄九朗に抱きついてきた。
人魚は「借りは返した。 けれども一つ覚えておいて。あなたの娘は永遠に生き続けるの、しかも年を取らずにね」
「自分で命を終わらせる方法はひとつしかないの、それは自分の命を誰かに移すこと。私がやったみたいにね......」
そう言うと、人魚の体は霧のように消えていった。
*
将暉はそんな話を聞いて、にわかには信じられなかった。
しかし、老人の話にはなぜだか嘘ではない、と言う説得力があった。
実際、この娘を奪うために、将暉の友人たちが殺し合いまでしたほどだ。
少女はおとなしくその老人の話を聞いていたが、
「本当のこと。私は本当にもう 500年以上生きているの」
「何度か死のうとしたんだけれど、命をうつすっていうことは、誰へでもできるって言うことではないみたいなの」
「私の血を与えれば、しばらくの間、病人でも体は健康になるんだけれど、私が消えなければ、つまり命を移せなければ、その後、血を与えられた人間は恐ろしい死に方をしてしまうの。もがき苦しんでね......」
「そんな光景を何回も見て、もう私、ひとに命を与えて自分が死ぬなんてことを思わなくなったの、辛すぎるから......」
将暉はひとり、仲間たちとはぐれ、仲間たちは山で遭難 したということになったが、彼らの遺体は結局見つからずじまいだった。理沙の死の口づけで、みんな霧になって消えたのだ。
疑いの目は将暉に向けられたが、結局証拠はなにひとつ見つからなかったので、真相は明らかにはならなかった。
小屋の老人は亡くなり、それと同時に、将暉はその少女と一緒に住み始めた。
少女は本当に美しく、将暉はすぐに心を奪われた。
二人が結ばれるのにそう時間はかからなかった。
第三話 出会い
「将暉、将暉!私ひとりぼっちになっちゃった」
いったい何回、こういう出会いと別れを繰り返してきたんだろう?
こんな想いに慣れるわけがない......。
小さくなった将暉のお骨を前に、理沙は 久しぶりに誰かに命を映して自分が死のうか、と思ったりもした。
「先生大変です。あの患者さんが大変なことに」
理沙の血を投与され、元気を取り戻したあの患者が、恐ろしい状態で死んでしまった。その最期は壮絶を極めた。
「これは一体どういうことだ?どういうことなんだ、これは... 。彼女を捕まえて、まだよく調べなければ」
医者は理沙のマネージャーの美穂に連絡する。そして医者は、理沙が家に戻っていることを知ると、例の老人に電話をかけて、
「あなたの命の鍵を握る、この少女を捕まえてください」と協力を依頼した。
その命令を受けて、二人の男が理沙の元へと忍び寄る。
しかし、何百年と生きてきた理沙に、実際にはたかが数十年しか生きていない人間、
その道のプロとはいえ、そんな普通の人間が、理沙に太刀打ちできるものではなかった。
二人とも理沙に歌を聞かされ、死の口づけをされ、消えてしまった。
先の老人は、連絡が取れない二人に業を煮やし、 追加の手下をよこしたが、今度は彼女を見張るだけにした。
理沙は三十年ぶりに藪の中の山小屋に足を踏み入れた。もうあの頃の名残はほとんどない。
これからどうしようか考えていた。
みんなが知るスターなだけに、新しい男などを見つけることは容易ではあったが、 理沙の全てを受け入れてくれる男と言うのは、そう簡単に見つかるわけではなかった。
まず何百年も生きている、などと言っても、誰も信じやしないだろう。
愛したひとびとを見送り続けてきた理沙にとって、
永遠に生きる、ということは苦痛でしかないのだ、と言うことが身にしみて分かっていた。
最後に言葉を残して死んでいった者たちのなんと美しいことか......。
物語の終わりがあるからこそ、人は一生懸命生きて、またそれに感謝するのだ。
生まれたままの姿で川に入った。すると突然、二人の男たちが、気が狂ったように襲ってきた。
理沙はちょっと疲れていたので、彼らのなすがままにさせてみることにした。
片方が理沙を犯そうとすると、もう片方が後ろから男を襲い、殺してしまった。
残ったほうが狂ったように理沙を犯したが、理沙は感じるどころか、気分が悪くなった。
死の口づけで、男が霧のように川面をただよい消えて行く中、理沙は山小屋へと戻って行った。
その夜、山小屋で理沙が一人で暖をとっていると、「すみません、誰かいますか?」と声がした。
男だった。
男は道に迷って、できれば一晩、ここに泊めて欲しい。ということだった。
理沙がこんな山奥に一人きりでいることを不思議に思った青年だったが、余計な詮索をするような人柄ではなかったみたいだ。
理沙はこの青年に、将暉の面影を重ねていていた。よく似ている。
青年は何かに気づくと、短く「あっ!」と声を上げた。
大スターの理沙が目の前にいる。今、やっと気づいたのだった。
理沙はそのことに気づき、「このことは話したくないから、聞かないで」 と、彼の質問を制した。
彼は聞きたそうにしていたが、やはり詮索好きではなかったみたいで、それ以上聞いて来ることは無かった。
青年はばつが悪かったのか、「すいません 、眠くなったので寝ます」と言うと、理沙に背を向けて眠りについた。
翌朝、青年が目を覚ますと理沙の姿はそこには無かった。どこに行ったのだろう?と理沙を探すと、川の中で生まれたままの姿で水浴びをしている理沙を見つけた。
青年はその姿を見て「なんて......」言葉を失った。だが犯したい、とかそういう思いは一切浮かんでこなかった。
将暉もそうだった、 理沙が心の通じ合える人間は、そう簡単に理沙に欲情しないみたいだ。
青年に気付いたのか、理沙は手を振った。
全く恥ずかしがる様子はない。 逆に青年の方が恥ずかしくなってしまった。
理沙は青年、木戸慎一と行動を共にすることにした 。「あなたの所に行きたい!」と理沙が伝えると、彼は快く引き受けてくれた。
慎一には、理沙はコンサートツアーが終わって息抜きをしたかったから、などと嘘をついた。
「じゃあ、僕は仕事に行ってきますから、鍵はここにありますので、出かける時は鍵をかけて、ここに置いてください」と優しい口調で慎一は理沙に言うと、職場へと向かった。
慎一が病院に着くと、病院では理沙の担当医が興奮した様子で「この子を探してくれ」とみんなに尋ね歩いていた。
その写真を見て、青年はびっくりした 。医者が探していた少女は、理沙だったのだ。
反射的に「私の家にいます」と慎一は言おうとしたが 、一呼吸おいて
「彼女がどうかしたんですか?」 と医者に尋ねた。
医者は言葉を濁したが、慎一は「何か裏がある」と悟った。
例の老人からの催促の電話が医者に入り、
「 まだ見つからんのか?一体どうなってる?」
「金に糸目はつけんぞ、いくらでも請求していい。 早くしろ !わしの命は短いんだ!お前も知っているだろう?」
「もし、わしの命がなくなったら、お前にも一緒に死んでもらうからな!分かったな 。それぐらいの力、死んだ後でもあるんだぞ。お前も知ってるだろ?」
「わかっております。今しばらくお待ちください。必ず見つけ出します」
看護師の一人が、医者が末期がん患者に投与した血液のことを慎一に話した。そして、その患者が一体どうやって死んだのか、ということ。そして、その血が誰のものだったのか?ということ。
慎一の中で一つの仮説が立てられた。医者は実験をしたんだ。彼女の血を使った。 そして、その彼女が今僕の家にいる。
家に帰ると、彼女はまだおとなしく家にいた 。彼女の目の前に向き直し、その瞳を見つめ、「聞きたいことがあるんだけど」と話を続けた。
「信じないでしょうけど......」と理沙は慎一にすべてを話して聞かせた。
慎一はあっけにとられていたが、理沙の話しぶりに、嘘ではないということは確信が持てたので、
それで恐る恐る理沙に「君は一体何年、生きてるの?」と尋ねた。
理沙は苦笑しながら「そうね、正確には 覚えていないけれど、もう500年以上は生きてる」
「それで、今までどんな人生送ってきたの?」
理沙は今まで何人もの男性と出会い、結ばれ、結婚し、幸せに暮らし、そうして皆の最後を看取り、いつも辛い思いをしてきた」と語った。
「何回経験しても慣れないの、やっぱり胸の痛みは同じ......」
「好きな人と永遠の別れを経験するのって、慣れるわけないよね?」
「それで聞きたいんだけど、君の血には不思議な力があるのかい?」
「大好きな人と別れる度に辛くて、何度か私の血を飲ませたことがあったのだけれども、その度にすごく苦しんで、死んでいったわ 。本当に愛した人が、私の目の前で...。 想像もできないでしょう?どんなに酷いことか」
「どうやら、永遠の命を移せる相手っていうのは、そう簡単には見つからず、それはまるで運命としか言いようがないの」
慎一は黙って聞いていたが、「つらかったね」と、同情の声を寄せた。
理沙は人気者ということもあって、人目に付きやすく、また医者とその仲間が彼女を探してることを考えると、もう少しここにかくまうことが一番だ。と考えた慎一は、理沙にそう伝える。
「わたしを心配してくれるのはありがたいけれど、 私をどうのこうのできる人は誰もいないの 。たとえそれがどんなに強い人であっても...私自身を私が守るのは簡単」
「ただ、私が好きな人は私が守れるとは限らない」
理沙はそう言うと、青年の瞳を見つめた。
理沙は心の中では、わたし、たぶんこの人に惹かれている、好きなんだ......と、認めていた。
つい最近、将暉を亡くしたばっかりだったから... 彼との思い出は、その長い理沙の人生の中でも特に印象深いもので、彼の愛は本当に深かった。
たぶん、あれ以上の愛を注いでくれた人は今までいなかったし、これからも現れるとは思えないほど、理沙は本当に愛していた。
できることなら、この思い出を胸に死にたい!と願う理沙であったが、それが叶わない、ということは自分がよく知っていた。
自分で自分を殺そうと何度も試みたが、結局全て、失敗に終わっていた。
慎一は医者に呼び出されていた。
医者は看護師に慎一が、行方不明になっている少女のことを詳しく聞いたことを不審に思い、慎一が何か彼女のことを知っている。と睨んだのだ。
「全く知りません」と慎一が答えると、別室に控えていた例の老人の手下が入ってきて、慎一を捕まえた。
慎一は拷問を受けていた。
慎一は耐えられず!理沙が家にいることを教えてしまった。
老人の手下は理沙を捕えようとする、しかし、 理沙は彼らよりも数段強く、軽くあしらう。
男が言う。「あの青年は俺たちが捕まえている。お前が大人しく言うことを聞かずに来なければ、あの青年の命はない。いいのか?」
理沙はおとなしく従った。
連れて行かれた家には、慎一が椅子に座らされ、血だらけでうなだれていた。
理沙を見つけると一言「すまない......」と 謝った。
「慎一、あなたが無事で良かったわ」
医者は理沙に尋ねる、「お前は何者で、 お前の血は何なんだ一体?」
理沙は笑って答えない。
「 そうか、分かった」医者はそう言うと、手下に合図をする。
さんざん痛めつけても、理沙には全然こたえない。
どんな傷でもすぐ元に戻ってしまうのだ。もちろんナイフで切られたくらいでは血の一滴も流れる前に治ってしまう。
「お前ではなく、こいつに聞いてみよう」と慎一を痛めつける、すると理沙は、
「話すけれど、多分あなた達は信じないよ。それでもこれが真実なの」と理沙は、
自分の身の上、それと自分に起こっていること、自分の血、そしてその血を利用しようとしても無駄だ、ということを 話した。
医者は「とりあえず、お前の血のサンプルを取って研究してみる」
「俺を誰だと思ってる?俺は血液の分野では日本の第一人者なんだぞ!舐めるな!」と大声を上げた。
理沙は突然笑い出して、そして例の声で歌い始めた。するとその場にいた皆が半狂乱になり、床にうずくまってしまう。
しかし、慎一だけは平気なようだ。
理沙は後ろ手に縛られていた手の関節を外し、簡単に抜けると、慎一を解放し一緒に部屋を出た。
「大丈夫?」と理沙は言いかけて、「 大丈夫じゃないよね?」と、 微笑んだ。
*
二人の長い旅はこうして始まった。
新聞やメディアは「理沙が行方不明、失踪!」と騒ぎ立てたが、そんな噂も しばらくすると消えてしまった。
理沙と慎一は人目を避けて、場所を変え転々と暮らしていたが、やはり、山奥に住むことになる。
理沙は今まで、やはり人目を避けて山奥に住むことが多かったので、どちらかというと都会よりもこちらの方が 好きなようだった。
二人の生活は二十年にも及んだ。
慎一はまだ40代半ばだというのに重い病にかかってしまう。
理沙は慎一を何とか救いたい!と、自分の血を飲ませることにした。
もし失敗すれば、慎一はひどく苦しんで死ぬことになる。
けれど、理沙にはこの人なら大丈夫!きっと私の命を移せる。と、確信していた。
理沙は自分の手首を切り、その血を慎一の口の中に注ぎ込んだ。
慎一は苦しみの中で、それを少しむせながら飲み飲み続ける。
しばらくすると、慎一の容態は徐々に回復した。
理沙を見つけ慎一が微笑むと、理沙は
「やっと眠ることができる。長い長い、本当に長い長い日々だった」
「あなたに出会えて、命を移すことができて、私は思い残すことなどひとつもない」
「あなたは今から永遠に生きることになる。命を移すまでね」
「ごめんね、 辛い思いをさせることになるのは知っているの 。けれども、あなたを死なせたくない!と思ってしまったの 」
「私はもうすぐ消えてしまうけど、お願いがあるの。私のことを覚えていてちょうだい」
「そして、私があなたを愛していたことを忘れないでちょうだい」
「あなたに出会えて......本当によかった。ありがとう.......」そう言い終わると、理沙は霧のように消えていった......。
*
最後までお読みいただき、ありがとうございます。以下、老年の主張!
今回、わたしが伝えたかったことは、生き物の命には限りがあるからこそ、その命は尊く、美しく、その想いは後に続くものに託されるものだ!ということでした。
理沙に子供がいなかったこと、それは、人の想いというものは、親から子供だけではなく、見知らぬ全く赤の他人にも受け継がれて行く!ということを表したかったからでした。
以上!
これから、色々な想いを、皆様とともに分かち合っていければ......と思っています。
鯱寿典
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