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『サザンクロス ラプソディー』vol.14

新年はひとり寂しく部屋で迎えた。
昨年とは大違いだ。
半分開かれた窓から通りを行き交う人々の笑い声、話し声が聞こえてくる。
濃い目のコーヒーを味わいながら色々なことに思いを巡らせる。
さすがに新年早々ひとりで酔っぱらう気にはなれない。そして、俺はいつの間にか深い眠りに落ちていた。


昼過ぎに花時計にいくと、キヨさんとユイちゃんが笑顔で迎えてくれた。
ふたりともすっかり仲直りしたみたいで、これでひと安心だ。

「これ、ミクちゃんがヤマさんが来たら渡してくれって」

そういってキヨさんは一通の手紙を差し出した。

テーブルに座って、鮭の塩焼き付きの納豆定食を注文する。
お雑煮と黒豆もサービスでついてくるという。
これも、キヨさんの優しい心遣いだ。

手紙を開けてみる。

今のミクのイメージとはかなりかけ離れた可愛らしい丸文字で、彼女が紹介してくれると約束してくれていたフランス人の名前、電話番号、住所が書かれていた。

「また会えて嬉しかったよ。ヤマさんは全然変わってなかったから、安心した。相変わらずスケベと真面目のバランスが絶妙。元気でね。またね」

それとは別に、俺へのイジリの手紙も添えられていた。

何だよ。バランスが絶妙って...。

俺はさっそく彼に連絡をとり、部屋を見せてもらうことにした。

そこは、レッドファーンという地区の隣のチッペンデール地区だった。

俺の働くレストランまではレッドファーン駅から電車で通うことになる。

ここの地区の一部は、キングスクロスより、ある意味危険なところだといわれていた。

ただ、電車の乗り換えの必要がなかったのは魅力的だった。

それと、俺がたまにいく映画館も、歩いて15分くらいとすぐ近くにあった。

チッペンデール地区自体は安全で、閑静なところだった。



玄関の呼び鈴を鳴らすと、中から出てきたのは、俺と同年代の日本人女性だった。

「ヤマさん?お待ちしていました。こんにちは」

「こんにちは。日本の方ですよね?」

「そうです。ツグミといいます」

笑顔が良く似合うショートカットの可愛らしい女性だった。

「こんにち~は」

彼女の背後から、インテリっぽい眼鏡をかけた、痩身で背の高い、いかにもフランス人といった顔立ちの中年男性が、流暢とは言い難い日本語で声をかけてきた。

「こんにちは、初めまして。ヤマです」

「ポールです。よろし~く」

家に入るように促され、ふたりに説明を受けながら中を案内される。

1階の床は特徴的な模様の大理石が敷き詰められていた。
縦長で奥行きはかなりある。
ガレージまで含めると、玄関から約30メートルほどあった。

玄関から入って右側に1部屋、正面の階段を上がって2階に3部屋あった。

今は、4部屋ともフランス人が住んでいるという。

1階にシャワー室、2階にバスタブがあった。

バスタブは、ポールの専用なので使わないようにと、なぜかツグミから念を押された。

玄関からすぐの正面階段を上がって右側の部屋が、約1ヶ月後に空く予定だという。

その部屋には、東側に小さな窓が申し訳程度についている。朝日も差し込まない。陽当たりは良くない。

しかし、俺は薄暗い部屋のほうがどちらかというと好みだ。
吸血鬼かっ!もともと色白の俺はそういわれたことがある。

家賃は、光熱費などすべて込みでかなり安い。
考える間もなく即決し、部屋が空き次第連絡をもらうことにした。

俺はさっきから気になっていたことを訊ねた。

「ツグミさんはこちらに住んでいないんですか?」

「わたしは2階の部屋に彼といっしょに住んでいるの」

ツグミはポールに目配せすると、恥ずかしそうにそういった。

明らかに20歳以上離れた彼との年齢差に、一瞬、驚いた。
しかし、恋愛に年齢も国籍も関係はない。
キヨさんとユイちゃんなんて30歳以上離れているし。

「そうなんですね」

そういって、それ以上訊くことはなかった。
詮索好きでないところが俺の良いところでもあり、悪いところでもある。

相手が話したがっているのにそれ以上訊くことがなかったりすると、相手は話す気満々なのに、何だか肩透かしを食らったみたいに感じるらしい。

ポールは、おしゃべり好きで、気さくな人だった。

ツグミが淹れてくれた、彼女の故郷のお茶をごちそうになりながら、俺自身のことを自己紹介がてら少しだけ話した。



休暇も明け、俺は以前と同じように働いていたが、すこしだけ変わったことがあった。

仕事終わりに、男どもとつるむことがまったく失くなったことだった。

マイが来なくなったこともあったし、自然とそうなった。

やはり、いつも当たり前のように近くにいたやつがいなくなると寂しいもので、ふとしたときに、マイのあの屈託のない笑顔が思い出される。

その度に、胸の奥がきゅっと締め付けられるのだ。

未練かっ!終わったことだ。始まることもなく。はあ~っ。

いかんいかん、ため息をつくと幸せが逃げていく。
これは親父の口癖だった。

気を取り直して、今を生きることを楽しまなければ。


1月下旬、日本に帰るというゴロウのために、送別会を開いた。
アカネも参加した。
俺たちがよく仕事帰りに飲んでいた店だ。

厨房の連中とこうして集まるのは久しぶりのことだった。

ゴロウは、俺のおかげでアカネと恋人同士になれた、と今更ながら感謝してくれた。

「マイさんとは残念でしたね」

アカネから彼女と俺のことを聞いたのだろう。ゴロウはいわなくていいことも口にした。

みんな大声で笑い、飲み、十分楽しんだところで、会はお開きとなった。



ゴロウの送別会の楽しい余韻に浸りながら、ピーナッツバターをたっぷり塗ったトーストとコーヒーで簡単な遅い朝食をすませたあと、何かに導かれるように、久しぶりにTABにいき3連単勝負をした。

ズボンのポケットに小銭が2ドルだけあったのでお遊びで買った。

ただ、適当に馬を選び、1着、2着1頭づつ固定で、2頭流しの2点買い。

レースが終わったあと、俺は首を傾げていた。

「どういうことだ?写真判定?」

1着、2着は買い目通りに来ていた。3着も買った2頭がそのまま入賞していた。

結局、3着は同着になり、それぞれ、約800ドル、約1200ドルの払い戻しを受けた。
合計約2000ドルの儲けとなった。

かなり嬉しい。

前日、飲み会で散財した約200ドルが10倍になって返ってきた。

そして、これに味をしめたわけではないが、翌週のレースで、1番人気を外し、2番人気を1着、3番人気を2着に固定して、3着を8頭適当に選んだ。8点買いだ。

結果、 それまで5連勝だった1番人気馬は、初めての右まわりと稍重の馬場に、ハナ差4着に沈み、3着に最下位人気馬が飛び込み、買い目が見事的中し、俺の手のなかには、約5500ドルがしっかりと握りしめられていた。

先週の分と合わせて、7500ドル。
すこしだけ、余裕が出来た。

これも、あの家に住むことが決まってからのことだ。
まさに、前途洋々だ。
お引っ越しが待ち遠しい。


花時計にいくと、見馴れない中年のおじさんが話しかけてきた。

「先ほどはお見事でした」

「......えっ?」

「大穴、当てましたね。おめでとうございます」

「ああ......」

「実は私もあのレース1番人気は来ないと踏んでいたんですが、あの3着に入った馬はまったくのノーマークでした」

「あ、ありがとうございます」

「私、アキオです」

「ヤマといいます」

俺は目の前のおっさんを疑いの目で見ていた。
というのも、ここはキングスクロス。
周囲に目を配っていなければ、冗談ではなく、命を落とすことにもなりかねない。

日本人だからといっても、男性の場合は、用心するに越したことはない。

彼は、5000ドルくらいの金を手にした俺を実際見ているわけだから。

「2人ともお知り合いなの?」

キヨさんがやって来て俺たちのなかに割って入った。

「ヤマさん。こちらカメラマンのアキオさん」

「アキオさん。こちら、俳優のヤマさん」

「俳優さんなんですか?」

「いえいえ、そんな大げさなもんじゃありません」

「まあまあ、立ち話もなんだから、とりあえず座ってよ、ヤマさん」

俺はキヨさんに促され、アキオさんと向かい合う形で座った。

「実は、私、旅行会社と組んで、オーストラリアに旅行に来た観光客を相手に、コアラといっしょの写真を撮ってそれをテレフォンカードにして販売する仕事をやっています」

はいはい、やっぱりそう来ましたか。お金の話ですよね?

「それで、ビジネスパートナーを探しているんです」

ビジネスパートナーねえ......。

「お一人でやってらっしゃるんですか?」

「ええ、そうです。それで、ヤマさんがもしよろしかったら、と思いまして」

「俺は、日本食レストランで働いているのでかけ持ちをする時間がなくて」

「お暇なときに手伝っていただければ、それでいいので」

「それで、ビジネスパートナーということは、最初にお金が要るんですよね」

俺はまわりくどい話が嫌いだ。
ビジネスパートナーというのは口実で、要するにお金を貸して欲しい、ということだ。

「ええ、最初に2000ドルほどご都合いただければ、1度の仕事で200ドルほどの儲けはお渡しできます。どうですか?ご興味あります?」

「ちょっとお伺いしたいんですが、何のために2000ドルが必要なんですか?」

「実は2ヶ月ほど前に、カメラを含めた仕事に必要な機材一式を盗まれまして、今は借り物で仕事をしているんですよ。それで、その代金の支払いをしないといけなくて」

「なるほど」

俺の悪い癖だ。やったことないこと、知らないことには、異常に興味を示す。

競馬で儲けた金はいわゆるあぶく銭だ。身に付くわけもない。

「わかりました。いいですよ。いま、お渡ししましょうか?」

アキオさんは本当に嬉しそうに頭を下げた。

「ありがとうございます」

そして、俺は2000ドルをその場で渡し、仕事があるときに連絡をもらうことにした。

俺のフラットのポストが連絡先だった。

俺の住むフラットには、電話はつけていない。国際電話のトラブルのもとだったからだ。

それから、しばらくして、アキオさんから手紙で連絡があり、俺の休みに合わせて初めての仕事が舞い込んだ。

ほとんどが新婚さんたちの日本からのツアー客と一緒に、シドニー郊外のコアラのいる動物園まで観光バスで移動する。そして、コアラを抱いたカップルたちの写真を撮り、それをもとにテレフォンカードを作成する。

そして、それを当日のうちに添乗員に届けるのだ。

この日はあいにく雨だった。
滅多にないことが起こってしまった。

コアラは走るのは意外と早い、雨の日だったからか、掴まっていた木から突然飛び降りた1匹のコアラが走り回り、そのツアー客のなかのひとりの日本人女性の足に飛び付いたのだ。

飛び付かれた女性は、ショックで気絶してしまい、辺りは騒然となった。

結局、この日は記念写真の撮影どころではなくなった。



アキオさんのフラットを訪れると、魚を焼いていた。いい匂いがする。

ちょうど昼飯の時間だ。

自分で釣ったシマアジを天日干しにして、ほとんど毎日食べているという。

この夏の時期は、近くの釣り場でかなり釣れる。そういって自慢するように笑った。

俺はあのコアラの一件以来、興味がまったく失くなったビジネスパートナーを辞めた。

「自分の勝手なので、2000ドルは返さなくて良いですよ」といったのだが、アキオさんは、「それじゃ悪いから、お金が出来たときに少しづつ返します」といってくれた。

今日は、200ドル返してくれた。

アキオさんに勧められるもまま、焼いたシマアジの開きをいただく。

美味しい。サイズもかなり大きく、塩加減もちょうどいい。贅沢だ。シマアジの開きなんて。

鍋で炊いたというご飯と、大根と胡瓜の漬物といっしょにいただく。

アキオさんは料理上手だった。
競馬で繋がった縁だったが、この縁は切れず、まだまだ太くなっていった。

アキオさんは、後にツグミの女子高時代の同級生のタカコと結婚し、日本で8年間ほど働き、ふたりで資金を貯めて、オーストラリアでレストランを開くことになる。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承ください。

尚、全く違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承ください。


この作品は、1988年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。










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