『サザンクロス ラプソディー』vol.26
「ごめん。私、あんまり感じないから」
ユウカは冷めた表情でそれだけいうと、俺から顔を背けて壁の方をじっと見つめている。
その態度は、早くイッてといわんばかりだ。
俺はというと、『これでもか』と声には出さないが、なんとかユウカをイカせようと頑張っていた。それでもユウカは喘ぎ声のひとつも漏らすことなく、いっこうに感じている様子もない。
『なんかしらけるな』と思いながらも、下半身が気持ちがいいのは否めない。
「ピルを飲んでいるから、なかに出していいからね」
俺がもう爆発寸前になったとき、それを素早く察知したユウカがぼそっといった。
俺はそのお言葉に甘えた。
「いつも、こんな感じなの?」
俺はユウカにティシュを箱ごと渡しながら訊いてみた。
「そう、だいたいこんな感じ。がっかりしたでしょ?」
「......がっかりはしないけど、男としては少し自信なくすよね......」
「それって、私が気持ちよさそうによがり声を上げたりしないからでしょ?」
「俺からしたら、女の子をイカせてなんぼ、みたいな変なこだわりがあるからかな」
「女の子がみんな、エッチビデオみたいに声を上げてイキまくるわけじゃないから」
「まあ、それはそうだけど......」
『けれど、一回くらいはイッたふりをしてくれても......』なんて俺は思っていた。
今日は、ポールはカナダに出張中だし、フランス人のサシャは恋人のソフィーと泊まりがけのブッシュウォーキングに出かけていて、この家には俺とユウカのほかには誰もいなかった。
こんなことは、ホリデー期間中以外では珍しいから、ユウカの淫らな声を聞きたかったのは本心だった。
俺にとってはエッチそのものが、本当に久しぶりだということもあった。
俺はユウカから、「英語学校のクラスメイトとちょっとトラブっちゃって、相談に乗ってくれない」といわれ、休みの日の今日、レストランで一緒に食事をし、そのあとBARで軽く飲んで、俺の家まで連れてきていた。
もちろん下心はあり過ぎるほどあった。
ユウカは俺より六つ上の三十二歳。
現地の英語学校に短期留学の学生ビザで通いながら、週に二、三度、二十時間を超えない範囲内で、〈garasya〉でウェイトレスとして働いている。
タカコの抜けた穴を埋める形で入ってきた。
ユウカはバツイチだ。
二十代前半で結婚して、十年ほどで離婚したという。
元旦那はかなりの金持ちで、慰謝料はたんまりもらったらしい。
離婚の原因は、ユウカより十歳年下の女性との、旦那の浮気だったからだ。
二十ほど歳の離れた旦那が初めての男性だったという。
貞淑な妻を演じていたその反動で、もともとアイドルイケメン年下大好きの彼女は、「一度きりの人生だから楽しもうと決心してここに来た」と笑顔で話す。
俺の部屋で他愛もない話をしながら、俺はエッチのタイミングを見計らっていた。
きっと俺の顔にはそう書いてあったんだろう。
ユウカから「私とヤリたい?」と面と向かって訊かれたときには、「はい、ヤリたいです」と即答していた。
それくらいユウカは見るからに美味しそうなからだをしていた。
いわゆる、エロいからだ、だ。
ユウカはトイレから戻ると衣服を整え、「タクシーを呼んでくれる?」そういって椅子に腰かけると、オイルライターで煙草に火をつけた。
いくら年上バツイチ女性だとしても、俺はユウカのあまりの素っ気なさにかなり引いてしまった。
*
「今日仕事が終わったら私の家に来てもらえる?」
ユウカは、ディナータイムも終了し片付けに入った俺に、鼻にかかるような甘い声で微笑みながらいった。
『なにも厨房のなかでみんなに聞こえるようにいわなくても......』
俺は内心苦笑していた。
「えっ! ふたりってそんなに親しい仲なの?」
加茂下さんも、村岡さんも興味津々だ。
アキオさんの代わりに入ってきた中国人の陳さんは、中国で日本語の先生をしていたそうで、日本語はペラペラだ。
しかし、話に加わることもなく黙々と皿を洗い続けている。
「なんかユウカさんが困っていることがあるらしくて、その相談に乗ってくれないか? と頼まれたんですよ」
俺は彼女のことは、職場ではさん付けで呼んでいた。
もちろん敬語で話す。年上だからだ。
「ええ、英語学校のクラスメイトとちょっとトラブっちゃって。どうしたらいいのか、いいアドバイスをもらいたくて」
「もしかしてふたりって付き合ってるの?」
「まさか、そんなことないですよ、村岡さん。私、年下には興味がありませんから」
その言葉を聞いて、村岡さんは身を乗り出した。
「じゃあ、俺は?」
「村岡さん、やめてくださいよ。既婚者は論外です。不倫なんてしょうもないこと、私は絶対しませんから。相手の家庭を壊して喜ぶような悪趣味な女に、私が見えます?」
「うーん......見えるわけないよね。ユウカはちゃんとしてそうだし」
村岡さんは言葉に困っていたが、結局、心にもないことをいった。
だって、ユウカのからだも含めその雰囲気そのものが、男を惑わすエロエロ光線を放っていたからだ。
ユウカは店でも男性客に必要以上に声をかけられる。デートのお誘いもしょっちゅうだ。
「私、年下には興味がありませんから」といったユウカのその言葉に、俺は笑いを堪えるのに必死だった。
ズボンに手を入れて、腿を思いっきり抓っていた。
知らぬが花とはまさにこのことだ。
『俺、ユウカから、私とヤリたい? って訊かれたんですけど』と喉まで出かかっていたが、いいたくなるのを必死に堪えた。
その夜、仕事終わりに彼女の家に立ち寄った。
この前、俺の家で冷めた表情で「私、あんまり感じないから」といっていたユウカが、その夜はまったくの逆だった。
こんなに感じやすく、恐ろしいほど乱れる女性とのエッチは、俺のこれまでの人生のなかで初めてのことだった。
この前は、ユウカのあまりの素っ気なさにかなり驚いたが、その夜は、別の意味で度肝を抜かれた。
同じ女とは思えなかった。
ユウカが口にする言葉は、淫語のオンパレードで、俺を受け入れるからだは熱く、腰の振り方も尋常じゃないほど激しく動き、とにかくこの前とは別人のようだった。
「ユウカってすごいんだね」
俺はベッドの縁に座り、煙草を燻らせながら、まだからだの痙攣が止まらず、肩で激しく息をしているユウカの脇腹に指を這わせ、ツーっとなぞる。
「あんっ!」
ユウカはまるで子犬が鳴くように短く声を発すると、ビクンビクンとまた激しく痙攣した。
『おもしれーっ!』
俺はユウカの反応が面白くて、ユウカから「もう、お願いだからやめて! それ以上やったら嫌いになるから」といわれるまで、まるで小さな子供が最高の遊び道具を見つけたときのように、何度も何度も同じことを繰り返した。
*
「私も一緒に行きたい!」
店の休憩時間に、村岡さんと打ちっぱなしに行こうと店を出たところで、俺はユウカに呼び止められた。
「けど、俺の車はボロボロだし、夜はともかく、昼間にこんな車にユウカさんみたいな素敵な女性を乗せるわけにはいきませんよ」
「私そんなこと全然気にしないから」
ユウカの四白眼の潤んだ瞳で見つめられたら、嫌だといえない。
「わかりました。じゃあ一緒に行きましょう」
ゴルフ練習場に着くと、俺、ユウカ、村岡さんと並んで打ち始める。
驚いたことにユウカは俺より上手かった。
話を聞くと、旦那に連れられて日本でかなりやっていたという。俺が貸したグルフクラブも、ユウカには少し長めだったが、短めに握って難なく軽やかにクラブを振っている。
「上手いもんだね」
村岡さんが、ユウカのショットを眺めながらつぶやいた。いったいどこを見ているのかわかったもんじゃない。きっとお尻でも見ているのに違いない。ユウカの小ぶりだがパンっと張ったお尻は、誰が見ても魅力的だ。
「あーっ、楽しかった。また連れて行ってね」
「ええ、いつでもいいですよ」
店ではなんとかウェイトレスの業務をこなしていたユウカだったが、彼女は英語学校に通ってはいるものの、英語にいまいち自信がなく、白人のお客さんは意識的に敬遠していた。
もちろん、オーストラリア人の接客担当がいるから、店としては別にそれでいいんだけど。
『エリカとはまったく逆だなぁ』なんて、そんなユウカを見るたびにエリカのことを思い出した。
英語を覚えることにあそこまで貪欲だった女性は、後にも先にも俺は知らない。
たった一度からだを重ねただけの関係だったが、たまにエリカのことを思い出すと、俺も負けないように頑張らないと、と思う。
なにを頑張るのかは自分でもよくわかっていないが、とりあえずは人生を楽しむことに頑張ろう、と思う。
*
「日曜日に加茂下さんたちとゴルフに行くけど、一緒に行く?」
ユウカの部屋でエッチのあと、ゴルフ好きのユウカを誘ってみようと思い立ったのだ。
「ヤマさん、私、できればふたりっきりで行きたいんだけど、ダメ?」
俺は加茂下さんたちには、「突然ですみません。ちょっと用事ができたんで、今回は行けません」とお断りした。
俺たちはそういうわけで、加茂下さんたちの家から遠すぎて、ふたりが絶対に来ないだろうと思われる、イーストレーク・ゴルフ・クラブに来ていた。
ユウカは、ゴルフクラブ、シューズなどのゴルフ用具一式をいつの間にか取り揃えていた。
どうやら、本人がいっていたようにお金にはまったく不自由していないようだ。
上から下までバッチリ決めたゴルフウェアに身を包んだユウカがティーグラウンドに立つと、後に並んでいるパーティの男たちの視線が自然と彼女に集まる。
ユウカのスイングはインサイドインで、フェースの向きはスクエア。球筋はきれいなストレートだった。ユウカの人目を引く容姿も相まって、それはそれはきれいなものだ。
俺のスイングはインサイドアウトで、フェースの向きは、クローズ。
右に飛び出して、左に曲がっていく、いわゆるプッシュフックというクセ玉だった。
といっても、それが安定しているわけでもなく、日によって変わるどころか、毎回スイングする度に微妙に変わる。
こんなところは、いまだに100を切れない下手の横好きゴルファーの域を出ていない。
ユウカはことゴルフに関しては、マナーにうるさかった。俺も最低限のマナーは知ってはいたが、とにかくなんやかんやとうるさかった。
そんなユウカが、フェアウェイで二打目のアドレスに入ったとき、「ファー」という声とほぼ同時に、ユウカの頭の上を後ろから打ち込まれたボールが通り過ぎた。
「危なっ!」
俺は思わず声を上げていたが、ユウカは後ろを振り返って、打ち込んだ男を睨みつけている。
男は帽子を脱いで、謝罪のポーズだ。
その男からユウカまでの距離はあまりなかった。しかも、ユウカはまだアドレスに入ったばかりだったから、これは明らかによくない行為だった。
「あの野郎......」
ユウカは吐き捨てるようにそういうと、その場に立ち尽くして、その男を睨み続けていた。
ユウカは前の組が打ち終わるまでは、当たり前のことだが、アドレスに入らずに待っている。
女性のユウカが到底届きそうもない距離でそうしていることに、後ろの組からしたら痺れを切らしたのに違いなかった。
「ユウカ、俺があいつにちゃんと注意するから、とりあえずプレーを続けようか?」
「絶対、ビシッといってよね」
ユウカは怒ったようにそういって、アドレスに入るとクラブを振った。
その瞬間、俺は、『あれっ!』とユウカのスイングに違和感を覚えた。
ユウカのボールは思いっきりフックして、ラフのなかに吸い込まれていった。
たぶん、怒り心頭で力みすぎたのだろう。
さっきまでのユウカのきれいなストレートの球筋が嘘のようだった。
ユウカの顔を恐る恐る見ると、思いっきり歯を食いしばっていた。
心なしか目が少し血走っているようにも見える。
ゴルフはメンタルのスポーツとはよくいったものだ。
その後、トリプルボギーを叩いたユウカは、先ほどの男がやってくるのを貧乏ゆすりをしながら待っていた。
ユウカは目で俺に、「早く、謝らせてよ」とばかりに合図を送ってきた。
あまり気乗りはしないが、明らかに悪いのは相手だ。
「あんなことはしないでもらえるかな? 危ないだろ? もし、彼女に当たっていたらどうするんだよ」
「ごめん」
ユウカの催促に俺が声をかけると、男はそういったっきりだ。
「えっ! 嘘でしょ、それだけ? 頭を下げて謝んないの?」
「いや、それをやるのは日本人だけだって」
俺がオーストラリアに来てすぐに、ミセス・テイラーからいわれたことがある。
「日本人ってすぐに謝るけど、本当に悪いって思っていないのに謝るのは、相手を馬鹿にしているのと同じだからね」
俺はその言葉を聞いて、日本では、『まず謝れよ。まあ、とりあえず謝っとくか』みたいな暗黙のルールがあるのは確かだな、と思った。
日本人以外は、大袈裟な謝罪の仕方じゃなくても、ごめんなさいと口にするときは、本当にすまないと心から思ったときだけだ。
まあ、なかにはそうじゃない人もいるだろうけど。
ちなみに俺は昔から滅多に謝らない。
それでトラブルになったことが幾度となくある。
もちろん、自分が悪いと思ったときには必ず頭を下げて謝るけれど。
俺たちがそんなやり取りをしていたら、「先にプレイしていいかな?」といって、俺たちの返事も待たずに、もうひとりの男がさっさとティーグラウンドに向かっていった。
「ちょっと待ってよ! 私たちの番でしょ?」
ユウカは日本語で叫ぶものの、英語ではいえない。
俺は、『こいつらは先に行かせた方がいいな』と思い、なにもいわなかった。
そのことがユウカは面白くなかったらしい。
その後、投げやりにプレイを続けたユウカは、途中からスコアをつけるのもやめた。
たまに口を開けば、「あんた、それでも男なの? なんで、なんで?」と俺を罵るばかり。
「俺たちの番だろ?」と男の俺がいうべきだったとは思う。思うが、もとはといえば、スロープレイとも取られかねないユウカのプレイスタイルにも原因があった。
ユウカは、そういう俺の言葉にも耳を貸さなかった。
そうやって俺たちは最悪の雰囲気のなか、終盤に差し掛かった。そして、アドレスに入ろうとしたユウカが、突然動きをとめて空を見上げて叫んだ。
「あれ......なに?」
ユウカが指さす上空を見上げると、そこにはトゲトゲした銀色の物体が、俺たちから百メートルくらい離れた空中にクルクルと回転しながら浮かんでいた。
五メートルくらいの卵形のメタル状の物体が、風もそれなりにあるのに、止まっているように同じところに浮かんでいる。
「な、なんだあれ? もしかして、UFO......」
俺がそういって、それを指さすと、その物体は突然ものすごい勢いで真っ直ぐ、天高く上昇し始め、あっという間にその姿を消した。
俺たちふたりは顔を見合わせ、しばらく無言のまま、キョトンとした表情で見つめ合っていた。
俺はブッシュのなかから、あの宇宙人のグレイが手を上げて出てきそうな気がしていた。
灰色の肌に大きな黒目で、『ハロー、ハロー』なんていいながら。
そしてユウカは、この不可思議なできごとに、それまでの怒りなどの感情をすべて忘れてしまったのだろう。
その表情も、先ほどまでの般若のような形相から一変し、慈悲深い菩薩を思わせるような穏やかなものに変わっていた。ちょっと大袈裟ないい方かも知れないが、少なくとも俺はそう感じた。
「不思議だね......」
そういうと、ユウカはもともとの素直なスイングをし、パーファイブ三打目のフェアウェイ・エッジ近くからのきれいな球筋のボールは、尾を引いてピンに一直線に向かい、そのままカップのなかに吸い込まれた。
ゴルフはメンタルのスポーツとはよくいったものだ。
〈続く〉
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尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。
今回のこの作品は、1989年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。
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