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『サザンクロス ラプソディー』vol.24

「チハル、他にどこか行きたいところある?」

「うーん、特にないけど」

「じゃあ、そろそろ帰るか?」

「えーっ! まだ、午後四時になったばかりだよ。いやだ、まだ帰りたくない。今日はヒナコの家に泊まることになってるから」

「だったら、ヒナコん家にそろそろ行った方がいいんじゃないか?」

「そうじゃなくて、お泊まりの口実にヒナコが協力してくれるってこと」

「それで、チハルはどこに泊まるんだ?」

「そりゃ、ヤマさんのところだよ」

「えっ! 俺、なんにもヒナコから聞いてないけど」

「ヒナコはヤマさんがいいよっていっていたって、私には話したけど......本当に聞いてないの?」

「うん、聞いてない......」

「そうなんだ......」

まだ高校生の女の子とふたりきりでお泊まりなんて、それはダメだ。いくら俺が性に関してはかなり大らかだとはいえ、これは絶対やっちゃいけないことだ。
それにしても、なんでヒナコはそんな嘘をチハルにいったのだろう。

俺は適当に時間をつぶして、チハルが疲れた頃合いをみて、家に返すことにした。

「とりあえずはもうすこしだけ遊ぼうか? 映画でも観るか?」

「じやあ、あれ観たい。オーストラリア人の俳優が出てる、バーテンダーの物語」

「ああ、あれね。金持ちの娘という設定の、主人公の彼女役のあの女優、俺好きなんだよね」

「ヤマさんってああいう女性がタイプなんだ」

「うん、まあ......そうだな」

「やっぱり、大きい方が好きだよね、男の子たちって......」

「なに? 大きい方って」

「あたしみたいなペチャじゃなくて」

そういってチハルは自分の胸を見つめている。

「そんなことじゃなくて......」

「だって、あたしのぺったんこだから」

「俺は、そうとは思わないけどな」

確かに、チハルは微乳だ。

「なんか、無理してるでしょ?」

「そんなことないさ......」

俺はそういいながら、一メートル近い巨乳の元カノのイブのことを思い出していた。
『ロンドンで元気にしてるかな?』

「あーっ! ヤマさん、いま誰か他の女の子のこと考えてたでしょ?」

『す、鋭い』

「いや、さっきの話に出た女優のことだけど」

「本当かな?......」

チハルは目を細めて、疑いの眼差しで俺をまじまじと見つめている。

「チハル、とりあえず映画館に行ってみようか? 上演時間も確かめないといけないし」

俺は変なことを見透かされないようにチハルを急かすようにいった。

「うん、そうだね」

ダーリングハーバーからタウンホールの映画館までぶらぶらと歩いていく。

チハルは弾けるような笑みを浮かべながら、思いつくままに他愛もない話を続けた。



ポップコーンとドリンクを買って会場に入る。映画は、俺と同い年の、俺が一番好きな男優と、大好きな女優が出ていたから、素直に楽しめた。

「なんかあの映画観たらカクテル飲みたくなっちゃった」

この映画館には、酒が飲める店が入っている。チハルはその店を見やりながらうれしそうにいった。

「チハルはまだ未成年だろ。それは、無理だ」

「わかってるよ。ヤマさんを困らせるわけないでしょ」

チハルは唇をとんがらせて、不満そうだ。

「そろそろ、帰るか? チハル」

「えっ! 私、お腹すいちゃった」

「おい、もう七時過ぎてる。急いで帰らないとご両親が心配するだろう?」

「だって、お腹すいたんだもん。それにまだ明るいし」

オーストラリアの夏はとにかく陽が落ちるのが遅い。

俺は今日最初に感じた、『チハルは元カノの紗季にどことなく似ている』というその感覚が間違っていなかったことに、『やっぱりな』という落胆の気持ちでいっぱいだった。

紗季にはさんざん振り回された。
もちろん俺にも悪いところはたくさんあったと思う。
しかし、彼女は自分の欲望に常に忠実だった。
いまのチハルみたいに。

「わかったよ。どこかで食事をしよう。チハルはなにか食べたいものがあるか?」

「えーっとね。キングスクロスにある、ヤマさんが大好きなお店のピザが食べたいな」

「ダメだって、夜のキングスクロスは!」

「なんで? 深夜ならまだしも、いまの時間なら警官がパトロールしているから大丈夫だって」

やっぱりチハルは紗季とそっくりだった。一度いい出したら、絶対に後へは引かない。

「どうしてもか? じゃあ、それ食べたら家に帰るって約束するか?」

「うん。帰るよ、絶対に、ゴニョゴニョ......」

「えっ! チハル、よく聞こえなかった」

「約束したから。行こうよ、ヤマさん」

チハルは俺の手を強引に引いて、タウンホールの地下鉄に入ると、エスカレーターに乗った。



高校生の女の子とふたりで夜のキングスクロスを歩くのはかなり気が引けていた。しかし、白人から見たら、日本人は一様に幼く見える。いちいち、チハルが高校生かなんて質問する警官はいなかった。

「これが、ヤマさんが一番好きだっていうペパロニ・アンド・マッシュルームピザね」

チハルはチーズをこぼさないように上手にピザに齧り付いた。

「おいしいね、ヤマさん。あたしもこれ好き」

チハルはいつの間にか、自分のことを私じゃなく、あたしといっていた。そういえばヒナコもあたしといっていた。

Lサイズのピザをふたりでわけあって食べる。俺の飲み物はここでの定番、カプチーノだ。チハルは「コーヒーは苦手」といって、缶ジュースをストローで飲んでいる。
こんなところはまだまだ子どもだ。

「ヤマさんが以前働いていた日本人の経営するクラブってすぐ近くなんでしょ? あとから行ってみない?」

驚いたことに、チハルは俺のことをなんでもよく知っていた。ほとんどはアキオさんに聞いたらしい。

「ああ、そうだよ。もう全然顔も出してないけどな。いまさら、挨拶もないだろう? 行ったって、あんた誰っていわれるのが落ちだろうよ」

俺はマスターとママがそんな人たちじゃないことはよく知っている。

「そうかな? 行ってみない?」

「高校生のチハルを連れて、いったいなにしに行くんだよ?」

「アルバイトの面接とか?」

「チハル、おまえ本当にいい加減にしろよ。冗談もほどほどにしとけ」

とにかくチハルは俺に関係するものや、場所をなんでも知りたがった。
こんなところも紗季にそっくりだった。

俺は目のまえにいるチハルが、だんだん紗季に見えてきた。

「よし、チハル。食ったな。じゃあ帰ろう。もう遅いからタクシーで帰れ」

俺がそういって、タクシーを捕まえようとしたところで、チハルは突然しゃがみ込んだ。

「ヤマさん、お腹が痛い」

「えっ! なんだって?......」

このタイミングだ。チハルが嘘をついているのは見え見えだった。

近くを通りかかった男連れの女性が、立ち止まって「彼女大丈夫?」と声をかけてきた。

「ありがとう。彼女、ちょっとお腹が痛いだけだから」

俺はそういって手助けを断る。
俺は観念した。

「チハル、わかったから、いい加減下手なお芝居はやめろ。今夜は俺ん家に泊まっていいから」

「本当に? 嘘じゃない?」

「ああ、本当だ」

「ありがとう、ヤマさん」

そういってチハルは元気よく立ち上がると、さっさとタクシーを止めて、俺をなかへ強引に押し込んだ。



「ここだよ」

「へーっ! ここがヤマさんの......」

家に着くと、明かりがついていた。ポールがなかにいるみたいだ。

家のなかに入ると、リビングのテーブルでポールは食事をしていた。

「お帰り、ヤマ。その子は?」

「俺の働いてる店のアルバイトの子、チハル」

「こんばんは、チハル。私はポール......君はもしかして、まだ高校生?」

「こんばんは、ポール。ええそうです」

チハルのそのことばを聞いて、ポールの表情が曇った。

ポールはツグミ始め日本人の女の子たちとは付き合いが長い。チハルを一目見て、高校生だと見抜いたらしかった。

「ポール悪いんだけど......今夜彼女をここに泊めてもいいかな?」

「いいけど、もちろん別々に寝るんだよな」

ポールは常識のある四十代の会社員だ。チハルが高校生と聞いて、俺と同じ部屋で寝ることなど許すはずもない。

「もちろん別々に寝るよ。彼女は二階の俺のとなりの部屋に寝かせていいかな?」

その部屋にはいまは誰も住んでいなかった。俺はそれを当て込んで、チハルをここに連れてきたのだ。
端からチハルを俺の部屋に泊めるつもりなどさらさらなかった。

「いいよ。じゃあ、おやすみ」

食事を終えたポールはそういうと、チハルに日本人ぽく会釈をして、二階の自分の部屋に上がって行った。

『さすが、ポール。ナイスアシスト』

俺はこころのなかで万歳をしていた。

「あたし、ヤマさんの部屋でもうすこし話がしたい」

「チハル悪いんだけどさ。明日、俺仕事だろ、だから早く寝なくちゃいけない。それに、ポールに念押しされたように、俺は高校生のおまえと同じ部屋で寝るわけにはいかない。だから一人で寝てくれ」

俺はチハルに、歯ブラシはいるか? シャワーは浴びるか? 着る物は悪いけど俺のシャツと短パンな、などといってチハルに有無をいわせず、部屋のなかへ強引に押し込んだ。

チハルは夜中に二度ほど俺の部屋のドアをノックした。

「ヤマさん、起きてる?」

チハルは、ポールに気づかれないように声を落として聞いてきたが、俺は寝たふりを決め込んで、ドアは結局朝まで開けなかった。

「チハル起きてるか? あと三十分ほどしたら家を出るから準備をしてくれ」

俺はそういって、チハルの部屋のドアをノックした。

「うん、わかった。あたし、準備はできてるからいつでもいいよ」

チハルはすぐに返事をしたが、すこし、眠たそうだった。たぶん一睡もしていないんだろう。

車で送っていくよと俺がいうと、チハルは、「ヤマさんがまえに通勤で使っていた電車に乗る」といって聞かなかった。

電車のなかで、俺はチハルと静かに話をした。

「もし、俺の勘違いでなければ、チハルは俺のことが好きなんだよな?」

「うん......」

チハルは恥ずかしそうにうなずいた。

「チハルのその気持ちは本当にうれしいよ。けどな、俺はチハルをそんな風に見れないんだ」

「それって......あたしがまだ子どもだから?......」

「そうじゃない。ひとを好きになるのに年齢は関係ない、と俺は思う。俺は、ただチハルをそんな対象で見れないだけだ」

「......わかったよ、ヤマさん.......」

チハルはそういったっきり、駅に着くまでうつむいたままだった。

レストランのある駅で降りると、改札口にどういうわけかヒナコがいた。俺たちを見つけて軽く手を上げている。
話を聞くと「いまから、チハルの家までチハルがあたしの家にお泊まりしたことをアピールしに行く」とヒナコは元気のないチハルを気にしながらいった。

「じゃあ、ヤマさんこれで......」

チハルは俺に目も合わせずにそういうと、ヒナコに抱かれるようにふたりで歩いて行った。



「ヤマさん、ひどいよ。あれほどチハルを泣かせないでよっていったのに。ヤマさんと別れたあと、チハルはずっと泣き通しで大変だったんだから」

チハルたちと駅で別れた数日後。
雨の日、俺がいつものように図書館で過ごしていると、ヒナコがやってきた。

そのあまりの声の大きさに、ヒナコは図書館員から静かにするように速攻で注意されるくらい、抑えきれない怒りで興奮していた。

「それは悪かったと思う。それに、ヒナコがチハルのことで一生懸命だったのもわかる。だけどな、おまえはチハルのことばっかりで、俺のことをすこしでも考えたことがあったのか? 俺が迷惑するとか、これっぽっちも思わなかったのか?」

「だって、チハルはあんなに可愛いんだよ。好きになられて迷惑する男なんているわけないよ」

「ヒナコ。おまえは案外子どもなんだな」

俺は自分のこのことばに思わず吹き出しそうになった。十七歳の本当の子どもに、子どもだと確認するようにいっている自分がおかしくてしょうがなかった。だが、話を続ける。

「おまえは気づいていなかったかもしれないが、俺はおまえのことが好きだったんだよ」

俺はこれ以上チハルに関わり合うつもりはなかった。俺のなかでチハルは紗季そのものに思えていたからだ。
紗季のときと同じ思いをする羽目になることだけは避けたかった。

チハル思いのヒナコには本当に悪いとは思ったが、俺は下手な芝居をすることにした。
こうでもしないと、ヒナコはきっとわがままなチハルのために、同じような俺とのやり取りを何度も繰り返すことになる、そう思ったからだ。

「.......」

俺が予想した通り、ヒナコはそれ以上なにもいわなかった。

「だから、チハルにはあんな態度を取るしかなかったんだよ、わかってもらいたい」

俺がそういうと、ヒナコは複雑な表情を見せ、「わかったよ......」とだけいって去っていった。

チハルはその日のうちに加茂下さんに連絡を入れてレストランを辞めた。
もともとチハルは今月のクリスマスイブが最後の出勤日だったから、それがすこし早まっただけだった。

俺はこのあともう二度と、チハルにもヒナコにも会うことはなかった。


〈続く〉



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1988年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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