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『サザンクロス ラプソディー』vol.20

「ヤマさん、ゴルフやろうよ」

アキオさんは、ディナータイムが始まったばかりの厨房のなかで、毎日の日課のひとつ、ぬか床の余分な水分を抜きビールを混ぜながら、突然いい出した。
アキオさんが最近まかない用に漬け始めたブロッコリーの茎のぬか漬けは、かなりうまい。

「ゴルフですか? 俺、クラブ持ってないし」

そう断ろうとしたら、加茂下さんが口を挟んだ。

「俺が使っていたクラブを貸してやるからやろうぜ」

どうやらすでに加茂下さんにも話は通っているようだった。

麻雀をやらなくなって、すっかり仕事以外の付き合いがなくなっていた俺たちは、こうしてゴルフをやることになった。
村岡さんもかなり乗り気だ。
アキオさんは加茂下さんにハンデはいくつなんですか? などと訊いている。

俺はこと遊びに関しては、これといって熱中したものがなにもなかった。
ゴルフは以前勤めていたキングスクロスのクラブのマスター、岡田さんから一度手ほどきを受けたっきりだ。

俺も、アキオさんも、車を持っていない。もちろん、ふたりともここでの運転免許証もない。
最初は加茂下さんが車を出してくれることになった。
さっそく次の日曜日の朝、加茂下さんの家のまえで待ち合わせて、四人でゴルフコースへ向かう。
加茂下さんからは、「とにかく襟付きのポロシャツだけは着ておいてくれ。ズボンはジーンズ以外ならなんでも良い」といわれた。

俺はゴルフクラブとシューズをクラブハウスの受付でレンタルし、いよいよ初ゴルフの始まりだ。

「ヤマは初めてなんだから最初に打てよ」

加茂下さんにそういわれて、ボールをセットして緊張の第一打だ。
店の休憩時間に近くの打ちっぱなしで二度ほど練習はしていた。
えーっと、ここまで振り上げたら、腰で切るようにボールに当てる。
頭のなかでそうつぶやきながら、思いっきりクラブを振る。

次の瞬間、みんなのクスクス笑いが耳に飛び込んできた。
俺が振り下ろしたドライバーは、見事に宙を切った。

「ヤマ、力みすぎだって。もうちょっと肩の力を抜いて」

加茂下さんからのアドバイスに頷いていると、少し離れたところで、次の組の三人が俺を見つめているのが目に入った。

さらなる緊張のなか、今度こそボールに当たれ、と念じて振り下ろしたクラブは、当たりはしたものの、ボールは地面を這うように進み、二十メートルほど転がって止まった。
俺は恥ずかしさのあまり、そそくさとティーグラウンドを降りた。

その日のスコアはいうまでもなく惨憺たる有様だった。あっちこっちへボールが飛ぶもんだから、走り疲れて、終わったころには脚がふらついていた。
疲労感は相当なものだったが、青空の下、柔らかい風に吹かれてプレイした初ラウンドは、本当に心地よいものだった。 

「次からは握ろうな。ハンデはもちろんあげるからさ」

帰りの車のなかで、加茂下さんは声を弾ませて、みんなの同意を求めた。
加茂下さんはまた俺からむしり取るつもりなんだな、きっと。
まあ、しょうがない。車代だと思えば安いもんだ、などと俺が考えていると、

「ヤマもゴルフクラブとゴルフシューズ、それとできれば車もどうにかした方がいいな」

加茂下さんは、当たり前だろみたいな顔で軽くいった。

『あの、そんなに高くないゴルフクラブとシューズくらいはすぐに買えますよ。けど、車はまず運転免許証を取らなければならないし、車を買うとなると、それなりの出費も覚悟しないといけない』などと俺は考えを巡らせる。

「まさか、もうやらないっていわないよな?」

俺の顔が一瞬曇ったのを見逃さず、加茂下さんは大声を出した。

「え?......」俺は俯いた。

「ヤマ。俺が今乗っている車を譲ってあげるよ。ちょうど車を買い替えようと思っていたところだから。分割払いの千ドルでどうかな?」

横から話に割って入った村岡さんのこのことばに、俺はもう覚悟を決めるしかなかった。



運転免許の取得には、俺が財布に入れたまま持ってきていた日本の運伝免許証が役に立った。実技試験は免除になり、ペーパーテストだけを受ければよかった。

「試験はもちろん英語だけど、そんなに難しくないよ。俺はたった二回で通ったから」

加茂下さんはそういった。

「俺は何回受けたかいいたくない」

村岡さんはかなりの回数受けたらしかった。

試験は簡単だった。日本みたいに、言葉のいい回しで少し捻った問題などはまったく出なかったからだ。結果、俺は一回で通った。
加茂下さんには、「二回で通りました。同じですね」と嘘をついた。

「ヤマもやるね」

加茂下さんは少し驚いたようだった。



村岡さんから車を譲り受け、手続きを済ませ、車の癖や、気をつける部分などの簡単なレクチャーを受けた。

その車は塗装がところどころ剥げかかっていて、正直いってあまりいい状態とはいえなかった。基本ええかっこしいの俺だが、車に関してはそこまでのこだわりはなかった。
走ればいい、それが本音だ。

車は俺の家のまえに路上駐車だ。
中心街から少し離れた俺の住んでいる地区ではそれが普通だった。
ほとんどの車のバンパーが目に見えて傷ついていた。
一度そのことについてポールに訊ねたことがある。

「バンパーが少し傷ついたり、へこんだりしたくらいで騒ぎ立てるひとはほとんどいない。だって、バンパーってそうやって人や車を守っているものだから」

ポールはなぜ俺がそんな当たり前のことを訊くのか、不思議そうに首を傾げた。

車内土足禁止だとか、小さなバンパーの傷に神経質になる人たちだとかを、日本に住んでいた頃には普通のことのように思っていた俺は、いわれてみればそうだよな、と納得した。



俺は車を手に入れ、ゴルフ道具も一式取り揃えたので、日を追うごとにますますゴルフにのめり込んだ。
二日に一度は、アキオさん、村岡さんと一緒に朝六時ごろからコースに出て、ワンラウンドまわる。それから仕事に行って、昼の休み時間は、朝のダメだったところの復習がてら、車で十五分ほどの近場の打ちっぱなしに行って練習する。そんな毎日を過ごしていた。

「いいよな、自分らばっかり」

そういってぼやく加茂下さんは、寿司用の魚を魚市場まで仕入れに行かなければならないので、朝からのラウンドには必然的に参加できなかった。

俺はとにかくゴルフに夢中になった。寝ても覚めても考えることはゴルフのことばかり。
世の中にこれほど面白い遊びがあるだろうか? と思えるくらい面白い。
それでも、一向に上達しない。
ゴルフを始めて二ヶ月が経った頃、「全然、100を切れないんですけど」と俺が加茂下さんに相談したら、「たった二ヶ月で、100が切れるわけがないだろ」と呆れられた。

「そうだな。早くても一年はかかると思うよ。俺は半年かかんなかったけど」

加茂下さんは、とにかく、普通のひとよりなんでも抜きん出ているひとらしい。

ゴルフに費やした時間に比例して、100を切るまでの期間は短くなるそうだ。
まあ、当たり前といえば当たり前のことだけれど。
それでも、プレイ代の安さに加え、ゴルフコースの敷居の低さも相まって、日本でやるよりもかなり早く100を切ることができるそうだ。

まあ、いわれてみればそうだろう。
もし俺が日本に住んでいて、飲食店に勤めていたら、ゴルフをやりたくても気軽には行けないだろう。
それに、オーストラリアと比べて、かなり高額な日本のプレイ代を毎回払えるわけがない。

「シングルプレイヤーの中学生も、そこらへんで普通にプレイしてるよ」

「中学生がシングルプレイヤーですか。すごいですね。彼らは将来プロゴルファーを目指してるんですよね? 加茂下さん」

「まあ、そうだろうけど。真剣にプロを目指している連中はそのなかでも群を抜いている。悪くて7オーバー、ときにはアンダーパーでまわるっていうからな」

「俺にとっては、夢のまた夢ですよ」

「まあ、俺らみたいなアマチュアは、楽しくゴルフができればそれでいいってことよ」

そういう加茂下さんは、シングルプレイヤーだ。

「ところで、加茂下さん。ハンデなんですけど、もう少しもらえませんかね? 今のハンデじゃまったく勝つ気がしないんですけど」

「なに? ヤマ。俺に勝つ気なの? あのさ、ハンデをもらっている時点でもう負けてるんだろ?」

「でも、村岡さんやアキオさんには何度か勝ちましたよ。もちろん、ハンデをもらってですけど。けど、加茂下さんには一度も勝ったことがないんです。なんとか、なんとかお願いします」

「そこまでいうのならしょうがない。ハンデをひとつ増やしてやる」

「たった、ひとつですか?」

「ああ、不満なの? いらないんだったらあーげないっ!」

「いいえ、ありがとうございます。ひとつでいいです」

まったくこのひとは、麻雀といい、ゴルフといい、本当に情け容赦もないひとだ。


(続く〉

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1988年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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