『サザンクロス ラプソディー』vol.27
俺とユウカはいまでいうところのセフレの関係を続けていた。ユウカは気が向いたときに俺に声をかけ、俺がそのときに乗り気だったら、ユウカの家でエッチする。
俺たちの始まりが、あいさつを交わすみたいに軽い感じで始まったこともあったが、ユウカは別にここに本命の恋人をつくりに来たわけでもなかった。
俺はユウカが他の数人の男たちと遊んでいる、と聞かされても、別に嫉妬するわけでもなかった。
とはいっても、俺はもともと恋愛に関してそんなに器用じゃない。
ユウカと関係を持っている間に、他の女の子にちょっかいを出したりなんかできやしなかった。
ユウカと過ごす時間は、俺の男としての満足感を十分に満たしてくれるし、若い俺にとって、ユウカとの付き合いは、精神的にも、時間的にも、なんら束縛感というものを感じさせない気楽なものだった。
俺にとってユウカは、からだだけの関係としてはこれ以上申し分のない相手だった。
「あのね、大事な話があるんだけど......」
「大事な話って?」
「もう日本に帰ろうかな、と思って」
「そうなんだ......突然だね。なにかあったの?」
「うん。まえにも一度話したように、私、通っている英語学校の同じクラスのふたりの男の子と付き合ってるでしょ」
「ああ、あのアジア人の彼ら......」
俺も含めて、要するに三股をやっているわけだ。
「彼らには『私と付き合っているなんて、絶対に誰にもいわないでね』と口止めをしてあったんだけど......やっぱり若い男の子はダメね、自慢したがりだから。結局、ふたりにバレちゃって、『どういうことだ』と休み時間に教室で詰め寄られたのよ」
「それって、クラスのなかが修羅場と化したってこと?」
「そう、大変だったのよ。ふたりとも殴り合いの喧嘩を始めちゃって。そのせいで、そのあと私、先生からも周りの生徒からも白い目で見られるようになっちゃって」
まあ常識的に考えたら、悪いのは100%ユウカだから、当然そうなるわな。
「それで、さすがの私もこのまま授業を受け続ける気にはならないから、英語学校を辞めようと思って。そうなればビザがなくなるから、日本に帰らないといけないっていうことなのよ」
「そりゃ大変だったね」
「いや......さすがに疲れちゃった」
「俺にできることってなにかある?」
「別にこれといってないけど......。それでね、いま付き合っているというか、彼らとの関係を一度清算しようかと思ってるの。私が日本に帰れば必然的にそうなるけれど」
「そうなんだね......」
清算......たぶん俺のことも、だよな。
「そういうわけだから」
「わかったよ。いままで本当に楽しかった。ありがとう。できればなにかプレゼントをしたいんだけど」
「ありがとう、気持ちだけいただいておくわ」
俺とユウカはその夜、いつもにも増してお互いのからだを激しく求め合った。
ユウカはもと人妻だけあって、エッチに関してのあんなことやこんなことを、それまで俺に余すことなく教えてくれた。
「そんな、突然いわれても困るんだけど」と渋る加茂下さんに無理をいって、ユウカはそれから一週間後に仕事を辞め、通っていた英語学校も途中で辞め、日本へ帰っていった。
ユウカは、加茂下さんには、「家族のトラブルですぐに帰らないといけない」と伝えたそうだ。
「本当のところはどうなんだ? なにか知らないか?」と俺は加茂下さんから探りを入れられたが、本当のことなど口が裂けてもいうつもりはなかった。
*
「今日からここに住むことになったご夫婦だから、よろしく」
そうポールから紹介された北京出身の中国人夫婦は、いかにも人当たりのよさそうな微笑みを浮かべて、流暢な英語であいさつをした。
「初めまして、マイケルです」「初めまして、ジャスミンです」
「初めまして、ヤマです」
ふたりともニックネームを名乗った。もちろん俺もそうだ。
ふたりは二階の俺の部屋の隣、階段を上がった正面の部屋に住むことになった。
彼らの話ぶりからかなりいいところの家庭で育ったのだろうということは容易に想像できた。
マイケルは北京で医者として働いていたという。
俺はひとのことをあれやこれやと詮索するのは好きではない。積極的に自分の方から、根掘り葉掘り相手のことを訊くことはほとんどない。
仕事を探しているというふたりは、ほとんどの時間を家で過ごしていた。
それも多くの時間を食事に費やしていた。
朝食をすませると、すぐに昼食の準備を始める。昼食が終わると、チャイナタウンへ買い物に出かける。
帰ってきてからは、今度は夕食の支度を始める。
ツグミが日本から買ってきて置いてある、有名なメーカーの日本製の電子ジャーが大活躍していた。
彼らはとにかく料理好きだった。
俺が家にいると必ず「ヤマも食べるよね」と料理を振る舞ってくれた。
ほとんどの場合、水ギョーザだったけど。
「なんか最近この家臭いよね、ヤマ?」
ある日ポールが顔を顰めてぼそっとつぶやいた。
その原因は、大量に作り置きされて、キッチンのテーブルの上にドンッと鎮座している、高さ三十センチはあろうかというガラス製のジャーに入ったチリガーリックのせいだった。
彼らがチリガーリックを手づくりしたときの匂いが、キッチンの天井や壁に付いているのか、蓋をしていてもその臭いは強烈だった。
彼らはなにを食べるのにもそれを必ずといっていいほど使うのだ。
「きっとあれのせいだから、そう思うのなら彼らにそういえばいいのに」
なんに関してもはっきりものをいうポールだから、俺がそういって訝しがっていると、「いまのところは三食を家で食べることになるから、料理もかなりすることになるけど、光熱費なども含めていいだろうか? 」とポールは彼らからあらかじめ訊かれたそうだ。
それでポールは、「どうぞご遠慮なく」といってしまった手前、「今更、本人たちが好んで作って食べているものにダメ出しはできない」と普段のポールらしからぬことをいった。
ポールがいうには、彼らはなにか特別な理由があって、中国からここオーストラリアに来ることになったらしい。
ポールは職場の同僚に「お願いだから、彼らを助けてやってくれないか?」と頼み込まれて、ここに住んでもらうことにした、という。
ポールは、『日本人も中国人も同じアジア人、なにも問題を起こすことのないいい人たちに違いない』と思ったそうだ。
実際彼らは、この家のルールである英語を話すことも厭わなかったし、いつも笑顔を絶やさず、フレンドリーだった。
とにかくポールは、「家のなかが臭くなったらどうしよう? 」とそればかりを心配していた。
まあ、自分の持ち家だからそれはそうだろうけど。
そして、彼らがこの家に住み始めてひと月ほど経った、1989年6月、中国の北京であの事件が起こった。
「いったいどうゆうことだよ? ヤマ、なんで電話が使えないんだ?」
マイケルは、俺のまえのテーブルを激しく拳で叩きながら、大声で俺を怒鳴りつけた。
この家に住む者は、俺を含め、海外から来た者ばかりだ。
ポールがいうには、以前電話料金を踏み倒して出ていった奴がいたらしい。
それに懲りたポールは、自分が長期出張で海外に行く場合、コレクトコールも含め、電話は海外へかけることも海外から受けることもできないように止めてあった。
仕事から帰ったばかりの俺は、事件のことなどなにも知らないから、なんでマイケルがそんなに興奮しているのかわからなかった。
彼らも事件のことについてはなにも話さなかった。
ただ、「なんで国際電話ができないんだ?」と大声で怒鳴るばかりだ。
俺は朝からテレビを見る習慣はまったくない。休みの日もテレビを見ることはほとんどなかった。車のなかでもニュースを聴くことはない。だから、そんな事件が起こったことなどまったく知る由もなかった。
実際、その日にオーストラリアでそんな報道がされていたのかどうかもわからない。
「知り合いに頼んで電話をかけさせてもらえばいいだろう? なんで、いま電話しないといけないんだ? 明日じゃ駄目なのか?」
「なんで使えないんだ?」
俺の問いかけには一切答えず、マイケルはその一点張りだ。
「以前ポールが電話料金を踏み倒されたから、そうしているんだ」と俺は淡々と説明するものの、興奮しているマイケルは俺のことばには耳を貸さず、マイケルはジャスミンと一緒にそういって俺を責め立てるばかりだ。
ふたりのあまりの剣幕に俺もいい加減疲れ果てた。
なにしろ朝から晩まで一日中働いて、帰ってきたばかりなのに、ゆっくりする暇もなく、これだ。
「俺が知るかよ、そんなこと。ポールに聞いてくれ!」
俺は冷たく吐き捨てるようにいってしまった。
「まて、まだ話が終わっていない」
「本当にいい加減にしてくれ! 俺は一日中働いて疲れているんだ。仕事をしていない君たちとは違うんだ」
尚も話し続けようと、俺の肩に手をかけたマイケルの手を振り払い、俺はそういって自分の部屋に逃げ込んだ。
いったい俺にどうしてくれというのだろう?
ポールが止めた電話を、俺が電話一本で開けることができるわけもない。しかも、こんな夜中に。
ポールに頼もうにも、海外だから家の電話は使えない。それにカナダに出張中のポールとは時差もある。最悪、ポールの兄のアドンに頼むという手はあったが、もう零時を回っていた。
たかが海外に電話ができないくらいでそんなに騒ぎ立てるほどのことはないだろう、と俺は考えていた。
もし、このときふたりが、『あの事件のことをすこしでも話してくれていたら......』と思うのだが、ふたりもあのときはいったいなにが起こっていたのか、よくわかっていなかったから説明できなかったのだろう。
知っていても、話すことができたのかどうかもわからない。
翌朝、俺が仕事に出かけるときには、いつも仲良く食事をしているふたりの姿はそこにはなかった。
俺はその後、二度とふたりに会うことはなかった。
ポールが出張から帰ってきて状況を説明してくれたところによると、あの翌日にふたりはこの家を出たという。
いわれてみれば、キッチンに鎮座していたチリガーリックが入った大きなガラス製のジャーもその姿を消していた。
俺はポールにふたりがこの家を出た理由を訊いた。
ポールは彼らを紹介した職場の同僚からかなり辛辣なことをいわれたらしい。
「ヤマにそれを伝えても気分を悪くさせるだけだから、もう彼らのことは忘れよう」とポールはいって、詳しいことは教えてくれなかった。
ポールはそれよりも、彼らと共にその姿を消したツグミ愛用のあの電子ジャーのことを気にかけていた。
彼らはそれを毎日のように使っていたからだ。
彼らに「知らないか?」と訊いたそうだが、彼らからは「知らない、誰かが持っていったんじゃない?」と素っ気なくいわれたという。
「たぶん彼らが持っていったんだろう」とポールはいっていたが、俺には本当のところはわからない。ただ、他には盗られたものがなにもないのに、電子ジャーだけなくなったというのはちょっと不思議なことだとは思う。
「日本人と中国人って似ているようで違うんだね」
「どういう意味?」
「日本人って、ひとのものを盗んだりしないよね?」
「ポールは彼らが電子ジャーを盗んだと思っているんだね?」
「だって、そうとしか思えないよね?」
「まあ、そうかもしれないけど。彼らは、はっきり否定したんでしょ。彼らが盗んだって証拠はないんだから」
「そうだけど、ツグミになんていおう......」
まあ、確かにこの件でツグミと揉めるのは明らかだった。
なぜなら、ツグミは俺に、「私の電子ジャーは絶対に使わないでね」といったことがあったからだ。
「使わないよ。ご飯は店で毎食食べてるし、どうしても家で食べたいときは、店でその日残ったご飯をもらって帰ることもできる。それにひとり分くらいなら鍋で炊けるから」
俺はそのときはツグミにそういった。
「二階のバスタブを彼らに使わせたのも、ツグミになにかいわれるかも......」
そういって、ポールはバスタブの件でも頭を悩ませていた。
俺がこの家で初めてツグミに会ったときに、「このバスタブは絶対使わないでね」と念押しされたことがあった。
もちろん俺は一度も使ったことはなかった。
けれど彼らは、そのバスタブのある二階の浴室を、毎日のように使っていた。
ポールはそのことも俺に愚痴っていたが、あれだけものごとをはっきりいうポールが彼らに対してはまったく態度が違うことに俺は釈然としていなかった。
かなり後からわかったことだが、故郷をやむにやまれず後にすることになった彼らに、ポールは心の底から同情していたのだという。
「ポール。日本人だから、中国人だからって一括りにするのはよくないと思うよ。そのひと個人の問題だから。いいひとも悪いひとも日本人のなかにはいるし、中国人だってそうだと思うよ」
ポールが深く関わった中国人は彼らだけだった。
ポールは、「中国人はもう二度とここには住まわせない」と息巻いていた。
俺はそれを聞いて、異なる人種のひとたちと接するときには、自分の言動に必要以上に注意しないといけないな、と思った。
もし、俺が彼らに悪印象を与えてしまったら、『日本人はあんな奴らだ』と思わせてしまうかもしれないからだ。
肝に銘じよう。
〈続く〉
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。
尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。
今回のこの作品は、1989年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。
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